第陸章 第二幕 7P
「あんなことする人には絶対―――― 見えなかった」
独白するようにランディは漏らした。
「なるほど、君は。その人がとても優しい人だと感じたんだね」
「優しい……そうだね、優しい人だった」
「だから君は戸惑うのかい?」
「うん、戦いたくないと思った」
ランディは返事をした後、持って来たチーズを小さくもぐもぐと齧る。
「よし! これでだいたい話の大筋が分かったよ、ランディ」
ルーは大きく手を叩き、話を続けた。
「まずは細かい所……そうだな、ノアさんの所から整理して行こう。ノアさんとは前にも面識があるよね、勿論」
「うん。少し前に丁度、この場所で」
「だから此処に来たのか、それで君は初めて会ったこの場で何かの約束をした、当たり?」
ルーは納得の行った顔をして更に質問を重ねる。
「そう、約束の話に関わって来るからもう一度始めから説明しようかな。俺、軍人だったんだ」
間延びした声で喋りながら前屈みで固まってしまった身体をほぐす為にランディは伸びをする。
「昨日、聞いてびっくりした」
ルーは昨日の自分を思い出して頷く。
「四年、外に出て何かして来いと両親にほっぽり出されたから士官学校に通ってた」
「何だかとても壮大な冒険譚がありそうで気になるから困る」
ランディが瓶を傾ける隣でルーは期待に胸を膨らませていた。
「まあ、酒のツマミになるものは少しね、この問題が解決したら話そうか」
「是非、聞きたいよ」
しかし、今は『Chanter』が聞きに瀕している。無駄話をしている暇はないのだ。
「それで此処に来た理由は聞いても?」
ルーは遠慮がちに事の発端を聞いた。
「もう、レザンさんやフルール、ノアさん、ブランさんとかも知ってるし、大丈夫。俺が此処に来たのは学校でちょっと問題を起して逃げて来たんだ」
ランディは何の気なしに欠伸をする。過ぎたことだからもう気にする必要がもうないのだ。
「別に悪いことをした訳ではないんだけどね。もう少しで卒業って所まで行ったのだけどあんまりにもやり過ぎちゃって自主退学って感じ」
「やるなあ、ランディ」
「別に褒められることじゃないけどなあ」
酒で少し顔を赤らめながらランディは首を傾げた。
「ただ、それをノアさんに知られてね。ノアさんは俺のこと最初は何か大きな問題が起きる予兆か何かと思っていたらしくて散々言われたよ」
ランディはあの日の事を思い出し、苦笑いを浮かべる。
「ノアさんが疑うのも間違いじゃないね」
「うん、間違ってない。そんでもって俺がこの『Chanter』に来たのは何か他意があって来た訳じゃないからってずっと説明して何とかその時は認めて貰えたんだ」
ルーの言葉にランディは首肯する。
「それが今回の問題が浮上して」
「いや、ノアさんもおれが関係ないってことが分かっていたみたいだ。ただね――――」
「ただ?」
「うん」とランディは頷き、ノアの本心を語り始めた。
「ノアさんを失望させてしまったんだ」
「何でさ、ノアさんは君を疑っただけだろう? 確かに昨日、ノアさんも言ってたけど失望は関係ないじゃないか」
少し冷えた手に息を吹きかけながらルーは話の飛躍に困惑をする。
「俺がしたつもりの説得は説得じゃなかったって所が味噌なんだ」
ランディはまるで謎かけのようにまだ話していないことを明らかにした。
「後だしが多いよ、もう君はどれだけ僕を困らせれば気が済むんだい。貯め込み過ぎだよ」
「ごめん、ごめん。でも多分、まだ二、三個はあるかな」
ランディの態度にルーは少し腹が立ったが、悪気があってやっているわけではないことを知っている。だから自然といらつきもしない。寧ろ、あまりの不器用さに憐みの感情が出てくる。
「仕方がない。分かった、続きを聞こう」
ルーはランディの肩を叩き、先を促す言葉以外何も言わなかった。
「ノアさんを説得した時。俺は本当に間抜けでさぁ、納得して貰える言葉がなかったんだ。あの時は熱意だけは伝わったと言うのが一番正しいかな? ノアさん本人も言ってたし」
ランディは改めて客観的な意見を述べる。確かにあんな説得で納得がさせたと思うのは可笑しかったのだ。ランディは今更ながらに痛感した。
「大きなことばかりに目がいって小さなことには目を向けてなかったんだよ。俺は」
「悔しいよ」とランディはぼやいた。
「だってそうだろう? 一概には言えないけど国が、王国軍がきちんと予防線を張ってどんな問題にも取り組んでいればそもそもこんな下らない悲劇は起きることがなかったんだ!」
ランディは唐突に街壁へ己の拳を突き立てた。
「うん……正しいね」
「ノアさんはそれを言ってたんだ」
ルーの肯定にランディは相槌を打つ。
「でもそんなの大きな組織に入れば当然になって来るものだよ。小さなこと全てに目を向けろと言うのは無理がある。僕は決して君だけが悪いとは思わない」
ルーも馬鹿ではない。必ずしもノアの言ったことが正しいのではないとランディを励ました。
「理性で考えれば―――― だけど。感情は違うよね」
「あはははっ……はあ、それを言われたらお終いだ」
ランディは素直にありがたいと思ったが鼻に付く皮肉を言葉に混ぜ込み返した。今は仕方がないと笑う。
「俺の居た道は間違ってもいなければ、正しくもない道だった」
ランディの立場を簡単に表すならば。それは最低限の言い訳が出来るものの、本質には全く届いていない不誠実さがある位置に属していると言うことだ。
「だけど、だけどノアさんは中途半端な道にいた俺を心で判断してくれた」
影のあるものでもノアは言及しなかった。その優しさはやはり人情から来るものだろう。
「昨日は言われて悔しかった、でも嬉しかったよ。あれだけ言われても結局は無条件で信じてくれていたんだと思うと」
「ノアさんも冷めてるようで意外とアホみたいに熱い人だからね。君はその信頼に対してどう報いるの?」
問いの答えは既に決まっているのだろうが、ルーは問う。
「同じく鬱陶しいくらいの熱さで答える」とランディは馬鹿正直に言った。
「僕はその答え、好きだよ」
ルーは自分のことのように嬉しがる。やっと答えが一つ目の答えが出た。
「これでノアさんに対する整理は着いたかい?」
「うん、少しだけすっきりしたよ」
「次は本題、君の心についてかな?」
「そうだね」
そう、一番の問題は心の在り様だ。ランディのこれからが大いに関わって来る問題でこれが解決出来なければ前に進むことは到底、出来ない。
「俺は今まで犯罪者や敵として何人かを殺めたことがあるけど。あんなに身近でしかも和気藹藹と話したことはなかった」
ランディは今まで妄信していた物へ不意に疑問が湧いた。いや、わざと目を背けて来たことに改めて目を向けたのだ。
「今更だけどデカレさんと話して思ったんだ、今までの自分は正義で相手が悪だったのかと」
「はっきり言って正義と悪なんて区別はつかないよ。だって一人殺して殺人者、百万人殺せば英雄って言葉があるくらいだから――――でも軍は綺麗事では動けない。どこかで妥協しなければ治安何か守れるはずがない。そうだろう?」
ルーの言ったことは当たり前の事実であり、誰に聞いたとしても皆が同じ答えを言うだろう。この世に明確な正義と悪の線引きはないと。それでもルールを決めてそこからはみ出した物は罰を受けねばならない。
「ランディ、他の人に代わってそれを行ってきた君の何処が間違っているんだい?」
自然と出て来た疑問をルーはそのままを問う。
「普通の人間なら尻込みするようなことも時間がない中で手を汚しながらして来たのだから君は充分、立派だよ。その場で判断しろとか言われたら僕にはとても出来そうにない」
「それでもやっぱり誇れるようなことじゃない」




