第漆章 第三幕 4P
「もう……もう降参してっぶ、下さい。ノアさん……がっ、下手したら死にますよ――」
ランディはノアを懐柔しようと、言葉を紡ぐもその間にも腹や顔に何発も拳打を食らう。
「……それは君も同じぐわあっ、だろう? 君が、君が負けを認めれば……認めれば、俺は今直ぐにでも止めるよ。君も大人なら素直に……認めることも重要だろ? 年上に従うことは良い処世術って奴だよ」
訳が分からない理論を並べ立ててノアがランディを言いくるめようとする。どちらも終わらせたいと思う。しかし、意地は捨てられない。だから決着を付けようと、力を振り絞って右腕を引く。もう時間もない。これが最後の攻撃となるだろう。
「どちらも引く気はないですよね。それなら……これで……」
「ああ、最後に……しよう!」
了承の言葉と共に放たれた最後に一発。鈍い音が広場に響いた。攻撃はどちらも相手の左頬に当たった。そして相手に拳を叩き込むと同時に倒れる二人。広場に荷袋を落としたような軽い音がした。結果は引き分けと言うべきだろうか。
「はっ、はっ、はっ……」
大の字で伸びた状態。その上、息が荒いランディ。同じく、ひゅう、ひゅう、ひゅうと俯きに倒れて喉笛を鳴らしているノア。どちらも暫くは立ち上がれそうにない。しかし、傷だらけでも二人の気分は晴れやかだ。丁度、喧嘩が終わったこの時に日が昇り始めた。ランディとノアが日の光に照らされる。今までシャットアウトされていた感覚が少しずつ戻る。風の冷たさや音、地面の感触、傷の痛み、口の中に残る血と泥の味。終わってみれば、本人たちも認める程に下らない話だ。
どちらかが想いを汲んで片方に従うだけ。どちらも正しく、どちらも同じく間違っている。ならば、後は想いの強さが重要になる。
「くっ……ノアさん、俺は止まりません。まだ何もやっていないんです。だから心が自分を許せない」とランディは無理やり身体を起して地べたに座るとこう呟いた。
か細い声ではあるも十分、ノアに届いている。ノアはランディの呟きを受けながら身体を起し、ランディの顔を見つめた。何かを考えているようで沈黙が暫しの間、世界を支配する。
「確かにそうだろうな、ランディ。君の意思はこれで理解したよ……俺は君を見縊っていたようだ。でもその妄信が俺には怖い……怖いんだ……だって君は後のことを考えず、今出来ることを第一に考えてる。確かにそれは合理的だろう。しかし失敗した時のリスクを考えないことは愚か者のすることだ。違うかい?」
ノアは優しく問い掛ける。今は答え合わせの時間。間違え続けて来た二人が、不恰好な答えを見つけ出す為の時間。一歩先へ進む為の大切な時間だ。
「えぇ、俺は愚か者です……俺は今までその妄信さえ出来ず、失敗を重ね続けて来ました。詰まらない迷いの所為で結果を選べず……成り行きの流れに流されて此処にいます。でも俺はこれからそんな無力さに苛まれて泣くことは御免なんですよ。ノアさん、本当に良いのですか? 先の見えない恐怖に飲まれることは本当に正しいことでしょうか……俺はその恐怖の所為で幾度も後悔をしています。それはノアさんも一緒でしょう?」
「ああ、この下らない喧嘩をしててそれは思い出したよ……痛いほどに……な。その後悔を思えば、確かに君の意見を聞き入れることも悪くない。いや、正しいだろと子供っぽい考えが浮かんだよ。正しいってのは分かるんだ。君の言葉は」
「ならば、一緒にやりましょう……俺は少しでも仲間が欲しいんです。この問題を解決する為の、責任を分散することではなく、命を賭けて共に戦ってくれる仲間が……どんな形にせよ、終わった時の責任は俺が全て取ります。だから手を貸して下さい。ノアさん」
「ふっ……君は強いな。それに比べて俺はこれも今まで安全牌ばかりを取り続けた結果か」
「いや、俺もそれは同じです。だからこそ、異を唱えられるくらいにまで捻くれたんですよ。下らない保身の為の選択で俺は身内を……友達を、他にも幾人かの犠牲を強いて来ました。でもそれはもう終わり、今度は俺が最前線で頑張る番です」
「なるほどな、君の決意の理由が少しだけ見えた気がする。でも俺はそんなに強くないよ? 君の仲間になれと言われても戦力になるかどうか……それでも良いのだろうか? 君の背中を任せて貰えるのだろうか?」
「はい……その言葉を待っていました。そう言われると思いまして。と言うか、最初からノアさんや協力してくれるルーを主戦力としては考えていません。俺があくまでも戦闘を引っ張って行きます。そんでもって俺は今この時の為にこれを持って来たんですよ」
ランディは街壁に立て掛けていた布袋をよたよたと危なっかしい足取りで取りに行く。それから布袋を握り締め、戻って来るなり、ノアに手渡す。ノアはランディの行動に首を傾げながら布袋を受け取る。
「うおっ!」
意外にも布袋は重く、また、ノアの手の中で鉄と木材の感触がした。何となく、予想が出来るも開けて見なければ、まだ分からない。しかし、これまでの緩さ、戦闘中の熱さとは別の冷えた緊張感がノアを襲う。何か別の段階へ上がったことをノアは理解した。そう、これからが本番。本物の敵と対峙することになるのだ。これくらいは当たり前である。
「……これは何だい? と言う質問は野暮だね……開けて見れば、分かるのだから。全く、何が楽しくてこんな貧乏くじ引かないといけないんだ。ほんと、君も俺もよっぽど、モノ好きなんだろうね。まあ、これも良い経験だと思って無理やりにでも納得しないとな」
「ふんっ」と鼻で笑うランディを目の前に震えた手でゆっくりと袋の口を縛っている紐をとき、ノアが中身を取り出す。冷えた空気に晒されながら出て来た物。それは。
「銃か……流石、軍人崩れのだけのことはあると思ったが……頭が痛くなって来た。倒れそう。でも普通、此処までやるかい……君のことが、段々と分からなくなって来たんだが……どうやって持って来た? いや、よくこの町まで辿り付けたな……ランディ。諸に軍事機密でしょ、これ。バレたら絶対、しょっ引かれるぞ―――― しかもこの形式番号……まさかっ!」
布袋から出て来たのは一丁の小銃。真っ黒のよく磨かれた照準付きの銃身、銃口からは施条が覗け、銃口付近には短剣を装着することも出来る。八発入る弾倉に、真鍮製の棹桿と排莢口、『K-9B』と焼印が付いた傷だらけの茶色の銃床。銃床以外はほぼ新品。完璧な均整が取れた現存する技術を集めた歩兵の為の武器だ。そして予備の銃身を含めた部品がまだ中には入っていた。そう、今までこれを出すことがなかったのは使う必要がなかったからだ。
いや、これが二度と日の目を見る事ことがないとランディも考えていたが、思った以上に早く、使うことになってしまった。剣は多目的に使える。ただ、何かの命を奪うことの他に自身を鍛える為の物だ。でもこれは純粋に何かの命を奪う為の存在。他に使い道はない。銃を引っ張り出して来たことから。
ランディの覚悟は容易に窺える。死力を尽くして正面から戦うつもりなのだ。他方、ランディはと言うと盗賊団の一人と一戦を交えた時のように真っ黒な瞳をしていた。全てを飲み込み、無へ帰すような黒さ。今、正にランディは人の業の塊と化していた。ノアの全身の毛がぞわりと逆立ち、鳥肌が立つ。表向きは何処にでもいる青年だが、立派な化け物である。




