第漆章 第三幕 12P
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昨日と同様に冷たい風を引き連れて夕暮れはやって来た。身に沁みる冷たさはやはり寂しさを心に齎す。いや、冷たさはもっと心の奥深くから来る何かからかもしれない。ランディはその冷たさと闘っていた。この冷たさはどこから来るのか。分かりたくもないが、自然と分かってしまう。冷たさは心を食らう暗闇から来ている。何かから許されなければ、一生付き纏う暗闇だ。
人はその闇を信仰なり、家族なり、友人なり、その他、多種多様な物から許され闇を忘れることが出来る。だがしかし、ランディの闇はもう声が届かない者たちからしか、許されないと消えない。仕方がないものだった。それでも今は動き続けねばならない。止まることは許されない。だから今も最後の悪あがきを続けていた。
「最後の最後に俺自身の目で敵地の偵察をと思ったけど……何か、怖いなあ。誰もいないことは、それはそれで良いことだけれども。なんだかなー痛てて」
会議の後、盗賊は人質を解放し、町は監視を中止。当然、解放された人質は十人でランダムに選ばれた。取引は粛々と行われて今は人質の解放と状況の聞き出しに町民は専念している。
当然、三人のうち、ルーとノアはそちらの方へ向かった。ランディだけは自由に動けたので最終確認のため、南西側から盗賊団の指定した領域へ侵入し、偵察を行っているのだ。
「たくっ……今日は散々だ。喧嘩で身体の節々が痛い。それにしても盗賊の方も町の方も自分たちのことに気を取られて油断し過ぎでしょ。こんなんで良いのか?」
月明かりを背に怪我をした身体を擦るランディは足音を殺しつつ、順調に歩を進めている。
町の方では一足早く、解放された人質とその家族が涙なしにはいられない再開をしている所だろう。勿論、その再開に関しては何もランディは言う気がない。だが、その一方で気を抜かずにどうにか、裏を掻いて監視体制の再開を目論むべきであろう。だが、如何せんこの町は脇を固めるのが甘い。その甘さをランディが補っているのが現状だ。しかし、その甘さは盗賊の方も同じ。先ほどからアジトから遠巻きに円を描くように色々と見て回っているも誰一人見かけない。
まだ、アジトよりも街壁や中央広場に近い場所を縫うようにして歩き回っている所為かもしれないのだが。それにしても嫌な予感でランディはピリピリとしていたのは間違いない。
「どう言うことだよ―――― 本当に人っ子一人いない。確か、ルーの情報では何時見張りの姿が見えても可笑しくないのに。確か、順繰りに時間が来たら歩いて五か所の監視位置に移動する筈でさっきからずっと歩き回っていたけど、本当なら出会わないと。わけが分かんないや」
ランディは次第に焦りを見せ始める。どうやら盗賊団は何か別の目論見を持って動いていると見て間違いない。そして態々、人質を解放したり、要求として監視の目を消したのはこの何かの為なのだろう。
「不味いな。ちょっと無理をしてでも奥深くへ斬り込むか……いや、それともまだ作戦開始は明朝だから時間はちょっとあるし、無理をしないで行くべきか。どちらにせよ、欲しい情報は直ぐ其処にある……糞っ、なら行くしかないじゃん」
独り言と様々な憶測だけがよく進む。このもどかしい状況を打開するには大きな冒険に出るしかないだろう。ランディは全体を細かく回ることを止め、一直線にアジトへと歩みを速める。
当然、背後に追跡者はいないかと警戒し、物影に隠れたり、時には民家へ入るなどしてなるだけ忍びながら着実に目的地へと近付いた。一歩間違えば、とんでもない事態だが、程良い緊張と疲弊感、妙な感情の高ぶりがランディに何かを思い起こさせる。これは戦場での感覚だ。
自身の心臓の音を身体で感じながら見えない展開を想像し、靴音を抑えて素早く動く。暫しの間、忘れていた習慣が何故か直ぐに身体で出来る。いや、忘れるわけがない。身体で覚えているのだから。
「さてと、ここまでは何も起きなかったが……もうアジトだ」
ランディは家屋と家屋の細い間で壁に寄りかかりながら額の汗を袖口で拭い、一息吐く。
現在地はアジト正面側の大きな路地から一歩小道に入った所。此処からはもう感覚を思い出しながらなどと生ぬるいことなど、言っていられない。ちょっと路地から顔を出せば、もう視界にアジトが見える。
「はあ……ふぅ……よっし!」
ランディは呼吸を整えると意を決して路地から顔を出す。人員をアジトに集中させているらしい。窓からは何人かの人影が見えて休んでいることが窺える。また、五、六人ほどが周囲の警戒を行っているので相変わらず、気が抜けない。その警戒が成された中で目の前には予想通りと言うべきか、盗賊団が何か画策中なのが見えた。ただ、遠目ではボロ布が掛かった子供の背丈くらいの荷物を運び、その荷物を近くの家屋に置いてまた新たな荷物を運び出し、同じように別な家屋付近に置く作業だけしか見えない。これだけではまだ、答えが見えない。
「くそっ……やっとヒントを掴んだのに肝心の答えがまだ見えない。もう少し近づくしか」
ランディは後もう少しの所で答えまで近づいていた。と言うよりも今までの情報でも十分、彼らが何をしているのかもう分かる筈だけれども如何せん、現状に流されてまともな思考が出来ていない。
何か決定的なヒントを掴むためと北側へ迂回してもう少し近場から様子を窺おうとアジトに背を向けたその直後、不意に強い風がランディにぶつかって来た。
その風に乗って何やら独特なむっとする臭いもランディの方へと流れる。
その臭いとはドロッとした油の臭いだ。鼻に付く微かな臭いにランディは目を見開いた。
「そうか、やっぱりそう言うことだったのか! やっと分かったぞ……早く帰らないと!」
髪を掻き毟るランディはやっと何を考え、盗賊団が何をしているのか、町の現状はどうなっているのか。何としてでも彼らを止めねばならない。
そう、盗賊団は火を放つための準備をしているのだ。そして人質の一部を解放したことも町側の監視を外したのも全てはこの謀略の下準備だった。
「失念していた。元々、分かっていたことなのに――――計画には支障がないけれどもかなり慎重に動かないといけないから二人にも警告が必要だ」
ランディは気付いた事実を伝えるため、脇目も振らず、町役場へ向かう。
あまり周囲への警戒をせず、速さを優先して迷うことなくどんどんと歩を進め、先ずは南西側へ迂回し、それから町役場へと段階を踏んで目指す。安易に直接、向かえば見つかる可能性もある。このように警戒を二の次にする場合には遠回りをして行動を拡散し、焦りや一辺倒な思考など予見し易い心理的な要素を一切なくして動く方が得策なのである。また、立ち入り禁止区域を抜けた時、関連性が薄い地区を歩いていれば、怪しまれることもない。
動揺した中でもランディはきちんと動けていた。
裏道を選び、曲がり角は慎重に様子を見て誰もいないことを確認してから飛び出し、風のように走り、影の中を縫うようにして進む。帰りも行きと同様に人影はなく、楽々と退却には労力を要しなかった。だが、これで良いものなのだろうかと疑問が自然と浮かぶ。確かに有難いことではあるも此処まで肩透かしを食らうと何か裏があるのではないかと嫌でも変な勘繰りが出て来てしまう。普通に考えてみれば、ランディの立ち回りは文句の付け所はなく、動けていた。
相手に全く悟られず、持ちうる情報を最高に生かして必要な情報も集めた。
これ以上、なにか求める戦果があるかと言えばない。
「誰にも見つかっていないし、つけられていることもないと思うのだけど。どうにも勘が鈍っているからな……自信がない、こう言う時にはやっぱりペアなりチームで動けた方が良いんだな。なくなってから初めて知る有難みって奴だ。ほんとに恵まれていたんだと痛感するなあ」




