第伍章 カムイ 4P
「あの子を単なる武術に精通しているだけの若者と侮らない方が良い。超えちゃいけない一線を一歩でも踏み越えたら止まらない。必ず鉄槌……いや、断罪の剣が首を刎ねる」
「承知した……心に留めておく」
ブランの声から伝わって来る純粋な恐怖。例え、根拠が無くとも何よりも説得力のあるその言葉にはオウルも素直に応じるしかない。
「オウルさんが言った通りだよ。もう、僕ら何かが表舞台に上がっちゃいけない。いや。正確には、ちょっと物語の枕を齧っただけの奴がその本筋を知った気になって首を突っ込んじゃいけなかった。釦の掛け違いなんて言葉じゃ片付けられない程、大きな事件だったのさ」
「一つだけ……一つだけ聞いても良いか?」
「一つだけだよ?」
「お前にそれだけの心境の変化を齎したランディ君を……今のお前は、彼をどう捉えている? 正しき心を持つ武人か? それとも畏怖すべき……怪物か?」
「随分と詰まんない事、聞くね。まあ、オウルさんらしいと言えば、らしいか」
「肝心な事は、其処だろう?」
それらの経緯を踏まえた上で今、ブランは何を思うのか。オウルが気がかりになるのは、その一点に尽きる。もし、恐るべき存在であるのなら直ぐにでも行動に移さねばならない。
例え、情があったとしても。守るべきものがある以上、非情な選択も考慮すべきだ。
そんなオウルの不安を見透かしたブランは、鼻で笑う。
「オウルさん、何を言ってんのさ? 僕の印象、彼の価値は変わらない」
既に手の震えは止まっている。何故ならその答えをもうブランは貰っている。迷いは、最初から無かった。そもそもかの青年は、幾多の迷いをこれまで打ち払ってくれたのだから。
共に生を歩もうと差し伸べた手を握ってくれたのだ。信じるに値する証は備えている。
そして、覚悟も出来た。今度は、自分の番であると。
「何処にでも居る。平凡で心優しい青年。町の一角を担う商人の一番弟子兼、その商人の大切な宝物。どんな時でも僕の前では、正直で居てくれる素晴らしい兄貴分の子供さ」
「そうか……ならば、私と同じだな」
「だから言っただろう? 詰まんない質問だって」
ブランの言葉にオウルは、そっと胸を撫で下ろす。しかしながらその問いには続きがある。
これまでの間違いを繰り返してはならない。そう。もう、独りにさせてはならない。
「何だかんだ……僕らは結局、あの子に守られてばっかりだった」
「これからは、そんな悠長な事を言っていられないぞ?」
「ああ、そうだよ。だから次からは……」
最早、己の存在を剣であると定義させてはならない。そうなる前に全ての憂いを取り去らねば。この町に居る限り。全ての厄災を自らの手で打ち払う必要があるのだ。
「次は、僕らがあの子を守る番だ」
「その意思と覚悟がある限り……私はお前に付き従おう」
「ほんとかい? 多分、次があるとしたら間違いなく地獄の一丁目だよ?」
「私に出来る事など、限られている。それに私自身、未だに自分の力の使い所を知らぬ」
「他力本願にも程があるよ」
「今に始まった事ではない」
「確かに」
その覚悟があるのならば。何処までも付き従うとオウルは言う。心強いのか、心もとないのか、分からない味方にブランは、肩を竦める。されど、迷っている暇はない。現にブランは既に動き始めていた。だからランディとの話の場を設けるまでずっと執務室に籠って施策を練り、その他にも関係各所への交渉にもあたっていた。着実に準備は進めている。
「さあ、操り糸はもう無くなったぞ? 次は、ほんとのほんとに自分自身で踊る番だ」
引き出しからパイプを取り出し、火を付けながらブランは言う。
「ふっ—— 何を言う? 彼は、もう自分の意思で踊り始めているぞ?」
「……? 言ってる意味が分かんない。どう言う事さ?」
折角の尽力だが、今回はそれが裏目に出てしまう。渾身の格好つけた台詞なのだが、オウルにはそれがとても皮肉めいていて馬鹿らしかった。
「珍しい。まだお前が知らないとは。まあ、執務室に籠り切りだったからな。無理も無い」
「待って……もしかして祭りで何かあった? 絶対、面白い話でしょ? それ」
「私の口は、固いのだ。忘れていたか?」
腹を抱えて笑うオウルにブランは、胸騒ぎを覚える。まさか。そんなまさか。オウルが知っていて自分が知らないなどあってはならない。貴重な時間を見逃してしまったなどあり得ない。一気に悔しさが込み上げ、苦虫を嚙み潰したような顔をするブラン。
「くっそ! 完全に出遅れたっ! ちょっとした気まぐれで仕事に精を出した途端、これだよ。罰が当たったんだ。やっぱり、仕事にかまけるもんじゃないねっ!」
「おいっ! 仕事はどうするんだっ!」
「そんなの後、後っ! 僕だけが知らない何てあっちゃいけないっ!」
そうとなれば居ても立っても居られない。パイプを片手にブランは、立ち上がると真っすぐ執務室の扉へと向かった。そんなブランにオウルは、慌てて制止するもそんな止め立てが通用する筈も無い。風の様に去っていた弟分にオウルは、額に手を当てて呆れ返る。
「本当に忙しない奴だよ。お前ってヤツは」
しかしながらそれで良い。これまでが異常だった。やっと戻って来た下らない日常にオウルは、感謝する。この当たり前の一幕こそが正常なのだ。そして、その日常がいつまでも続いて欲しいと願って止まない。オウルのそんなささやかな望みは、夕闇の最中にぼんやりと溶け込んで行くのであった。
*
「まあ、此処しかないよね……と言うか、うってつけの場所は、此処しかない」
二人との会合の後。ランディは、一人かの地へと足を運んでいた。真っ暗な雑木林にぽつりと空いた空き地。雲一つない空はとっくの疾うに夜の帳が降り、夏と秋の狭間に煌めく星々が姿を見せている。珍しく風の無い穏やかな気候。足から伝わるのは、草花の感触のみ。
丁度良い高さの切り株に小さなカンテラと二振りの剣を置き、ランディは辺りを見渡すと端の方に大きな墓標と小さな墓標がそれぞれ一つずつあった。己が鍛錬をするのならば此処しかない。彼らの前でなければならない。見届けて貰うのだ。
「これだけの目があるんだ。半端な事なんて出来ない」
この場を選んだのは、逃げ場を作らない事に他ならない。極限まで雑念をそぎ落とすにはとっておきの場だ。何せ、彼らの前では生半可な自分など、恥ずかしくて見せられない。
「先ずは……」
切り株の前でランディは、ゆっくりと胡坐を掻くとそっと目を瞑り、これまでの軌跡を振り返る。これは、総括だ。集大成を迎えるには、きちんと辿らねばならない。これまで見落としていた小片を手繰り寄せ、答えを導き出す。
「そう……明確な最初の小片は君たちだね」
そう言うと腰に差していた一本の小刀を手に取り、目を開いてじっと見つめる。その問いに小刀は白い霞を顕現させて強く震える。それを肯定と捉えたランディは、首を縦に振る。
「切羽詰まった状況で頼ったのが始まり……それから少しずつ動かせる人数も増えた。その時、気付いていれば良かったのかもしれない。だって俺のやっている事と言えば、『力』の供給と単純な指揮だけ。それだけで情報共有と意見の交換も出来て……戦闘時は適宜、それぞれが思考し、集団として最高の戦術を繰り広げてくれた」
思えば、それこそが己の全てだった。心を通わせ、繋がる事。それが己に与えられた唯一無二。それに気が付けてこんな遠回りをする必要も無かったのかもしれない。




