第肆章 再誕と誕生 7P
「そうか……その覚悟。しかと見届けた。ならば、それに見合う答えを某も齎さねばな」
「……ありがとうございます」
レーヴの言葉にランディは、瞳を輝かせる。
「先程も言ったが、この剣は既に役名を終えておる。修繕は不可能。だが、石は別だ」
折れた剣を前にレーヴは言う。当然だ。上手く繋ぎ直したとしても見た目が元通りになるだけで強度の面においては、どうしても性能が落ちる。実戦に使用するのであれば、それでは意味が無い。ならば、どうする心算なのか。ランディは首を傾げる。
「出来る事は、一つ。新たなる剣へ移し替えるのだ」
「……」
「その剣には、兄弟がおる。まだ、日の目を見ておらぬ兄弟がな。何時の日か……かの青年と相まみえた時にと用意しておった。それを使え」
レーヴは、アンジュの為にもう一振り同じ型の剣を打っていたのだ。まさかこの様な形で別の者へ譲り渡す事まではレーヴも想定していなかったが。無論、新たな剣として蘇るのならランディも異論は無い。寧ろ、レーヴの為に造り出されたものであれば申し分ない。
「時間はどれくらい掛かりますか?」
「現物はある。常に携えて旅に出ていたからな。手入れを終えた後、直ぐに取り掛かれる。時間は掛からん。今日中に渡せるだろう」
「では、直ぐに」
「委細承知した」
レーヴは一度、部屋から外に出て直ぐに長袋を携えて戻って来た。袋から姿を現した一振りの剣は、アンジュが使用していた剣と同じ両刃の剣そのもの。装飾が無かった鍔に曲線の模様があしらわれている所以外は、完璧に再現されている。レーヴは、剣の調整をあっという間に済ませ、最後に折れた剣から石を移し替え、作業を終えるとランディに手渡す。
「……終わったぞ。出来栄えの確認を」
「ありがとうございます」
ランディは両手でその剣を受け取り、確認する。寸分の狂いも無く、研ぎ澄まされた刀身と刃。錆や汚れも見受けられない。来る日の為にレーヴは、一度も手入れを怠っていない。作業が早かった理由もその弛まぬ努力のお陰だ。新たな剣に魅入られたランディは、じっとその綺麗な刀身を見つめ続ける。それと同時にランディに自信が漲った。
「流石です……翁。これなら出来る」
「某を見縊るでない。折れた方は、某が手厚く葬る。良いな?」
「是非……お願いしたします」
愛刀を左手、アンジュの剣は右手で握り、軽く構えるランディ。だが、やはり慣れぬ真似はするものではない。どうにもしっくり来ず、ランディは苦笑いを浮かべる。そんなランディを見て呆れたレーヴは大きな溜息を一つ吐く。
「矢張り……二刀流はキツいですね。出来る気がしません」
「だから言っただろう? お前が師匠から受け継いだ戦術は、その血と肉体に沁みついておる。切っても切り離せない……本当に出来るのか?」
「出来る、出来ないの話ではありません……やり遂げるのです」
「何故……其処まで己を追い込む?」
その問いにランディは答えるべきか迷った。己の追い求めるものが不純なものでは無いかと言う小さな不安が過ったからだ。もしかしたらレーヴの顰蹙を買うかもしれない。そんな不安もこの恩の前ではちっぽけなものに過ぎない。恥を忍んでランディは重い口を開く。
「未だ—— 俺は未完成の身。その集大成が恐らくこれなのです。今まで目を背けて来ましたが……好い加減、向き合わなければ。己を知る為に成すのです」
本質は、其処にある。友との約束もそうだが、先ずは己を知らねばならぬ。そうでなければ、振るう剣に迷いが生じる。新たな決意を象徴するものがランディには必要だった。
「二つ目の名か……確か坊には、皆が影で呼ぶものがあった筈だ」
その最たる象徴こそが二つ名だ。己が信ずる根源そのもの。神の名を冠する唯一無二。
頷くランディに対してレーヴは嘲笑する。勿論、その嘲笑はランディに向けられたものではない。ランディを揶揄する輩たちへ向けられたものだった。
「今となっては現実味を帯びて口にするのも憚られる……『神威』と言う名が。坊には既にあるだろう。それでは不満と申すか?」
其の名を聞き、ランディは肩を竦める。きっとそれが己を示す記号となるのだろう。しかしながらまだ、手が届いていない。この先に其の名の真価が待って居る。
「……まだその名に見合うだけの実力がありません。俺だけの何かを見出さねば、名前負けです。もし、その名を冠するとしたらその本質を俺は、生み出さなければなりません」
「面白い……ならば、やって見せよ。中途半端は許さん。その名を国中へ轟かせるのだ」
「はい……」
ランディの言葉にレーヴは腹を抱えて笑う。決して馬鹿にしているのではない。偉大な始まりを前にした歓喜の祝福だ。回り出した歯車を前にレーヴは期待に胸を膨らませている。
「再誕と誕生を同時に見られる日が来るとは……長生きはするものだな」
「翁には、まだまだ生きて貰わねばなりません」
「止めろ。これでも淡々と過ぎる日々を眺めるのは、飽きていた所だ」
「そうおっしゃらないで下さい」
ランディの労いにレーヴは首を横に振る。
「もう満足なのだ。某の技術も無事、後続へ継承し終わっておる。身体も以前より自由が利かなくなった。後は、残された時間で生き恥を晒すのみだ。悔いは無い」
頬の火傷痕を右手でなぞりながらレーヴは、満足げに微笑む。達観とは別ものだ。全力で己の生を生き切ったからこそ、その結論に至った。ランディが口を挟む余地は無い。
「……そう言えば、帯同していたお弟子さんは何処へ?」
「今は、一人旅をさせて研鑽を積ませておる。己の目、耳、肌で見聞を広げねば。そう。最後の試練だ。剣の鍛え方は、認めておるが、まだ足りておらぬ。それを気付かせている所だ」
「剣を鍛える道も難関ですね」
「それだけの鍛錬を続けねば、戦人の背を預けるものは生み出せん」
「左様ですか」
それぞれが試練を与えられている。自分だけではない。レーヴの弟子もそうだ。きっと耐え難い困難に直面し、それらを乗り越えて新たな自分と出会っているだろう。今となっては、それも悪くない。ランディはそう思った。
「さて……今日は昔話を語って貰おうと考えておったが、次にお預けだな」
「時間も遅くなりましたし。すみません」
「また、顔を見せよ……いや、某が坊の下へ参る。それまでは生きておれ」
「はい。またのお目見え心待ちにしております」
流石に時間も遅くなり、レーヴが気を利かせてくれた。ランディは帰り支度を済ませるとレーヴの方へ振り返る。するとレーヴは、右手を差し出して来た。
「坊よ。武人としての気構えが出来たな。次に会う時は、坊と呼べぬかもしれぬ」
「そうおっしゃらないで下さい。何時までも糞餓鬼のままですから」
「一人前と認めると言って居る」
「そう言われると……何だか嬉しいですね」
「精々、精進せよ」
「承知しました」
固く握手を交わした後、ランディはレーヴに深々と頭を下げる。
「武神の加護があらんことを」
「祈っていて下さい」
扉を開けて去ろうとするランディにレーヴは祈る。ランディは振り返る事無く、微笑みながら感謝の言葉を返し、また前進する。閉じられた扉を見つめながら静けさを取り戻した室内で一人になったレーヴは物思いに耽る。
「人とはまっこと面白い。出会った時は、本当に頼りないひよっこであった。されど、この短い期間にこれだけの成長が見られるとは……まだまだこの世も捨てたものではない。なあ、 よ。お前の弟子は、確実に己の道を歩んでおる。喜ばしい事だな」
これは序章に過ぎない。皆が伝え、説く新たな物語の始まりだ。交差した一新した紅い意思と蒼い意思がこれから進む道を阻める者は誰も居ない。
其の名は、誰もが認める最強の称号。
其の名が国中へ轟く日は近い。




