第陸章 第二幕 3P
「それなら安心、して良いかな?」
フルールはランディに弱々しく微笑みかけた。
「でもやっぱり、気は抜いちゃ駄目だよ。今の状況じゃ何が起こっても可笑しくないし」
「もう! あたしを安心させるか不安にさせるか、どっちかにしなさいよ、このお馬鹿!」
フルールはうだつがあがらないランディに怒りの鉄槌を下した。空気が読めないランディは余計なことを言い、フルールを怒らせてしまう。
「いててっ……ごめんなさい」
昨日に引き続き二つ目のたんこぶを押え、おっとりとした目に涙を浮かべるランディ。
「まあ、レザンさんたちだって頑張っているんだ。絶対に何とかなるよ」
ランディは今言える精一杯の言葉でフルールを励ました。
「うん。凄いよね、あたしたちもあたしたちで出来ることを頑張らないと」
やっといつもの元気を取り戻したフルールは強く意気込む。
ランディにはそんなフルールが空に輝く太陽のように眩しく見えた。
「俺もそう思う――やれることは、やらないとだもんね。それとフルール。態々、俺の為に色々とありがとう」
「良いのよ。ランディの世話係はあたしだからね」
心の負担が軽減されたフルールは改めてランディを上から下にじっくりと見つめる。そして今更ながらに様子が可笑しいと気が付いた。
「―――― ランディ、いきなりで悪いけど体調は悪くない? 顔色も悪いし、何かふらふらしてるよ」
さり気なく、気遣うようにフルールが上目遣いになりつつ、ランディに体調の具合を聞いた。
「うっ、うん。大丈夫、元気だけには自信があるからね。心配ご無用!」
心の内ではびくっとしながらも空元気で場を取り繕うとするランディ。しかし、フルールの目も節穴ではない。よくよく見てみると現在進行形で無理をしている節が幾つか見えた。例えば、目の下にあるクマや小刻みに震える手足、息使いの荒さ。今のランディには可笑しな点が沢山ある。あげようと思えば、フルールにはもっと上げられる。
「心配しない訳がないじゃない! どうしたのよ、目の下にもクマがあるし。何かあったの?」
苦い顔をしたフルールはランディの両腕を掴み、顔を近づけて更に詳しく様子を窺おうとする。
「いいや、本当に大丈夫だから。それよりもフルール……」
フルールの火のように熱い手を自分の氷のように冷たい手で包み込む。
どうにも誤魔化せそうにないと悟ったランディは話を切り上げようと準備を始めた。
「何よ?」
フルールはひっきりなしに動きつつ、ランディの声へ耳を傾ける。
「態々、俺の所に来ようとしてくれたのはありがたいのだけど……俺さあ、これから一人でやらなきゃいけないことがあるんだ。だからね」
「駄目よ! あたしと一緒に居なさい。折角、ご飯も作って来たから一緒に食べるの」
ランディの言葉を遮り、フルールは言った。
「フルール……」と困り果てたランディが弱々しく呼び掛ける。
「何があなたを追い詰めているのかは分からないけど、絶対に駄目!」
ランディを気の強そうな瞳でまっ正面から睨みつけ、フルールは絶対に頷こうとしない。
「大丈夫、大丈夫。フルールが気にするようなことは何もないから」
「嘘でしょ、それ。直ぐに分かるの。『Pissenlit』へ帰るわよ!」
フルールはランディ言葉を信じることなく、尚もランディの考えを改めさせようとする。
「お腹いっぱい食べて、飲んで休めば悩みなんてなくなるから。ランディ……」
フルールはランディの手を振り解き、「張り切ってこんなに作ったんだから」と言いながらバスケットの中身をランディに見せた。肉と野菜が入ったサンドイッチやまだ温かさが残っているような蒸かしたジャガイモ、カラメルがちょっとだけかかっている小洒落たカスタードプディングなど、持ち運びのし易い幾つかの料理がバスケットの中にはあった。
作り立てで見た目もさることながら味は勿論、前回と同様、お墨付きに違いない。もし温かい部屋でフルールとゆっくり過ごせたのならば、どれだけココロ休まるだろうか。どれだけ心が休まるだろうか。甘い誘惑にランディは少しだけ決意がぐらついたがそれでも。
「いいや、フルール。考えたいことって言うのは俺のこれからが掛かって来る大事な問題なんだ。有耶無耶になんか到底、出来ないよ」
苦しそうに顔を歪めながら自分の欲望をランディは振り切った。あまりの気迫に気圧されるフルールだが、それでも頑として身を引こうとはしない。
「―――― それってもしかしてあの盗賊のことに何か関係しているの?」
ランディへ更に詰め寄り、フルールは問うた。
「ううん、それしか理由はないよね?」
勘の良いフルールはこれまでの状況と話の中から引っ掛かりを探り、深刻な顔をしたランディが何を考えているのか、当てて見せた。胸にある支えを完璧に当てられたランディは思わず、顔を背けて黙りこんでしまう。
「そうなんでしょ?」
今度はランディの両手を掴んで自分の手で包み込み、胸元へ持って行くフルール。ランディの手は死人のように冷たい。手が冷え切っているのは外の寒さに加え、目には見えない心のひずみから来る体調の悪さも関係している。
「良いんだよ、ランディ。あなたが昔、軍人だからって無理に何かする必要はないんだから。だって今は普通の人に戻ったの、あなたが背負うことは何もないわ」
フルールは涙目になりながら持てる精一杯の力でランディの両手を抱き締める。
「軍人かどうかだけじゃないよ、フルール。これは俺が持つ矜持の問題なんだ」
「何が矜持よ! そんな難しい言葉を使えばあたしが納得するなんて思っての?」
「内心、実は少しだけ思ってみたり」
笑って欲しいランディは下らないことをのたまうのだが。
「ふざけて話をはぐらかさないで!」
効果はない。
「あたしは真面目に話しているの! このまま悪い病気になって死んじゃったらどうする訳よ」
下を向き、今にも泣き出しそうな声でフルールはランディに訴えかける。
ずたずたで痛々しい沈黙が二人を包んだ。
「ごめんね……」
「あたしが聞きたいのは『ごめんね』じゃない。『一緒に家に帰る』って言葉が聞きたいの」
フルールは少しだけ温かくなったランディの手を離す。その代わり、まるで幼子のように服の袖を小さく引っ張って『Pissenlit』の方へランディを戻らせようとする。もうランディの決意が変わらないことが分かっていてそれでも尚、認めたくはないのだ。
「駄目だよ、フルール。此処で後回しにしたら俺は本当に駄目になる」
ランディは首を横に振り、フルールの提案をやはり受け付けない。ちゃんと自分のことを心配してくれる者が居るのに何と罪作りな馬鹿だろう。それでもその馬鹿がなければ、ランディはランディでなくなる。フルールはそれを今、自覚はないが心の何処かで理解している。
「―――― それなら……」
だから小さな声で何かを呟く。
この時、ランディはじりじりと導火線が燃えるような音が聞こえ始めていた。
「えっ? ごめん、聞こえなかった」
フルールの言ったことが聞こえなかったランディはもう一度、問う。
フルールは大きく息を吸い込むとランディをきっと睨みつけた。
「それならあたしもランディに着いてく!」
小さな通りで人がいなかったから良かったが、町中に響き渡るような声でフルールはランディが考えもしなかったことを宣言した。




