第肆章 開演 5P
「それは逃げ……じゃあないですか?」
ランディは恐る恐る尋ねる。
「逃げではない、君にはもっと色々なことを見聞きしなければならない。様々な寄り道をして多くの物を得る時間だ。そう、急ぐことはない」
「……ありがとうございます」
「いやいや、礼を言われるほどのことではない。迷う若者にアドバイスをするのも年長者の務めだ……それよりも実に分り易い理由だった。ありがとう。それで次の質問だが……差支えなければ聞きたい。君は王都出身かな?」
「いえ、俺の生まれは小さな宿場町です。大体二年前、仕事を探しに王都へは行きました」
「これは私の邪推だが今は差し詰め、王都で少し悪さをしたので逃亡中というところかな?」
まだ湯気の立つコーヒーを一口飲んだ後、デカレはにやりと笑ってランディをからかう。
若い頃には色々な悪さをするものだし、どんな男にも経験があるものだ。
「あははっ。まあ、そんな感じです……」
クリーム色のコーヒーに目線を落としながらランディが寂しそうに笑って誤魔化す。
「―― いや、違うな」
ランディの下手な誤魔化しにいち早く気がついたデカレは真顔で否定の言葉を強く放った。
「違う、済まなかった。そうか、君の目の前にも立ちはだかる大きな壁があったのだな」
「何だか考えていることを見透かされたような気分です。大層な物ではないですけど」
ランディは穏やかな笑みを浮かべた。
「『俺や俺の近しい人ばっかりがー』なんて下らないことを言うつもりはないのです。けど、どうして分かったんですか?」
「君は今、世の中には真っ当な道理が通らないことを知っている顔をしていた。根拠はただ、それだけだ」とデカレは遠くの空を見上げながらポツリと呟く。
「どんな顔ですか、それ……」
ランディもデカレと同じようにずっと続く空を見上げた。少しだけ無言の時間が続く。
「―――― でも難しいですよね」
「そうだな……」
たまたま隣に座っただけ。初対面の間柄。言葉もそこまで交わした訳ではない。
しかしランディとデカレは確かに同じ場所に立って同じ物を見る似た者同士だった。
「そう言えば俺からも一つ聞きたいことがあるのですけど、宜しいですか?」
「何だね? プライベートなことを聞かないと言っておきながら聞いてしまったから私は君のどんな質問でも答える義務がある」
何でも来いとデカレが自分の右胸をドンと叩く。
「いえ、そこまで深く考えないで下さい。俺が聞きたいのはデカレさんがどうして旅をしているのかって言う質問です。つまりはさっきと立場が逆転する訳ですね」
ランディはデカレの旅が娯楽と考えていた。だから面白い話が聞けるのではと思ったのだ。
「そんなことを聞いてどうする? とても詰まらないぞ」
鼻で笑うデカレはランディの言葉を全く相手にしない。
「いえ、大抵そう言う人に限ってとても興味深い話や考えさせられる物語が聞けるので絶対に損はないです」などと生意気にランディが答えた。
「と君が言っても本当に何もないのだ。ただ、しいて言えば自分探しの旅だろうな――――」
デカレは有耶無耶にする為、見当違いなことを言う。
「そんな青臭いことを言われても……自分探しの旅なら現在進行形で俺もしていますよ」
ランディの顔には「例え、本当のことは話してくれなくとも。もう少し上手い誤魔化し方をして欲しいです」と書いてあった。
「君もなかなか言うな…… 私では残念ながら誤魔化せそうにもない」
「阿呆なこと言うのは得意です」
デカレが手放しでランディを褒め、ランディはにやりと笑う。
「では特別だ。君だけに話そう」
「はい!」と元気よく返事をするランディの目には好奇心だけがあった。
「私が旅をしているのはな…… 世の中を少しでも良い方向へ正す為だ」
無表情のデカレが冷たい言葉をランディへ浴びせかけて来た。
「へっ?」
「さて、このまま楽しい時間を過ごしていたいが如何せん、やることがある。私は行こう」
「……どういうことですか、デカレさん」
ランディは信じられないと言う顔で詰め寄る。
「ランディ一つだけ言忠告しておく。君はこれから町の北東には来ない方が良いだろう。良くないことが多分、起きるからな」
「えっ……」
「よし、良い子だ」と最後に一言だけ言葉を残すとデカレは外套のフードを深々と被り、席を立つ。そしてカップを返して町の北東へ向かう道を歩いて行く。
ランディはただ、呆然とするばかり。デカレの一言に何の意味があるのか分からず、首を捻った。デカレの言ったことをベンチの上で少しの間考えるランディ。暫く考えている間、数日前から聞いていてしかも今朝、フルールと交わした話題が頭の中に浮かんだ。
「まさか!」と何かに気付いたランディはデカレの向かった方角へ足を進める。
「まだ…… まだ間に合うっ!」と言うが足を進めている間、動悸は早まって止まらない。頭にドクドクと血が巡り、熱くも無いのに自然と汗が出て来る。背筋に冷たい物を感じた。
「段々と嫌な予感が強くなって来た!」
心底焦った顔をして後を追うランディ。周りを注意深く見ながらランディがデカレを探す。幸い、行動が早かったので直ぐに見つけることが出来た。茶色の外套に大柄の体格が目印と言うのは見つけやすかったのだ。デカレは飲食店から少し北東にある通りにいた。確かに見つけられたが、フードを深く被ったデカレは一台の幌馬車が止められている空き家。正確に言えば建物の前にいる妙な集団の方へ向っていた。
その集団と言うのが皆、同じような茶色い外套を着ていて粗い木製の仮面を付けている四人組。空き家の前は人が疎ら。近くの町民が世間話をしつつ、仮面の集団の様子を怪しげに窺っている。周辺では既に妙な雰囲気が漂っている。勿論、出所は仮面の集団から。「なっ!」と声を漏らしたランディの顔には苦い表情が広がる。
「デカレさ……」と声が届くぎりぎりの距離でランディが集団の仲間入りをするデカレの名を呼ぼうとしたが途中で尻すぼみになってしまった。何故なら視線の先にいるデカレの右手には既に発射準備がされているらしい回転式拳銃、左手には粗削りな木製の仮面が握られていたからだ。
次の瞬間。
ランディの考えていた最悪の事態が始まった。一と彫ってある仮面を付けたデカレの右手は空に向かって高々と上げられ、言葉に表せない低音と共に軽い破裂音が装填で間を空けながらも二回響く。銃をデカレが撃ったのだ。辺りは時が止まったように一瞬で静寂に包まれた。銃声と共に何処からともなく、仮面を付けて茶色の外套を羽織った者達がぞろぞろと空き家の前に集まって来た。彼らには同行者がいた。町の住人らしい。年代は老若男女問わず、バラバラだ。その中には何故か、顔を真っ青にさせて怯えた様子のルージュ、ヴェールの二人もいる。
二十人ほどの仲間と思われる者たちが集まった所で仮面をつけたデカレは遂に口を開いた。
「もしかしたら何処かで聞いたことのある者がいるかもしれないが一応名乗らせて頂こう」
デカレが言葉を続ける。
「我々は名も無き盗賊団である、この『Chanter』は我々が占拠させて頂いた」
ランディは奥歯を強く噛みしめ、デカレの冷たく、それでいて腹に響く言葉を静かに聞いた。
「我々の要求はこの町の金と食糧だ。即刻、用意をして貰いたい」
デカレの宣言が終わった後、女性の大きな悲鳴が一つ上がった。その悲鳴が引き金となり、時間を取り戻した周りの人間が関を切ったように逃げまどう。
「くっ……」
火薬の焼け焦げる匂いが広がり、混乱が支配するこの場にランディは俯き、立ちつくすことしか出来なかった。
こうして『Chanter』を舞台に悲劇は始まったのだ。
上巻おわり 下巻に続く




