第傪章 夏を惜しむ音 9P
気が付けば、気を利かせたタミアが既に二杯目の麦酒を持って後ろで控えている。その麦酒を受け取るフルールは晴れやかに笑った。
「五杯目の前に小休止だよ? そうしないと十中八九寝るから」
「承知しました。助言、ありがとうございます」
「気持ち良く帰って貰いたいからね。これくらい、お安い御用さ」
新に増えた心配事で頭を抱えるランディへタミアが去り際にそっと耳打ちをする。其の的確な助言にランディが礼を言うとタミアは、茶目っ気たっぷりの目配せを返して来た。
何時までも卑屈になっている訳にも行かぬ。せめても料理だけは楽しまねば。早速、ランディは蝸牛の窯焼きに手を出した。出来立ての蝸牛は火傷をしてしまいそうなくらい熱い。
その熱い中身を少し冷ましてから一気に口へ放り込み、軽く咀嚼した後、麦酒で胃へ一気に流し込む。目をつむりながら余韻に浸るランディを見てフルールは微笑む。
「うん……これだけ美味しいなら値段相応だ」
「損何てさせない。絶対に気に入ると思ってた」
「橄欖油の香りが何とも……香辛料と程良い塩味で酒が進む」
「気取った詰まんない感想。その癖、如何にかなんない?」
「……一言言う度に文句を言わないと死ぬ病気にでも掛かってるのかい?」
「そうね。下らない事、言ってる暇があったら煮込み料理も食べてみて。最高よ?」
折角、考え抜いた感想も一蹴され、ランディはげんなりとする。そんなランディに構わず、次の料理を勧めるフルール。煮汁とクタクタになった野菜もランディは甚く気に入った。
「これだったら葡萄酒の方が良かったかな……」
「ウヰスキーで流し込むのもアリ」
抗えぬ誘惑。そして奏でられる音楽が更にランディの心を高揚させる。気が付けば、麦酒の杯も空になっていた。悩む必要も無い。心の命じるままにランディはタミアを呼び止める。
「タミアさんっ! 葡萄酒を酒瓶でっ!」
「あいよ。今日は、特別だ。杯も上品な硝子の奴を用意しよう」
「お願いします」
流れる音楽も牧歌的で田園風景を思い浮かばせる楽曲から躍動的な民謡に移り変わり、ランディの背中を押す。こんな日々を素直に楽しむのも悪くは無い。大きく息を吐いた後、ランディは久々に何も考えず。羽目を外そうと決めた。
「……潰れるなよ?」
「それは、こっちの台詞ね」
「それは、どうかな?」
「あっ! 折角の料理、そんな勿体ない食べ方すんなっ! きちんと味わえっ!」
葡萄酒が届けられるのと同時に油が滴る肉をひと切れ丸のみにしてしまうランディ。騒ぐフルールを尻目にグラスへ葡萄酒を注ぎ、果実の風味にどっぷりと浸かる。
「焼き具合も最高だね」
「ふふっ」
グラスを軽く回しながら微笑むランディにフルールは、大きな溜息を吐いた後、穏やかな視線を向ける。それから暫くの間、料理に舌鼓を打ちつつ、音楽に包まれながら他愛の無い会話を繰り広げる二人。粗方、料理を平らげた後、煙草に火をつけてランディは小休止。
「普段、騒がしい町だからこの風景には驚いてる。牧歌的で……落ち着いてるからね」
「そりゃあ、そうよ。今日だけは、静かに夏の終わりを楽しむの。と言ってもまだまだ汗ばむ陽気は、続くけどね。一区切りってヤツよ。そんなの何処も一緒でしょ?」
「うん、そうだね。夏を惜しむ音か……これまでそんな風に祭りの意図を受け止めていなかったけど……今は何とも……感傷に浸ってしまうよ」
辺りを軽く見渡しながらランディは、雰囲気に酔いしれる。居心地の良い場とは、この事を指すのだろう。出来るのならば何時までも続けていたいと思ってしまう程、この時間がランディは愛おしかった。そんなランディをフルールはじっと見つめる。
「珍しく風流を感じさせる事、言うのね」
「当り前さ。誰だってそんな感情を持ってる。俺だって例外じゃない」
「ふーん」
普段から口に出さないだけで感じてはいる。これまでは、自分がそれを許さなかっただけだ。少しも気を緩ませず、心の奥底で必ず警戒を続けていた。それは、フルールも少し勘付いていたのだろう。もしその所為で気をつかわせてしまっていたのなら申し訳ない。
そんなちょっとした罪悪感がランディを曇らせる。
「なら、今って言う時間を精一杯過ごさないと。特に雰囲気崩すのは止めて。例えば、夕飯の時みたいにご飯をかきこむのもそう。癖なのは分かるけどね」
「どうにもね。沁みついちゃってるから。食える時に食う。即応体制が整えられていないと落ち着かない。でも酒の席では、気を付けてる心算だよ?」
「嘘ね。普段よりも遅いけど……詰め込めるだけ詰め込んで後は、お腹いっぱい。最後の方は、欠伸しながら煙草を肴にお酒ちょっと口付けるくらい」
「大抵、そんなもんだと。ルーの時とかも大体、そんな感じだよ」
フルールの小言にランディが心外だと大きく腕を広げて見せる。確かにそそっかしい印象を与えていたかもしれないが、自分なりに楽しんでいる心算だったのだ。
「冴えない若造が二人。机挟んでしかめっ面してる殺風景な姿が目に浮かぶ」
「固ゆでの卵みたいで良いだろう? 中身まで火が通って食感と味がしっかりした奴」
「寧ろ、オジサン臭い。後、茹で卵なら半熟の方が良い。口いっぱいに濃い黄身の味がする奴。固ゆでは、モサモサして口の水分が持ってかれるからイヤ」
上手い例えをした心算だったが生憎、フルールには全く通用しない。侘び寂びとは無縁なフルールに教え解くのは無理な話。何よりもランディ自身も恰好を付けているだけで本質を理解せず、中身が伴っていないのだから本末転倒な話だ。
「降参だ。降参。分かったよ。今度から気を付ける」
「分かれば、宜しい」
どうにも彼女には敵わない。寧ろ、敵わない方が良いのかもしれない。きっとそれがこの関係を続ける秘訣なのだろう。ランディは、そんな教訓を胸に最後の葡萄酒を飲み干した。
「さて……こうして過ごすのも良いけど。もうそろそろ時間だ。向こうで飲む酒も途中で買おうか。まだまだ、飲み足らないだろう?」
「そうね。後は、甘い物も」
「まだ、食べられるのか……」
「甘い物は、別腹」
「左様ですか……」
立ち上がり、フルールを促すランディ。さらりと会計を済ませてからフルールを伴い、大通りを歩き出す。酔いで足元が覚束ないフルールを軽く支えながらランディは目的地を目指す。そう。今宵はこれで終わらない。まだ、ランディにはやりたい事があるのだ。
「っ!」
「危なかっしいなあ。ほんとは、飲み過ぎたんじゃないの? どっかで一休みする?」
「違う……」
「ほんとに?」
途中で大きく足を踏み外し、よろけるフルールをランディはやんわりと抱き留めた。
何処かで休ませるか。ランディが考えあぐねていると不意に服を強く引っ張られる。
「違う……この雰囲気にちょっと酔っただけ」
「ふっ—— ならもっと酔わせないと駄目だね。何せ、年に一度なんだから」
「其処らの尻軽な女と同じだと思ったら大間違いよ? 絶対、痛い目見るから」
大きく口を開けて歯を剝き出しにするフルール。威勢だけは一端のフルールにランディは、やんわりと微笑む。そんな事は、考えてもいなかった。自分がしたい事は、もっと心が躍る愉快なもの。そしてそれを目の当たりにしてフルールの驚く顔も見たかった。
「そんな事は、思っちゃいないよ。俺なりの楽しみ方があるのさ」
「あっそ——」
歩調に比例して流れる照明の仄かな光と色とりどりの音色。筆舌し難い雰囲気にランディは胸を躍らせる。こんな日が過ごせる事を。許される事を。感謝してもしきれない。
「水だよ」
「あんがと……」




