第傪章 夏を惜しむ音 10P
広場に到着するとランディは水と酒を調達し、隅っこの石垣で一休みするフルールに水を手渡す。手渡された水を一気に飲み干し後、大きく息を吐いてから脱力するフルール。
落ち着きを取り戻したフルールの隣に腰を掛け、買った酒を煽るランディ。
「俺の所為でこのところずっと気が抜けなかっただろう?」
「やっと……肩の力は抜けた」
「面倒見て貰ってたからね。まだ本調子ってワケじゃないけど。お陰様で日常生活の範囲ならどんな体を動かしても痛みは、ほぼ無くなった。長い間、申し訳——」
「違うの。あなたの所為じゃない。これは、あたしがしたかった……いいえ。しなければならなかった事。そんでもってこんな事くらいで全部の責任が取れた訳じゃない」
「君が背負うものは何もない」
「いいえ……ある。あって欲しい」
広場の中心で音楽を奏でる楽隊をぼんやりとした瞳でフルールは、見つめる。気丈に振舞っているのだが、どうにも声色に心細さが滲んでいる様に感じてしまうのはきっと気の所為ではない。そんな複雑な心境の彼女に自分が出来る事と言えば、一つ。ランディはフルールの頭をゆっくりと撫でた。するとフルールは、全力でランディの肩に寄り掛かって来る。
「あたしだけ蚊帳の外って可笑しいでしょ? アンジュは、アンジュなりに。あなたは、あなたで責任をきちんと全うした。なら最後の後始末は、最後まで責任を取って無かったあたしがするの。でもそれで全部、元通りってワケには行かない。許してくれない子だっている。だからそれは、きちんと背負わなくっちゃ。無かった事には出来ない」
ランディを見上げながらフルールは、言葉を続ける。
「言葉を返すわ。あなたが背負うものは無いの。アンジュの分まで頑張らないといけないのは、きっとあたしだから。だからランディ。あなたは、あなたらしくあって。お願いだからアンジュになろうとしないで。それは……きっとアンジュの望んだ事じゃない」
「大丈夫。それは無いよ。そんな事したらアンジュさんに余計なお世話だって怒られるから。今は……俺らしさって奴を探してる。ずっと目を背けて来た。これまでは、大義って奴に縋ってばかりでその中身にまでは拘らなかったからね。だから俺が何者であるか、誰に対しても言えるものが無かった。他人に理由を依存していた。自分の存在意義さえも。でもそうじゃない。依存すべきはその人そのものだったんだ。誰かと共に歩む事でやっと差別化が出来る。存在意義も他人から求められるからじゃなくて自分が決めるものだった。一人じゃあ、何も分からないままだった。それは……今だから言えるけど。アンジュさんも同じだったね」
失って気付いたものがある。決して無駄にはしない。尊い犠牲等と簡単に片づけない。
今もランディの中でアンジュは、確かに息づいている。
「自分が成すべき事くらいは、自分で決めるよ。でもそう決意したからと言って全部を手放せる訳じゃない。きっと立ちはだかる壁は、待ってる。それから逃げられる術はない」
業も宿命も。己が何者であるか。それを世界に叫べば、代償は必ず己に付き纏う。
「……どんな犠牲を払ってでも逃げろって言っても?」
「うん。それは、きっと違う。例えば、君やシトロン。レザンさんやルー、ユンヌちゃんにオウルさん。ブランさんやルージュちゃんにベル。その他にも関わった人達に危険が及べば、やっぱり俺は立ち向かわないと。でもそれは、大義の為じゃない。俺が生きる為に必要な要素だから。欠けてはならない大切な人達だから守る。それだけさ」
灰となった約束から生まれた新たな約束。その約束は、胸の中で燃え続けている。
「そして、皆と共に歩む為に。俺も必ず戻って来る。だって俺が戻らなきゃ本末転倒だもの」
二言は無い。だから行く末を見届けて欲しい。ランディは、フルールにそう願う。
「だから二度とあんな真似はしない。約束するよ」
「納得出来ないけど……今日は。今日だけは引いてあげる」
「ありがとう」
互いに微笑みを交わす二人。フルールの酔いも覚めたのでそろそろ良い頃合いだ。
ランディは立ち上がるとフルールに右手を差し出す。
「さて……休憩も終わりだ。行こう」
「行こうって……何処に? 此処で良いじゃない?」
首を傾げるフルールをランディは鼻で笑う。否、違う。本日に集大成はこれからなのだ。
「何言ってんのさ? 座ってばかりじゃあ、音楽の本質って奴を楽しめないだろう?」
「えっ? まさか……」
「分かって無いな……折角、楽隊が来ているんだから美しい音に身を委ねないと」
「……本気で言ってる?」
「誰も踊ってないからって踊ってはいけないワケじゃないだろう?」
「やだ……やだ……恥ずかしくて死ぬ」
「そんな理由で人が簡単に死んでたら舞踏会が恐ろしい惨劇の場になってしまうさ」
「そう言う意味じゃないっ! 馬鹿なの?」
思わぬ不意打ちに尻込みするフルールを力強く引っ張り上げ、ランディは腰に手を回す。全力で足を踏ん張るフルールを引き摺ってランディは、楽隊の前へ堂々と足を踏み入れた。
「任せて。一応、礼儀作法の一環で勉強してる……と胸を張って言ったものの。所詮は付け焼刃だからあんまりあてにはしないでね。ぶっちゃけ、下手くそだからって誰も笑わないさ」
「そう言う事、言ってんじゃないっ! やめて——」
唐突な乱入者を前に楽隊は、奏でる音を止めた。されどランディの意図を察した楽隊は急遽、気を利かせて陽気な楽曲から優雅な舞曲に変えてくれる。流れる音楽に身を任せ、ランディは不器用な先導ながらもぎゅっと目を瞑ったフルールを音の奔流へ誘う。
「ほら……目を開けて? どうって事ないだろう?」
「—— ほんとのほんとに。どうでも良い所で度胸出さないでよ。心臓が止まるかと思った」
「俺なりに楽しむって言っただろう? これもその一環さ」
「あっそ……」
冷かしの指笛や歓声が上がるもランディは、気にも留めない。そんな堂々としたランディに釣られてフルールも瞳を開ける。動きと共に流れる町の風景と光。そして音が楽隊の奏でる音色が心を高鳴らせる。上から微笑みかけて来るランディにフルールは視線を奪われた。
「君のそんな顔を見れただけで満足さ。勇気を出した甲斐があったもんだ」
「バカらし……」
「そうさ。俺は、底抜けの馬鹿だからね」
段々と聴衆の冷かしも気にならなくなり、フルールはランディに身を委ねる。
もっと誘い方があるだろう。若しくは、事前に教えて欲しかった。だが、今となってはどうでも良い。寧ろ、こんな風に強引な誘い方で無ければ、起こり得なかったのだから。
「こんな真似……他の子にしちゃダメだからね? あたしだから許されてんの」
「珍しい事言うね? 独占欲かい?」
「うっさい」
からかわれ、現実に引き戻されたフルールはランディの足を力強く踏んづけた。
足を踏まれたランディは痛みをぐっと堪え、変らず踊り続ける。
「足は……踏んじゃいけないって……習わなかった? 基礎中の基礎だよ?」
「下らない事言ったランディがわるい」
「報復にしては質が悪い」
「質の悪いのを誘ったのが悪い」
「そう……かもね」
満面の笑みを浮かべるランディに対してフルールは頬を赤らめながら顔を俯かせる。
「さあ、真似して乱入者が増え始めたぞ? 俺達も負けてられない」
「もう、良いでしょっ!」
最後まで踊り切り、一区切りついたのでその場を離れようとするフルール。手を取り、ランディは次の曲へと誘う。もう、二人だけではない。二曲目の始まりと同時に聴衆の中から我も我もと舞台へと上がる者達が出て来たのだ。
「ダメ、ダメ。寧ろ、これからが本番さ」
「言う事、きけっ!」
夏を惜しむ一夜は、まだ終わらない。
かくして暫くの間、失われていた伝統が久方ぶりに蘇ったのであった。




