第傪章 夏を惜しむ音 2P
「それはちょっと……恥ずかしいですね。しかも今は、誰もやっていないのでしょう?」
「うむ。だから廃れたと言っている。改めて言うが、禁じられたから廃れたのではない。単に誰もやらないから風習が消えたのだ。時には他人と違う事、奇をてらってみても良いだろう。寧ろ、そんな不意打ちこそが食への興味を遠ざけてくれる。間違いない」
これが最上の一手だと豪語し、不敵に笑うレザン。思ってもみなかったレザンの案にランディは、苦笑いを浮かべながら困惑する。言わんとする事は理解出来るが、実際に行動へ移すとなれば、話は別だ。考えただけでも既に幾つか障害が立ちはだかっていた。
「あんまり目立つ様な事は—— フルールもやりたがらないと思いますけど」
「引っ張って導く度胸を見せつけてやれば、勝手に着いて来る」
時には、強引さも駆け引きにおいて重要な鍵となる。普段からああでもないこうでもないと言われ、それらをそのまま鵜呑みにしてきたランディにとっては新鮮であり、自信を持って行動に移せるレザンに憧れてしまうのも無理はない。
「流石です……俺でもときめいてしまいました」
「やめろ、やめろ。からかうな」
下らない問答にレザンは、目頭に指を当てて揉み解す。しかしながらその主導権こそ主だった最大の関門である事は言うまでもないし、肝心な点はもう一つある。
「レザンさん。ですが、その計画には致命的な欠陥が。主に俺の所為ですが……そんな度胸があれば、尻に敷かれて何ていませんよ。無理です」
「度胸を養う良い機会と思えば良い。好い加減、主導権を握られてばかりで飽き飽きなのだろう? 恐らく、それはフルールも同じだ。時には、男らしさをみせつけてやれ」
「言われてみれば……確かに」
あっさりとレザンに言い包められるランディ。素直に助言を受け止められるのは良い事だが、それが果たして己の身になるかと言えば、そうではない。そうは言ってもこの場で頑なにそれは出来ないと己の意思を示せば良いと言う話でも無い。最終的にはその時、考え抜いた意思決定する事が度胸と言うべきものなのだからこれ以上の口出しは無粋である。また、誘い方にもそれなりの作法があって然るべきだ。先ず、相手のツボを抑えねば、度胸があっても成功しない。そして合否の結果を下すのはフルールの感性なのだ。それなりに付き合いのあるランディにしか分からない事なので其処までは、レザンも面倒を見られない。
「勿論、無理にとは言わん。助言の一つとして頭の中に入れておきなさい」
「はい。ありがとうございます」
実地訓練あるのみ。若しくは、当たって砕けるしかない。精々、レザンが出来る事と言えば、健闘を祈るくらい。後は、事後の報告があるまで平静を装いながら期待に胸を膨らませ、座して待つしかない。寧ろ、そんな淡い期待がレザンの心を無性に擽る。何せ、それこそが年長者の楽しみであり、若者の背中を押す醍醐味なのだから。
「そう言えば、レザンさんはどうだったんですか?」
「私がどうしたと言うのだ?」
「その……奥方と踊られたのですか?」
「下らん質問だ」
一人で下らない感傷に浸るレザンを他所にランディは、食事の後片付けをしながら純粋に気になった事を口にする。思わぬ、藪から棒でレザンは少し動揺しかけたが、ぎりぎりの所で冷静さを失わず、さらりと流そうとする。だが、真っすぐな追及はその逃亡を許さない。
「で、どうなんですか?」
「当然に決まっておろう? もっと言えば、妻と付き合うまでは他の娘とも踊っていたさ」
「……意外と色男だったんですね。知りませんでした」
「聞かれる事も無いからな。言わなかっただけだ」
珍しく頬を少し赤く染めながらぶっきらぼうに答えるレザン。不意の質問がきっかけでレザンの心中にある感傷が傍観するだけの青い春の色から色褪せかけた思い出の色に置き換わる。レザンの頭の中は、最後の時まで寄り添い続けたかの思い人の顔で埋め尽くされた。
まるで頁が捲られる様に。若かりし日から少しずつ年を重ねて行く過程が思い浮かぶ。
「勿論、結ばれてからも一曲は必ず。それが……約束だったからな」
「いやだ。普段の言動や行動からは一切垣間見る事が無い純情な一面に眩しくて目がっ! ちょっとらしくない上擦った声で耳がっ!」
「馬鹿者が……」
忘れていたのではない。一時的に心の奥底にある箱へしまっていたのだ。胸に空いてしまった大きな穴を埋める為に。乗り越えられたからその思い出の箱を開いても懐かしむ事が出来る。そして、その思い人と紡いだ次の世代が新たな種子をこの町へ届けてくれた。その種は今、己を過去と向き合わせてくれている。胸に込み上げる感情を押し殺し、レザンは敢えて恥ずかしがる振りをしてランディが見ていない隙に目尻に溜まった雫をそっと拭う。
「そうですね……男ならそれくらい頑張らないと」
「頑張りではない。楽しむものだ。現に当時の私は、自然とそのひと時を楽しんでいた。無理強いしている訳ではないと言っただろう? つまりそう言う事だ」
「なるほど……」
だからこそ、失って欲しくない。蘇らせて欲しいと願ってしまう。小さくも燃え盛る強い情念に。未だ、未完成。危なっかしくて頼りなく見えてしまうその背中。されどその若者は、沢山の可能性を秘めている。己の役名はその火が絶えず燃え続けられる様に薪をくべる事。
「逆に年に一度の些細な楽しみでさえ、皆が忘れてしまったからこの町は勢いを無くし、廃れてしまったのだろうな。今となってはこんな事を言っても遅いのだろう」
「表現し辛いですね……その時を生きる一瞬の情熱って言えば、良いのでしょうか?」
「ああ、間違いない。皆、冷静に賢しくあろうとするが故に無くしてはならない熱を無くしてしまったのだ。欲望に忠実過ぎるのもそれはそれで問題だ。落ち着きを間違いと言える程……私も達観してはいない。だが—— 少し寂しさは覚えてしまう」
「深いですね」
「深くも何とも無い。当然の帰結だ。かと言って私が今更、年甲斐も無くそんな事をした所で笑い者になるだけだからな。散々、生き恥を晒したのだからもう十分だ」
きっと自分には出来ない事でも簡単にやってのけてしまう。これまでがそうだった。これからもそうだ。期待せずには居られない。だから託すのだ。たった一つの望みを。
「正確には、『別の相手と踊りたくない』の間違いでは?」
背伸びしてからかおうとする若者に意地悪な年寄りは、拳骨を食らわせた。
「喧しい」
「あいたっ!」
追憶と心の狭間にある感傷から現実の居間に意識が呼び戻されたレザンは思いが先行し、過度な期待を託してしまったのではないかと心配になる。
「……済まない。言い過ぎた。あまり気負うなよ? あくまでもこれは、年寄りの戯言。お前は、お前らしくあれば良い。無理に後追いをする必要も無い」
「いいえ。至極、真っ当なご意見でした。我ながら空気を読んだり、周りをキョロキョロしてばかりで胸を焦がして何かをする事が無かったです。時には、何も考えないで己の感情に寄り添う事も重要ですね。勉強になりました」
「そうだな。思考は参考材料で在り、本質ではない。努々、忘れるな。最後に決めるのは、此処にある大切な部品だ。それを無くすなよ。と言ってもお前は、本当に肝心な場面であれば、何時も此処で決めているからな。その点に関して私は、何も心配はしていない」
穏やかな表情を浮かべたレザンは、晴れやかに笑うランディの左胸に指を差す。




