第肆章 再誕と誕生 5P
「これでゆっくり話が出来るな?」
そう言うとレーヴは背広を脱ぎ、椅子に掛けるとシャツを肘の辺りまで捲り、短く刈り込んだ髪を撫でつけ、手拭いを頭に巻いた。その様子をランディは固唾を呑んで見守る。
「そうですね……その前にお渡ししておきますね」
「うむ……」
話の前に持って来た袋の内の一つをレーヴへ手渡すランディ。ランディの手から袋を恭しく受け取ったレーヴは、早速それを取り出す。袋から姿を現したのは、見慣れた己の相棒。
「随分と……消耗しておるな」
細かな傷が幾つも着いた鞘と引き締まった革の握りを見ただけでレーヴはある程度、剣の状態を把握した。思いも寄らぬ邂逅の時。初めて手入れをして貰ったが、その時から更に幾多の戦乱を超え来た。勿論、鍛錬も欠かさず。その結果が今、レーヴが手にしている代物。
全てがランディを物語っていると言っても過言では無い。
「あれから度重なる連戦続きが……出来る限り手入れはしたのですけど」
「まあ、職人では無いのだから仕方が無い。刀身自体に極端な変形は見受けられない。流石に刀身の傷と刃こぼれは工房で無ければ、対処が無理だ。今、出来るのは持ち合わせの砥石で軽く研ぎ、切れ味を戻すくらい……と言ってもそれが必要であるかは別だがな」
「是非ともお願いしたいです」
「承知した」
ゆっくりと鞘から刀身を抜いて細かく剣の状態を確認し、寝台の下から大きな背嚢を引っ張り出す。その背嚢の中から目当ての商売道具を幾つか取り出すと床に広げた。それからレーヴも床に胡坐をかき、剣の手入れを始める。手始めに使い古された布切れで刀身を丹精込めて磨き、目立つ汚れを落とす。視線を剣から外さず、レーヴは言葉を紡ぐ。
「しかしながらこやつも本望だろう。己の与えられた役名を全うしておる」
「本当にそうでしょうか? 他の方達は、ぞんざいな扱いはしません。それにきちんと手入れをして常に綺麗な状態を保っています。役割と言ってもこれと言ったものは……」
消耗したこの剣が幾ら名工の一品だとしても全てが台無しだ。レーヴの打った他の剣であれば、そんな事は無い。持ち主達は皆、丁重に扱っている。それがランディにとっては理想であると思っている。だが、レーヴはその考えをよしとしない。
「馬鹿者め……某の目を何だと思っている。真逆なのだ。手入れなどに現を抜かしている暇があるなら一太刀でも振るうべきなのだ。加えてかの紛い者達は、刀身を万遍なく覆う。されど、それでは継続戦闘に支障をきたす。少なくとも大戦前の騎士達は、それを分かっていた。だから能力の使用を坊と同じく刃だけに限定する。そして、本来の刀剣ではあり得ない切れ味を実現した。そのお陰で己の体力も温存しつつ、眼前に立ちはだかる数多の敵を薙ぎ払った。勿論、それは他国の兵に限らず……である」
腰に携えられた剣は、その持ち主の生き様を表している。剣に刻まれた傷は何かを守った証に他ならない。レーヴが以前、言った通り。レーヴが打った剣は、使われるべきもの。その本懐は、武と共にある。だからランディと幾多の戦乱を切り抜けたこの剣をレーヴは持ち主の命を守り続けた忠義者であると言っているのだ。
「戦果の功績は、別として……まあ、刃だけに限定すれば、楽だし。それに研鑽によっては力を入れなくとも刃が滑って斬られた本人すら胴体を両断されてるのも気が付かないって事もあるそうですし……言葉にするだけでも恐ろしい話だ」
「そうだ。その代わりに刀身自体は、傷つく。だから職人の手入れが必要なのだ。それを全く分かっておらぬ。まあ、坊の場合は刃も研磨せねばならぬのが……些か納得出来ぬ」
「俺の場合は、『力』使わないで振るう場面もあったので」
「まあ、使い方は様々だ。文句は言っておらぬ。実際、騎士団の長はもっと凄まじい」
一度、他人の手に渡れば、その使い道に文句を言う心算はレーヴも無い。寧ろ、ランディの方が使用頻度に対して損傷が少ない方だ。まだ刀身が生きているので致命的な破損にも至っておらず、本格的な修理も必要が無い。砥石を水につけ、ランディの剣を研ぎながらレーヴはかの大戦時にあった出来事を思い出す。
「あの使い方は……品が無い。あんな大きな力を毎回毎回出力すれば、剣への負担も相当なものでしょう。翁の剣でも最大五発が限度。それで刀身が溶け落ちるか、砕けます」
「戦に品性を求めるのも可笑しな話ぞ? だが、概ねその通りだ。あのお方の全盛期は、それは、それは凄まじいものであった。一度、戦場へ出陣すれば何本も失われたものだ……それでも守られる命があったのだから仕方が無い話だ」
ランディもかの騎士団を纏める長の戦い方を一度、目にした事があった。確かにあの圧倒的な武の境地を見せつけられれば、眼前の敵も恐怖に怯える。しかしながらその戦果を挙げるにはその力に答える剣が必要であった。生半可な刀匠の作ったものなど話にならない。その求めに答えられたのがランディの目の前に居る名工なのだ。
「そう思えば、幾ら傷ついたとしても共に激戦を何度となく潜り抜けたこやつは、本当に果報者だ。坊の誇りを守る忠義者としての役名を与えられ、本望だろう。そうだ。昨今のアレらは、矜持を欠いておる。実に腹立たしい」
鮮烈な戦いが目に焼き付いているからこそ、生温い輩が腹立たしい。レーヴの静かな怒りにランディは苦笑いを浮かべる。何を尊重するかは、個人の自由。されど、今の時勢に物騒な話は似合わない。先人たちが命を賭してやっと手に入れた平穏なのだから。その平穏に胡坐を掻く者が居たとしてもそれこそが平和が齎された証である事に間違いない。
「そう言わずに。彼らには彼らの守るべき何かがあるのですよ」
「……」
「本当にそう思っているのか? って顔をしないで下さい」
「坊も分かっていて言葉にするから悪いのだ」
レーヴの言う通りだ。きっとその姿勢に本質など存在しない。あるのは形骸化したしきたりとお飾りの称号、高慢な虚栄心だけ。恐らく先人たちが築いた偉大な精神は、受け継がれていない。そして同時に刻まれた功績も時代を経るにつれて霞んで行く。今日に至るまでの軌跡が忘却の彼方へ追いやられてしまえば、この恵まれた環境すらも常態化し、その有難みも無くなってしまうのだろう。皆が望んだ事とは言え、その在り方には常に疑問を持っておくべきである。尊い犠牲の上に己が存在している事は、決して忘れてはならない。ぼんやりとした安寧に飲まれ、単に身を委ねるだけになってしまえば、この平和も偽りになってしまう。だからレーヴは、怒っているのだ。
「されども……坊にも足りないものがある。それは、気合い。あの御方の様に覇気が無い。もっと、精神面の鍛錬をするべきである。あの方は、一戦、一戦に己の命を投じておる。刹那的な死線を潜り抜けてきた猛者。それは、先程にも上げた大戦で散って行った騎士達の方がよう知っておった。坊も技術と能力の面では完成されつつあるが、唯一の欠点は其処だ」
「俺は……誰かを見送る剣になりたくないんです。何方かと言えば、生かす剣でありたいのです。もっと言えば、こんな平和な時代になったからこそ、もう用済みでは無いかと」
「そんな寝ぼけた事をのたまっておったら守りたいものも守れぬ。未だ、その力は必要とされておる。それは、人としての在り方を指し示す『力』。揺るぎない指針だ」
怒りの矛先が自分にも向けられ、ランディは溜息を一つ。




