第貮章 自警団活動記録〇二 12P
きちんと受け止め、素直に頷くランディにセリュールは微笑む。
「そうですね……怪我が治った暁には、私がお酒の席に付き合いましょう。頑張ったご褒美に。それくらいなら許される筈。だからもう少し我慢を」
飴を目の前にぶら下げられ、はしゃぐランディ。あまりにも不憫だったので結局、甘やかしてしまい、二人へ心の中で謝罪するセリュール。
「ほんとですか? やった——」
そんな最中、ランディの容態に変化があった。急に騒いだ所為で眩暈と脱力が同時にランディを襲ったのだ。煙草が手元から零れ、声量が弱くなると共に目も虚ろになって体がふらつく。ランディの異変にいち早く気が付き、すかさず横から支えるセリュール。
「だから言ったでしょうに」
「面目ないです……」
「そんな気づかいをしている暇があったら静養なさい。ほら……横になって」
「いえっ! それは何かが違うようなっ——」
「今は、急を要する事態です。恥ずかしがっている状況ではありません」
「はい——」
ランディの身を案じ、セリュールは己の腿にランディの頭を乗せる。羞恥心と意地でランディが拒むもそれをセリュールは許さない。上体を起こそうとするランディの肩を押さえつけ、大人しくさせるセリュール。呼吸の乱れもあり、顔色も青白い。それ以外に何か異常は無いかとセリュールが確認する。今の所、見える範囲で身体に巻かれた包帯に出血の痕跡も見られない。疲労と急激な負荷による一時的な体調不良。暫く安静にしていれば、直ぐ元通りになる。セリュールは、そう結論付けた。その判断は正しく、呼吸の乱れも収まり、目にも光が戻り、顔色も徐々に血色が戻って行く。
「少しは、落ち着きましたか?」
「大分、身体は楽になりました。ありがとう……ございます」
「全く—— 痩せ我慢ばかり。こんな事では、レザン氏の心配は尽きませんね」
「反論の余地も無いです」
セリュールに上から顔を覗き込まれながら細い人差し指で額を小突かれるランディ。申し開きも無い。少し体の自由が利くようになって調子に乗ったらこの様だ。一日でも早く日常を取り戻そうと躍起になっていたが、気が早かった。
「久々だなあ……この感覚。何だか、故郷の姉さんを思い出します」
「姉が居たとは、初耳です」
「殆ど、誰にも話していませんからね。年は少し離れています……優しい姉です。小さい時は……こんな風に膝枕で本を読んで貰っていました」
「素晴らしい姉上だったのですね」
「ええ。勝気で淑やかさとはかけ離れてました……子供の頃は、しょっちゅう喧嘩して負けてたし。落ち着きが無く、自由奔放で気分屋……オマケに酒癖も悪かったなあ」
聞けば、聞くほどにセリュールの想像した理想の姉弟像からかけ離れた現実が赤裸々になって行く。こんな他愛のない会話にもオチをつける必要は無いのだが。勿論、ランディに限らず、兄姉弟妹の関係など得てして実情に即したものであれば、何処も似たり寄ったり。
気の置けない家族だからこそ、互いに雑な扱いをしても信頼関係を保てている。これが赤の他人であれば、そんな関係を簡単には築けないだろう。
「段々と私が思っていた姉弟関係の理想像とかけ離れて来ましたが……」
「まあ……女性らしさと言えば良いんでしょうか? 良くも悪くもそんな規格には当て嵌まっていませんでしたね。時々、何かの気紛れで淑やかさを垣間見る事はありましたけど」
「……」
一朝一夕では、知り得ない一長一短。他人に良く思われたければ、人は短所を包み隠して己を着飾ろうとする。それをしないのは、そんな事をしなくとも決して相手がどんな自分であっても落胆しないと分かっているから。寧ろ、受け手からの視点では自然体に見慣れているからいざ、着飾られてしまうと違和感が勝る。その真意がランディの直感に頼った説明だけではセリュールには伝わらないだろう。
「あれ? 何かありました?」
話をしている間にセリュールの眉間に皺が寄る。何か、気に障る様な事を言ってしまったかもしれない。背中を伝って冷や汗が流れるのを感じながらランディは恐る恐る問う。
「唐突ですが、ランディ君。女性らしさとは、一体何でしょう?」
「本当に唐突で難しい質問ですねっ! それは……俺にも分かり兼ねます」
あまりにも唐突な質問に面を食らうランディ。珍しく困り顔で問うて来るセリュールにランディは何か背景がある事を察した。とは言っても女性らしさから縁遠い己に聞かれても返答に困る。知らない訳では無いが、それを表現する術は全くだ。己の知る限り、女性らしさを感じられた相手は会得した途中経過など垣間見せる事無く、目に見えないコツを踏まえ、適切な時機を見越した上で完成形だけを提示して来るのだから。そう考えれば、いとも簡単に己を手玉に取る存在達が末恐ろしい化物に思えてしまう。
「でも君は……この場で敢えて誰とは名言しませんが……その目を奪われた……惹かれた誰かが……存在した訳でしょう? 回りくどい言い方ばかりでごめんなさい。そう、女性として意識した人を君は知っている。それは確かな筈です」
「まあ……言わんとする事は分かりますけど」
「ならば、その根底に答えがあるかと」
きっと感情に寄り添えば、もっと簡単で分かり易い。言葉ばかりが先行している。心と行動が伴っていない。それは、セリュールがセリュールである以上、仕方が無いのかもしれない。己が知らない何かを知りたいのは、分かった。だが、ランディもそれは片鱗しか掴んでいない。慎重にならなければ、間違いが起きる。ランディの直感がそう囁いた。
「やけに食いつきますね。やっぱり、何かありましたね?」
力になりたいのは山々だが先ずは、何があったのか背景を知らねば、答える前の段階で見当外れなものしか出て来ない。小さな事でも良い。ランディは質問に質問を重ねながらセリュールの一挙手一投足を見逃さない様に大きく目を見開く。
「……夫人から私には決定的に欠けているものがあるとご指摘が。浮ついた話の一つでもあって良い筈だともおっしゃっておりました。その問題に関連性があるとすれば、それ位しか思いつかなかったもので。助言があれば、欲しいのです」
「そもそもそれは、俺に聞いて良いものでは無い事かと。きっと当てになりませんよ?」
「いいえ、適切です。常に何かしらの話題をこの町に提供する君だから適任なのです」
「それは、褒められているのか……貶されているか」
「この場では、何方ともと言っておきましょう」
「……」
恐らく、かの夫人が言いたい事の根底にあるのは、そう言った形容しやすいものでは無いだろう。何せ、相手は普段、気の良い貴婦人を装っている思慮深いこの町きっての猛者だ。
もっと質が悪いものに違いない。単にその真意から程遠い事象だけを言い当てるだけならランディも嫌と言う程、経験している出来事に過ぎない。
「恐らくそれは、年寄り特有の厄介な性質。お節介と我儘から来るものでは?」
「怒りますよ?」
深く考えずに言葉を選んだ結果、ランディはセリュールの顰蹙を買う。分かっていたのだが、セリュールには正体が分からないそれに何かしらの付箋を付けなれば、始まらない。先ずは、恐怖する形容出来ない何かが何処にでも存在する枯れ尾花であると認識して貰う事が必要なのだ。そうでなければ、幾ら言葉を重ねても伝わらない。
「いや、夫人を貶めているのではなく……お茶目な一面と言い換えた方が良いですね」
「と言うと?」
「レザンさんも同じだからです。例を挙げるまでも無い。この場に見本が。そう、俺です。俺もよくからかわれますし、振り回されもします」