第貮章 自警団活動記録〇二 18P
「詰まる所、ホンモノは別なのだ。現に団長殿から某は一銭も頂戴しておらぬ。無論、お前の師匠からもだ。寧ろ……あやつに関しては某が甘やかし過ぎているかもしれん。だからお前が気にする事ではない。某は重要な任が与えられ、心から誇らしいのだ」
「左様ですか……では、お言葉に甘えて」
「うむ……大船に乗った心算で某に委ねたまえ」
不愛想だったレーヴが始めて笑みを浮かべる。腑に落ちない話だが、当人がご満悦なら自分も納得するしかない。ランディは、己にそう言い聞かせた。これで用件は全て済んだとランディは思っていたが、レーヴの話はまだ続く。
「それ以外に……話もしたい。お前には伝えておかねばならぬ事がある。王都の情勢も含めて。逆にお前の口からあの事件について一部始終、聞いておきたい。何があったかを……な」
「なるほど、その件に関しては是非とも耳にして起きたいです。あの件については……あんまり愉快な話ではありませんよ? 寧ろ、不愉快な話ですから。単純に右も左も分からない若造が面の皮が厚い騎士殿の顔に泥を塗って……オマケに皆の迷惑も顧みず、自分勝手に後ろ足で砂を掛けて出て行っただけの話ですもの」
自嘲気味に口角を上げるランディ。それは、どれだけ時が経っても忘れられない記憶。決して忘れてはならない記憶。戦友達との大切な最後の時間であり、別れ時でもある。そして、己が初めて世界に対して否定を叩きつけた物語なのだ。
「……実にお前らしい。無論、旨い肴には上等な酒も必要だ。用意しておこう。約束だぞ?」
「過剰な期待されても困るのですが……承知しました。必ず、お伺いします」
つくづく物好きな老人がいたものだ。根っからの傾奇者相手にランディは困り果てる。されど、何時までもこうしてはいられない。同時に進行している幼馴染同士の仁義なき痴話喧嘩が火蓋をきっておろされようとしている。取っ組み合いの大喧嘩へ発展する前に止めねばならない。軽くレーヴと別れの挨拶を交わした後、ランディは事態の収拾に乗り掛かった。
「さて、二人とも……何時までも仲良く可愛らしい夫婦喧嘩してないで行くよ?」
「君って奴は、本当に……」
「っ!」
「いったっ!」
抑え込まれていた怒りの拳がランディの腹部へ直撃する。崩れ落ちるランディ。完璧な一撃を食らわせたのは、大きく息をしながら顔を真っ赤にしているユンヌ。割って入った事には感謝をするももう少し穏便な方法は無かったのかと呆れ返るルー。
「だから……ユンヌ。一応、怪我人だから寛容に。かんよう。分かる?」
「今のは……絶対っ! ランディ君が悪い」
最初の一幕から始まり、慣れていない仕事に礼拝堂での一件。更には緊張感が漂う交渉の場。我慢の限界はとうの昔に超えている。その上、更にからかって来るのだから最終的な怒りの矛先がランディへ向くのは致し方が無い。
「ほんとに……何なの? 何でこんなに疲れなきゃならないの?」
「そんな時には……アレだ。酒だよ。酒。魔法の薬が心労もあっという間に吹き飛ぶさ」
「君が言うな。僕たちを疲れさせている君が。でもまあ……一理はあるけどね。しかもまっ昼間から飲める何て機会そんなにないよ。ユンヌも今日は、やる事が無いだろう?」
「ランディ君連れまわしたら私があの二人からこっぴどく怒られる。ダメ、ゼッタイ」
抗えない甘い誘惑の発端は、地面に突っ伏しているランディから。そして悪友同盟も健在だ。散々、こき使われたのだからこれくらいの報奨は貰っても良い筈だと|ルーが囁く。堕落の園へ誘おうとする二人にユンヌは、必死になって抵抗する。後でどんな目に遭うかは、火を見るよりも明らか。絶対にそんな結末だけは回避したいユンヌ。
「良い子ばっかりやってると疲れるよ? 偶には、俺達と一緒に悪い子になろう」
「駄目ったら駄目っ!」
「連れてけば、同罪だからね。連行だ。連行。もうやってられるか。そもそも原因は、ブランさんにあるから最悪、全部押し付けよう」
「ブランさんが素直に責任取る訳が無い。どうせ、怒られるのは、私。人でなしっ!」
「その時は、その時だよ。三人で仲良く怒られよう」
二人して示し合わせたかのように左右からユンヌの腕を抱え、引き摺り始める。
ユンヌは、足を踏ん張って必死に抵抗するも敵わない。
「さて、何を飲もうかな? 麦か白葡萄の酒か」
「ユンヌは、発泡酒に目がないんだ。目の前に供えとけば、誘惑に負けるさ」
「そんな事はっ! ……ああ、そんな事言うからっ!」
「酷暑の昼下がりにはぴったりだよ? 肴は……」
「蒸した貝か……サーディン。いや、寧ろ原点に返ってカプレーゼと言うのもなかなか」
「……」
目の前に無くとも言葉だけで甘美な香りと味わいを錯覚させる。とてつもない魅力にユンヌは思わず、生唾を呑んだ。
「さあさあ、素晴らしい誘惑が俺達を持っている。出店へ繰り出そう」
「もうっ! 知らないんだから」
抗いは無駄に終わった。あれやこれやとどの店で飲むか相談する二人に挟まれる形で連行されるユンヌの未来は如何に。それは、歌う町だけが知っている。
*
結局、三人が解散したのは太陽が沈み始めた夕暮れ時。正確には、酔いつぶれる前にユンヌが途中退場。ランディとルーの二人で気分良く杯を交わしていた。
「久々にのんびりと羽を伸ばせたなあ……満足、満足」
夜の帳に隠れてコソコソといかがわしい店で集まる訳でもなく、二人っきりで一挙手一投足、気をつかう必要も無い。安酒と貧相な肴を囲んで穏やかな談笑のみで過ごすのは何時ぶりだっただろうか。西日を背に酒の余韻に浸りながら歩く帰り道がこれほどまでに気分の良いものであるとは思ってもみなかった。
「それだけの事があったんだもんなあ……仕方が無い。こうしてまた、一緒に居る事を許して貰ってる方が……実際は在り得ないんだから」
つくづく自分は、運に恵まれている。ランディはそう感じていた。
「夕飯は、レザンさん外で食べるって言ってたから問題なし。さっさと湯浴みして寝よう」
この後の予定は何もない。残った最後の一仕事と言えば、愛すべき寝床でゆっくりと瞳を閉じる事くらい。家の近くに辿り着くまでは、ランディも楽観視していた。されど、まだ終わりではないのだ。何故ならランディのポケットには、まだ不穏の影が残っているのだから。
「うん? 誰か、店の前に……」
その人影を見た途端、ぼんやりとしていた視界が一気に冴えわたる。同時に冷や汗と緊張、恐怖、動揺がランディを容赦なく襲う。完全に良いが覚めた頭の中で警鐘が鳴りやまない。何故なら店の扉に背を預け、俯きながら誰かを待って居るフルールの姿が見えたからだ。
「あの雰囲気は……本当に危険だ。ヤバい……何か約束してたっけ? いや、今日は何も無かった筈だし……配達の途中で今日は遅くなるって伝えてる」
髪型や服装も含め、全てが普段通り。されど、目に見えるものが全てでは無い。フルールを中心に渦巻く気配が凄まじいのだ。ましてや、俯いて表情が分からない事もよりいっそうの恐怖を引き立たせている。
「まさか……飲んでたのがもうバレた? それとも体調を崩したのが原因か?」
憶測が憶測を呼び、収拾がつかない。裏口に回って回避する事も考えたが、それは後が怖い。逃げ場など一切、存在しない。最初から答えは出ていたのだ。
「確認をするしか……いや、違うな。観念して自首が正しい」
幸いにもポケットの中にはまだ一枚、頼みの綱が残っている。功を奏すかは分からないが、これまでの経緯を踏まえると確実な結果を残しているので心強かった。
「やあ、フルール。どうしたんだい? 今日は——っ!」
「——」




