第伍章 第一幕 6P
力強い頷きと共に出たブランの言葉は皆へ力を与えた。
「意味の無い仲間割れは止めて、まずは最初から仕切り直そう」
「その通りだな、ブラン。お前はどう考える?」
隣に座っていたオウルはブランの指示を促す。
「まずは―――― そうだな、自警団の招集を。今も二、三人ほど役人の職員が境界線での警備に当たっているけど足りないんだ」
「ああ、それを忘れていた。自警団の招集は大事だ」
「此処にいる者、全員と後はそれぞれの所から若いもんを出すとするか」
「食糧と武器もだな、武器はそれぞれの家に戻って確認するのと自警団の詰所も探せば良いとして食糧は――」
「食糧は任せてくれ、用意しよう」
「さて。いっちょ、気合いを入れて頑張りますか」
ブランとオウルの他にも少しずつ町民たちが声を上げ始める。
そして男たちに波及する連帯感。小さな希望の火が灯った。
これならばもしかすると大きな困難も乗り越えられるかもしれない。
「俺が此処にいても意味がない」
ランディは息を吹き返した町民たちの声を背に人知れず、会議室を出て行く。何も出来ない者は此処に居てはいけない。ランディは自分を邪魔者のように感じた。いや、あのまま居ても絶対邪魔者になると確信があった。ランプの灯りがある廊下を歩き、階段を降りて扉から外に出る。町役場を出てランディは松明を頼りにあてなく町を歩き始める。暗闇の中をとぼとぼと小さな迷子のように歩くランディ。
「ああ、情けない……」
身内が捕まっているブランでさえ、気丈に振る舞っていたのだ。
惨めな自身の思わず嫌な笑いが込み上げてくる。
「全く、何が軍人だ。何が一生懸命だ……」
ノアに言ったことが自分の胸に突き刺さる。忘れていたことを思い出した。いや正確に言うのならば当事者として再度、理解したと言うのが正しいだろう。このような騒動は何度も遭遇していた。勿論、被害者としてではなく、発生した事件を解決する介在者としてだ。本当なら沢山のチャンスがあった最前線で理解していなければならなかった。
『きちんとやっているならば詰まらない争いなど起きてはならない』軍属でもなく、国に関わる仕事に着かない普通の人間ならばそう思うのが当たり前だ。今の所、軍が、政治が大きな争いを防いでいる。表向きは昔よりも人民の幸せを考え始めたかのようにも見えるが根っこは相変わらずだ。例えば、大きな争い事を未然に防いだとしても原因の大抵は強者の都合で起きるような戦ばかり。無辜とまでは言わないが弱者の立場にある国民はいつも巻き込まれる側だ。
大きな争い事を止めているとノアへとっさの反論で口には出ても声を大にして誇ることはランディに出来ない。国民からして見れば国同士のぶつかり合いなど程遠過ぎて眼中にないのだ。盗賊確かに司法は更に厳しくなった。そのお陰で重大犯罪は減った。軍が、政治が大きな争いを防いでいる。しかし幾ら大きな争いが防げたとしても原因は大抵が強者の都合で起きるような戦ばかり。無辜の民はいつも巻き込まれる側だ。そんな戦を止めたとしても声を大にして誇ることはランディには出来ない。本当ならばこのような小さな争いの方が民にとっては死活問題である。
視野が狭いと言われるかもしれない。しかし、一人が接する世界は其処まで広くない。大抵の人間は例え、自分の生まれた土地で一生を終えることがなくとも一つの場所に必ず流れ着き、根を下ろして人生の幕を閉じる。役人や社会に大きく関わる人間は別として自分達の今居る場所だけのことを考えるのは必然だ。自身の生活で手一杯な者だって多くいるのに国のことを考えろと言うのは無理がある。
「何も出来ないな、俺。本当なら誰よりも前に立って戦わないといけないのにそれが出来ないなら……っ!」
立ち止ったランディは舌打ちをし、両手でぎゅっと目を押さえた。ならば尚更のこと嘗て介在者であった自分が動かねばならぬのに。動けなかった。このままでは全てが消えてしまうだろう。いっそのこと目の前にある物が残らず消え、時を止めることが出来たのならばどんなに楽だろうか。
ゆっくりと手から解き放たれたメは真っ黒で生気がなく、ランディの心には段々と暗闇が現れ、引き摺り込もうとし始める。もう頑張ったのだから良いだろうと暗闇の囁きに導かれ、沈んで行く。全てが終わり掛けたその時。
「何も出来ないな、俺。本当なら誰よりも前に立って戦わないといけないのにそれが出来ないなら……何してんだろう」と両方の掌でぎゅっと目を抑えるランディは言う。
「本当だよ。何をしているんだい、君は」
いきなり何者かの声が背中から聞こえ、はっとしたランディは勢い良く振り返る。
其処にいたのはくたびれたコートを羽織っている町医者のノアだった。
「ランディ、いや今はこう呼ぶべきかな。厄病神」
「ノアさん」
ランディの後ろにいたのは町医者のノアだった。
確かランディと同じく会議室にいた。どうやらランディのことを追って来たらしい。
「君、この前に言ったよね? 町へ面倒事は持ち込まないって。見事に約束破ってくれちゃったなあ――――」
ノアは頭の後ろで手を組みながらゆっくりとランディに近づいてきた。
軽い口調の中からひしひしと怒りの感情が伝わって来る。
「聞いているかい? ランディ」
ランディからの返答がないのでノアは再度、確認する。
「違います……俺は、俺は何も知りません」
下を向き、ランディは頭を振りながら一歩、後ろへ足を引く。声には震えが。まるで怒られる子供のようにランディは委縮していた。もう心が折れ掛かり、ノアに言葉を返すも気力さえ残っていない。甘んじてランディはノアの非難を受け入れるつもりだったが。
「……知ってるよ」
ノアはぽつりと独白するように話し始めた。
「知ってる。確かに今回の事件じゃあ、軍が大々的に対応する案件だし、一人だけを一カ月も駐屯させるのは可笑しな話だ。町の周りをちょくちょく回って見たけど、他に派遣されている兵もいない上、ましてや軍自体も全体背景を掴めていない今、君を責めるのは理性的じゃない。そして君の様子を見て違うってのは直ぐに分かった」
ノアがランディの広げた一歩の距離を詰める。
「俺はそんな犯人探しみたいなことをする為に君を追い掛けて来た訳じゃなんだ」
ノアは「俺も別に物分かりが悪いって訳じゃないからね」と言いながら、更にランディへ
近づき、眼前に来た。
そして。
「でもさ、俺はやっぱり怒ってるんだよねっ!」
「くっ……」
いきなり、ランディの胸倉を掴んでがなり立てるノア。怒気の籠った物言いにランディは思わず気圧された。
「分かっているんだろ、ランディ! 結局、そんなもんなんだよ。王国軍は確かに気高く、立派だけど……やっている、やっているって言ってもこんな小さな盗賊にだって対処出来ないのが現実なんだよ」
思い切り顔を背け、ランディは黙ったまま、反論することなく話に耳を傾ける。今のノアに何を言っても自分の言葉がどれだけ無力なのかを知っていたからだ。悔しいがノアは正しい。どんなに聞こえの良い言葉を使っても現実という二文字の前では霞む。
詭弁にしかならない。
「国からしてみれば小さなことでも町は簡単に傾くんだ……君も知らない筈がないだろう」
髪の隙間から覗くことが出来るノアの目は悔しさと苛立ちでいっぱいだった。何も出来ない自分が心底、嫌なのだろう。
「でも俺がはさあ、君が小さなことが見ていない馬鹿でもあの時は目を瞑ったんだ。何でだと思う?」
ノアはランディを揺さぶりながら問う。されど、ランディが口を開くことはなかった。
「分からないか? なら教えてあげようランディ……君は馬鹿でも真っ直ぐ前を見ていたからこそ、この『Chanter』に良い影響を与えてくれるだろうと俺は考えてた」
ランディが言ったことは綺麗事ばかりで現実には届いていなかったかもしれない。だが、それでも矛盾との折り合いを付けてこの場に立っているということはノアにも伝わったから。『正しいと考えること』に対しては迷いのない目があったからノアは初めて話したあの日あれ以上、言及しなかったのだ。




