第傪章 夏を惜しむ音 6P
遠く離れた故郷へ思いを馳せている内に己と同じ境遇にあった師を思い出す。きっと、師も同じく悩んだに違いない。課せられた宿命にどう向き合ったのか。更に言及をすれば。何故、数多ある答えの中から選べたのか。ランディには、不思議でならない。
「まあ、ズボラな変わり者を当てにするのもなあ……いや、違う。そうじゃないんだ」
その時、湿り気を帯びた一陣の風が室内を通り抜けた。それはまるで遠く離れたかの地から届けられたかの如く。懐かしい師の面影があった。それを感じたランディは目を大きく見開く。気付きを得たのだ。己の求める答えに近い何かを。
『多分—— 俺と同じ様に沢山、悩んだに違いない。そうか……神の如き速さを以ってしても限界を知ってしまったんだ。その結果が……』
己だけが特別ではない。様々な葛藤と共に旅立ったのだ。恐らく、自分はそれだけの経過を経ていない。それは、師にあって己に無いものが如実に表している。
「なら、俺は何なんだ? 俺は一体……そうかっ! 名は体を表すとはよく言ったもんだ……結局、俺は何も極めちゃいない。この手に何も掴めていない。師匠が到達した限界って奴にすら触れられていない。だって——」
その葛藤にこそ、己が己である揺るぎない証左。まだ、何も始まっても終わっても無い。
『何一つ諦めちゃいない。そうだ……だから嫌って程、悩んでいる。心が叫んでる』
この胸に宿る叫びを。己は、この世界へ轟かせねばならない。
「先ずは、俺が何者かを知らなくちゃ……見極めた先に何かがある」
そう考えれば、抱えていた悩みもちっぽけに思えて来る。
まだやるべき事が残されており、目指す場所も朧気だが見えて来た。
『少なくとも俺には、指針がある。新たな指針が。大事な指針が』
失われていた自信を取り戻したランディは、持っていた酒瓶を一気に呷る。
「自分を大事にしてその先に居る人達も大切にするって決めたんだ」
与えられた言葉が背中を押してくれる。自分は、一人ではない。
『新しい誓約をもって更なる高みへ至らねば、真の名を得られない。其処まで至らなければ、諦めもやって来ない。この『力』が全部じゃない。所詮は、今まで使っていたものも。誰かのものを間借りしていただけだから。俺なりの形を生み出さなきゃ……』
ずっと目を背けて来たそれにやっと向き合う事が出来た。
「始めなくちゃ……俺なりの始まりをっ!」
蒼い粒子を振り切り、ランディの瞳は元の色を取り戻す。
「勿論、あんな事はもう御免だ。あんな思い……三回もしたくない」
絶望の先に光は見出せない。希望は、最初から希望として存在している。
「戦う為の『力』。だけど……俺は、生涯をかけて否定し続けなければならない」
拳を握りしめながらランディは己に言い聞かせる。
「ふっ。恐ろしく矛盾して—— 面倒臭い難解な答えだ」
自分でも鼻で笑ってしまうくらい、皮肉めいた答え。
『でも……俺らしい答えだね。気に入った』
きっとこれまで己を導いてくれていた蒼い意思は正しい。それは、これから先も変わらない。されど、其処に己を生かす理由が無い。その意思に従う歯車としての存在ならば、己である必要は無い。それこそ、誰だって良いのだから。
「出来ない事は無い。だって人を喜ばせられたんだ」
この『力』に意味を齎す存在。だから自分が選ばれた。今は、そう思いたかった。
「まあ、俺が勝手に決めただけで必ず避けられる訳じゃない。これまでもそうだった。これからもそうだろう。それに手を差し伸べて貰えたからって業まで消えた訳じゃない。俺は、新たな向き合い方を模索しなければならない。なら先ずは……治して貰わなくちゃ。俺の魂を刻んだ此奴だけじゃ、全然足りない。残念ながら結果が物語っている。でも二人なら……アンジュさんとならもしかしたら変わるかもしれない。申し訳ないけど……未来を切り開く為に付き合って貰うよ? そして……俺と一緒に俺の辿り着いた景色を見て貰う。それが俺を生かしたアンジュさんの責任だ。まだ引退何てさせてやれない」
そして欠けた最後の小片は、友が残してくれた遺志が鍵を握っている。
「何処まで行っても誰かに頼りっきり。でも……一人じゃあ、生きていけないんだ。生きちゃいけないんだ。誰かが心の中に居てくれないと」
本当に情けない話だ。
『恐らく、それが俺にとって真の名になるだろう』
だが、その情けなさが自分を人として引き留めてくれている。
神話に書き記された超常の存在では無く、一人の人間として。
「ありがとう……友よ」
これまで神話の中でも現存する人物でも成し得なかった自分にしか出来ない事。
恐らく、其処に己の真価がある。そしてその真価を探す旅が今、始まった。
*
「本当にあれだなあ……あの日の夜とまるっきり一緒だ。でもあの時とは違う緊張が」
覚悟を決めた夜からまた時が過ぎ、気が付けば夏祭りの当日。日が沈みかけた夕暮れ時に気楽な私服姿のランディは、『Figue』の前で静かに待って居た。そう。待ち人を。
「春の時には、幾分か気楽だったのになあ。一体全体、何が原因なんだ?」
待ち合わせ場所を指定したのは、ランディ。今日は、出店やら酒場で騒ぐのだから出来れば手頃な近い場が良いと考えたのだ。辺りを見渡してみれば、既に大小様々な明りが灯っており、人で賑わっている。見慣れた風景に変わりはないが、いつもと違って町の喧騒が鳴りを潜め、熱と湿り気を帯びた空気に乗って楽器の音色が至る所から響いている。その音色に耳を傾けながらランディは、精神を擦り減らしていた。理由は、他ならぬ約束事にあった。
前日までは、ランディも単なる祭りの練り歩きだと高を括っていた。しかしながら蓋を開けてみれば、全く違う。待ち合わせの時間が刻々と近づくにつれて胸に格納されている心臓の鼓動がより鮮明に響くのだ。おまけに吐き気まで込み上げて来る。
「煙草が手放せない。胃が痛い……」
違和感だらけの体をランディは、煙草に火を付けて誤魔化す事にした。煙を吐き出すと同時に不安も吐き出せ、幾分か心が軽くなる。雰囲気に飲まれ、余計な事を考えるから心労が増えるのだ。考えた所でどうにもならない。時には、自然の流れに身を任せるのも一手だ。暫しの間、何も考えず、暗い空をぼんやりと見上げていると不意に隣から声を掛けられた。
「早い……時間通りに来てよ。これじゃあ、あたしが遅れたみたいじゃない?」
「多分、時間通りに来たら来たで『遅い。待たせるんじゃない』って言うよね?」
「分かってるじゃない」
聞き慣れた勝気な声。ランディは、ゆっくりと微笑みながら顔を向けると其処には、眉間に皺を寄せながら胸元で腕を組むシトロンの姿があった。服装は、いつも通り。普段と違うのは、真っ黒なリボン髪型をハーフアップにしているくらいだった。見慣れた格好にランディは、安堵する。もし、しこたまめかし込んで来られたら考えものだった。悪目立ちして嫌と言う程、周りから視線を集めてしまい、気軽に連れ立って歩けないからだ。
「なら正しい解は無いね。と言う事は、これが少なくとも最適解だ」
そう言うと煙草を落とし、火を足でもみ消すランディ。勝手を知っている仲だから始めからこの様な展開になるのは、何となく予期していた。下らない揚げ足の取り合いを早々に終わらせるべく、早めに来ていたと言っても過言では無い。
「ああ、小賢しい。小賢しい」
「悪かったね」
じろりと睨み付けるフルールにランディは、肩を竦める。何とも品の無い会話だが、揃って品格とは無縁な田舎者である為、仕方が無い。寧ろ、それがこの場には相応しい。今更、肩肘を張って丁重に持て成す相手でも無いのだから形式に囚われる必要も皆無。




