第傪章 夏を惜しむ音 8P
日の目を見ない暗闇の昨日は、己が背負う。その代わり、明けの明星が輝く明日はフルールが。ランディは、そう心に決めていた。其の為だったら何でもする覚悟も持っていた。今更、全てを覆す様な事を言われてもランディは、首を縦に触れない。そんなランディにフルールは、悲しげな微笑みを浮かべながら頬に手を添える。
「毎回……あなたは全部、歪んだ解釈に至るのね? 悲観的で最悪の事態に備えてばかり。分からない訳じゃない。それは、あなたが怖がりだから。そうしなきゃ、生き抜いてこれなかったから。でもそんな考えから好い加減、抜け出さないと……抜け出させないとまた、同じ事が起きる。あなたは、一人で駆け出しちゃう」
「……」
次は無い。自分でもそれは分かっていた。もし同じ事が起きれば、帰って来られない。それでは、新たな指針に反する。その自己矛盾には答えが無い。しかしながらこのままでは、フルールも自分と同じ修羅の道を歩む事になってしまう。それだけは避けたかったのだが。
「多分、アンジュが言った事はそんな事じゃないでしょ? あなたに願った事は、もっと素直に受け止めなきゃいけないもの。確かにあたしは、ずっとあなたに守って貰ってた。でもこれからは、違う。あたしの事は、あたしで解決出来る。大丈夫。露払いも要らない。あなたにやって貰う事は無い。これからはあたしが全部、何とかする」
「……それが君の足枷になって俺と同じで前へ進む事へ臆病になってしまっても?」
「血反吐を吐いても歩き続ける—— その覚悟はあるわ」
フルールの決意は揺るがない。茶色の瞳は未来を見据えている。どんな苦難が待ち受けていたとしても自分の一部としてこれからも背負って行く覚悟を持っていた。そんな覚悟を見せつけられてしまえば、ランディも引き下がるしかあるまい。
「そうでもしなきゃ。また、あなたを独りにしちゃう」
「っ!」
止めの一言でランディの瞳が大きく開く。差し伸べられた手は拒めない。
「言ったでしょ? あなたを独りにさせないって」
「きっと後悔するよ?」
「賢く生きるのには、もう飽き飽き。丁度、したかった所よ」
「そうかい……」
これもきっと間違いなのだろう。だが、こんな間違いならば悪くは無い。何方にせよ、そんな覚悟を背負わせた原因の自分にはこれ以上、何も言う資格は無かった。
「んっ!」
「ん?」
ランディの頬から手を離し、フルールは改めてランディへ差し出す。
「手……出して。離れない様に……離さない様にしないと」
「……ありがとう」
そう。今日集ったのは、終わりを迎える為ではない。始まりを共に始める為だ。一夜限りの穏やかな町を堪能する為の。ランディは、それをすっかり忘れていた。
「別に……似合っていない訳じゃない。活発さが影を潜めて何時もの君と違って淑やかだから。落ち着きのある大人な雰囲気と言うべきかな?」
並んで歩き出す傍ら、ランディは遠くの景色を眺めながら呟く。
「そう。成長したの。何時までもお転婆気取る訳にも行かないから。好い加減、落ち着きと上品さを纏わないと……年取ってから困るもん」
「そう言っている間は、まだほど遠いね。行動が言動に伴ってない」
「喧しい」
鼻で笑うランディの肩にフルールが己の肩を軽くぶつける。
「今のあたしは……ダメ?」
「何とも……中途半端過ぎて。其処が恐ろしく魅力的だよ」
「むっ!」
最早、偽る必要も無い。心からの言葉にフルールは少し頬を赤らめる。下らない会話だが、それが今はこの上なく愛おしい。こんな時間が何時までも続いて欲しいとランディは願う。
そんな一幕を繰り広げているうちにフルールの行きたい出店へ二人は辿り着いた。
「さて……労働の対価が支払われる時間よ。今日は、たっぷり楽しまないと」
「と言っても支払いは、俺なんだから対価も糞も無い」
早速、空いている席に通されるとフルールは、気合を入れて肩を鳴らす。今からどんな仕打ちが待って居るか。ランディは、想像したくなかった。これから起きるのは凄惨な惨劇。
大きな出費と言う大きな痛手がランディを待って居るのだから。
「食事の席よ? 下品な言動は慎んで頂きたいわ」
「目を爛々と光らせて今にも涎を垂らしそうな君に言われたくないよ。あくまでも音楽祭だからね。この場の雰囲気を楽しまないと。音楽に包まれながら教養を深め、心を豊かにする事こそが本来の目的だ。酔っぱらって潰れたら元も子もない」
辺りを見渡せば老若男女問わず、様々な客層が質素な樽の食卓を囲み、音楽に耳を傾けながら酒を楽しんでいる。勿論、そんな風情を楽しめと言ってもフルールは聞く耳を持たない。
「ほんと、小姑。タミアさん、麦酒二つ。後、これとこれ。後、これもっ!」
「はいよ、フルール。ちょっと、待っとき。それにしても今日は二人揃って逢引きかい? ランディくん。お祭りだからってあんまり羽目を外すんじゃないよ?」
恰幅が良い給仕の女を引き留めてフルールが注文を始める傍らでランディは、呻き声を漏らす。そんなランディの姿を見て給仕の女は笑いながらその背を叩く。
「分かってますよ……タミアさん。寧ろ、俺は財布の中身の方が心配で楽しめません」
「どんどん使っておくれ。偶には、羽目を外しても良いだろうに。折角のお祭りだよ?」
茶色の巻き毛に笑い皺が特徴的なタミアは先程の言動とは反対の事を言い、場を盛り上げて来る。それも当然だ。普段よりも一段と羽振りを良くして見栄を張らねばならない若人がのこのこと呼んでも無いのに訪れているのだから。
「さっきと言動が正反対なのですが……商魂逞しいなあ」
「そりゃあ、稼ぎ時だからね。態々、招いても無いのにカモが葱背負ってやって来てる訳だ」
「確かに……おっしゃる通り」
きっと、今の自分には見えない付箋が張り付けられている。間抜けと書かれた付箋が。
そう考えると、ランディは落ち込まずにはいられない。
「しかもそのカモは、見栄を張らないといけない場面で尻込みも出来ない。諦めるんだね。男を見せてなんぼだろう? 何、弱音を吐いているんだい? 精々、格好をつけるんだ。安心しな。責任持って私が骨を丁寧に拾ってあげるさ」
「身包みを剥がされる—— の間違いでは?」
「どっちも同じだろう。結果的には」
「はあああ—— 何ともこの世は、非情だ」
世知辛い社会の仕組みの中心で哀を叫ぶランディ。勿論、フルールに慈悲の心は皆無。
「タミアさん。そんなバカ、放って置いて。早くっ! 早くっ!」
「あいよっ!」
暫くしてから大きな杯になみなみと注がれた麦酒と共に蝸牛の窯焼き、野菜の煮込み料理、それから牛の炙り肉が運ばれて来るとランディは思わず、空を仰ぎ見る。
「随分とお値段が張るものを……さては、狙ってやったね?」
「流石ね……完璧だわ。これだったら葡萄酒でも良かったかな?」
「聞いてないし……こうなったらどっちも一緒だよ。もう、味何て感じない」
「楽しまないと損よ?」
「誰の所為だと……まあ、良いっか」
無粋な言葉で水を差す前にランディは、口を噤む。この時を待ち遠しくさせてしまっていたのだから。幼子の様に目を輝かせるフルール見てしまえば、何も言えまい。寧ろ、自分が彼女に対して暗い影を落とすだけの存在ではない何よりの証拠でもあった。
「くうううっ!」
杯の中身を見てみれば、既に四割くらいまで減っている。あまりの豪快さにランディは、呆れて言葉を失う。この進度で飲み続ければ、直ぐに酔いつぶれてしまうだろう。
「良い飲みっぷりだねっ! そんな事だろうと思ってもう一杯持って来てるよ」
「流石っ! タミアさん」
「あんまり調子に乗るんじゃないよ? この後、広場で楽隊の演奏を聞くんだろう?」
「分かってる。分かってるけど……ダメね。体が全く言う事、聞かない」




