第陸章 第二幕 5P
「勿論、俺もそう思っているけど―― もしものことを想定する必要はあるんだよ、フルール」
「絶対に可笑しいよ、それ! ランディの言う可能性はどっから根拠が出てくるのよ」
「…………」
またもや確信を突く、フルールの言葉。驚いたランディは考えるように閉口する。
「それともランディは何か知っているの?」
ランディは口を閉ざしたまま。
「っ! 知っているのね? 教えないさいよ! ねぇ!」
フルールの鼻が利くのか、それともランディは隠し事が下手くそなのか。どちらにしろ、ランディは追い詰められていた。フルールの手が服の裾から襟元へ移る。ランディは揺さぶられた。
「いいや、俺は何も知らない!」
「ランディ!」
「大丈夫。フルールが思っているようなことじゃないし、これは軍人としての経験から言ったまでだから!」
「何か納得出来ない、ぼやけたことばかり言ってないで本当のことを教えなさいよ!」
フルールはランディの胸倉を掴んで振り回すのだが、身体の力を抜き、突然、身を預けて来た。
「こんなに心配しているのに一人で背負ってばっかり。何で教えてくれないの? ……もう嫌なのよ、置いきぼりは――――今のランディは先に進み過ぎて戻れなくなってる人の顔してる……それだけは駄目、絶対に駄目。一人で歩いて行っては駄目なのよ」
ランディの鳩尾辺りに額を付け、顔を見せないフルールの声は涙で濡れていた。幾ら、ランディの馬鹿さ加減が少し分かったと言っても大きな壁のように聳え立つランディの拒絶はフルールにとって、とても辛いことであった。
「ごめんね……」
顔に影を落とし、寂しそうにランディは今日だけでも何度言ったか分からない謝罪をする。
そしてせめても感謝を表す為、頭だけでも撫でようと手を上げたランディは思い直して直ぐに手を下す。
「くっ……」
ランディは自分にその資格がないと、唐突に思ったからだ。互いの心はすれ違うまま。遂に築いた繋がりが風の合間に消えたように思われたが、まだこの町はランディとフルールを見捨ててはいなかった。
「やあ、こんにちは。お二人さん、こんな所で逢引かい?」
意外な人物により救われたからだ。
「なっ! ルッ、ルー?」
意外な人物というのは、町役場の職員ルーだった。フルールはルーの声に驚くとランディからいそいそと離れ、素っ頓狂な声を上げる。ルーは役場にいる時よりも少しだけいつもよりラフな格好でスラックスにシャツそして黒の肘当てが付いた柔らかそうな生地で出来たジャケットだ。カバンを持ち、腰には剣が刺してある。
ある意味、盛り上がっていたことも要因だが、それでもランディやフルールが気付かれない内に町側の外壁へ寄り掛かっていてにやりと笑うルーはまるで昔の小説に出てくる不思議な国に出て来る不思議な猫のようだった。
「そう、町の人気者。皆のルーだよ?」
驚く二人を尻目に軽快な足取りで茶色のジャケットをたなびかせながら街壁の上へ上り、ルーは颯爽と登場した。
「いきなり何よ! あんたもう少し時と場所を弁えなさい!」
ランディから離れたフルールは烈火のごとき怒りを露わにする。
相当、恥ずかしかったのか、頬を赤らめて。
「そんなの知らないよ。君らが勝手に盛り上がっていただけだろうに」
肩をすくめてルーはしごく真っ当なことを言う。
「いちいち、五月蠅いわねぇ……」
「五月蠅いって何さ、五月蠅いって。おっとっと?」
話の途中、風にバランスを取られて街壁から落ちかけたが片足を上げたり、手を広げたり、身体全体の体重移動でヤジロベーのように安定する。
「あっ、こっこんにちは。ルーさん」
突然の出来事に一人、反応が遅れたランディも挨拶をする。
「こんちは、ランディさん」
ルーは爽やかな挨拶を返すと何故か、ランディの隣に座る。
「そう言えば、ランディはもうルーを知っているの?」
「それがね……この前、配達に来て貰ったのだよ、フルール。そう、思えばあの時の出会いが僕たちの熱い友情の始まりさあ――――」
ルーがランディの代わりとしてまるでト遠い日の思い出を話すかのように意味深長な視線を空に向け、質問に深刻な表情で答えた。
「ですね」
同じようにさも訳有りの顔をして臨機応変に頷くランディ。
実際、特別な間柄はない、単なるおふざけだ。
「まあ、男は馬鹿だから」と心に言い聞かせ、仕方なしにフルールは二人の愚行に目を瞑る。
「それで、それで。態々、こんな場所で君たちはどうして痴話喧嘩しているんだい?」
「それは……」
「あんたには全然、関係ない。その前にルー。あんた、あたしたちに何か用でもあるの?」
ルーの質問にランディとフルールはそれぞれに反応を見せた。
「いやね、僕は家に帰る途中で特に君たちへの用事は特になかったんだよ」
「なら、どっか行って。あなたを相手してる暇はないの」
居着くことを決めたのか、フルールの言葉を聞きつつ、手に持っていたボロボロのカバンを地面に降ろすルー。
「それがさあ、帰り道の途中、君たちの言い争いが嫌でも耳に入って来てね。今はこんな状況だし、喧嘩なんて良くないから少しだけ注意をしようと思ったんだ」
ルーは眉間に皺を寄せ、訝しげな顔をして注意をした。
「そう……あんたの言い分は分かった、もう喧嘩しないから。早くどっか行って」
言いたいことを全て飲み込み、背筋が凍るような声でフルールはルーを威嚇する。仲が悪いと言うわけではないのだろうが、どうもいきなりの登場で驚かされたフルールは大層、機嫌を悪くしたらしい。
「フルールは冷たいなあ、そう思いませんか? ランディさん」
もっとデリカシーを考えて話しかけてくれれば良かったのだが、ルーの登場により上手く誤魔化しきれたランディはほっとしていた。
「ああ、えぇ。う――――ん?」
だからどちらが正しいかなど言うことが出来ない。
「ランディは黙ってて。ルーはただ、冷やかしに来ただけでしょ」
疑いの視線をルーに向けるフルール。
「心外な! 僕はそんなことしないよ」
「日頃の行いから来る疑いよ」
「あちゃあああ、それ言っちゃう?」
「うん、言っちゃう。あんたのふらふらとしたその態度が一番、鼻につくのよ」
真顔のフルールと微笑むルーの温度差は激しく、挟まれているランディは居心地の悪さを感じていた。
「まあまあ、二人とも落ち着いて。俺が言うのも可笑しいけど喧嘩は駄目、でしょ?」
少し変だが、仲裁役に回らねばとランディは二人を宥めすかす。
「むむむ……」
「あはははあ、こりゃあ一本取られたね」
思わぬ仲裁によりフルールはむくれ、ルーは笑った。
ランディの仲裁で少しだけ静けさが戻った街壁の上。
「それはそうと二人は何で此処に? 特に用事が合って来るような所ではないと思うけど」
しかしながら沈黙は長く続かず、不思議そうな顔をしてルーは新たな疑問を口にした。
「それは、俺が此処に来たいって言ったんです」
「もしかして気分転換に良い景色でも見ようってことですか? なるほど、確かにそれは素晴らしいアイデアだ」
ルーは景色に目を向けて「山が綺麗だ!」と言いながら大きく伸びをする。
「そんな所ですね」
目を細め、力が抜けた笑顔でランディは顎に手を当てながら答えた。
「良いアイデアです」
親指を立ててルーはランディのおざなりな返答に賛同する。確かに連峰は白と黒のコントラストで統一されて自然の雄大さと荒々しさが完璧に表現されていた。世界はこれだけ綺麗にしろと黒を使い分けて綺麗に表せられるのに人の世はそう行かないのだろうかと言う疑問をまざまざと感じさせられる、そんな光景だ。




