第貮章 自警団活動記録〇二 10P
「……ランディ君、御機嫌よう。っ! こんな所で何を!」
「配達です。そんなに驚かれる事、ありましたっけ?」
これでもかと言う程、ランディの腹に己の頭をぐりぐりと押し付けるマル。そんなマルの頭から胴体までランディは、忙しなく撫で回す。日の光を受け、金色に輝くその毛並みは、立派なもので手入れが行き届いている。じゃれあうランディとマルを見ながら呼吸を整えたセリュールは困惑した表情を浮かべながらランディに挨拶を返す。
「大怪我を負って暫く入院。その上、長らく自宅での療養をしていると聞いていたので。まさか、もう仕事に復帰しているとは思っていませんでした」
「まあ、何とかなるものですよ。丈夫なだけが取り柄ですし」
「……」
指摘通りで間違はいない。詳細を省いて誤魔化すランディに対してセリュールは顔には出さないが懐疑的だった。何の前触れも無く、唐突に頬へ手を当てられてランディの心臓が跳ね上がった。更に顔を近づけて細部を確認され、成す術も無くランディは頬を赤く染める。
「顔色に疲れが出ています。幾ら快方に向かっているとしても無理は禁物。仕事が終わったら少しお休みなさい。レザン氏も心配なされてしまいます」
逆の立場になって初めてランディにも何となく、強気な男にときめく婦女の気持ちが分かった。男に生まれたらこうでありたいものだ。ランディはセリュールの行動力に感心した。されど、今はそんなしょうもない所感を心の中で述べている場合ではない。きまり悪く咳払いをしながらランディは、セリュールの助言に頷く。
「おきづかい……いたみいります。そうします」
「素直でよろしい。君は少々、頑固が過ぎる。皆が心配しないよう元気に振舞うのは悪い事ではありません。ですが、時には無理をせず、周囲の為にも養生を」
「はい……」
かの女史から叱られている時よりも更に酷い。誰からも指摘されるのであれば、これを機に己の素行を見直すべきなのかもしれない。そろそろ、大人として自覚を持った行動を尊ぶべき時が来たかもしれない。そうでなければ、他の者達に何時までも迷惑を掛けてしまってばかりだ。最早、聞かずともセリュールからの提案すらも予測できてしまう。
「それで配達は、もう完了するのですか? まだ、大量にあるのなら私も手伝いましょう。丁度、買い出しの途中で少しくらいなら問題ありません」
「いえ、配達は先ほど終わりました。今は、待ち合わせがてらちょっとした小休止を。この後の野暮用が恙なく完了すれば、直ぐに家へ帰ります」
「ふむ……その野暮用とは?」
「ルーとユンヌちゃんも含めてブランさんから使いを頼まれておりまして。これから露天通りでとある人物から美品の買い付けを。何も無ければ直ぐに終わります」
懸念すべき不安要素はある。だが、それは別の話で少なくともブランの一件が終われば、直ぐにでも帰宅が可能だ。心配される事態には発展しないだろう。
「分かりました……その二人が到着するまで私が御守役を買って出ましょう」
少し考える素振りを見せた後、セリュールがランディの隣に座る。セリュールに倣ってはしゃいでいたマルもセリュールの横で待機。まるで説得が通じない。ランディは、焦る。そう、これはランディが考えもしなかった不測の事態。寧ろ、この状況がランディの恐れる最悪の事態を招きかねないからだ。一人で待ちぼうけをしていた方がまだ心が休まる。
「いえ、そんな必要は—— 二人共、もうそろそろ来ますよ」
「乗り掛かった舟です。体調不良の子を放っては置けません。少なくともお目付け役が到着するまでは誰かが付き添っていなければ—— もし倒れでもしたらどうするのですか?」
「流石にそんな事にはならないと思いますけど」
己の体調は、一番よく分かっている心算だ。少し疲れが出ているものの、音を上げる程の事ではない。また、怪我の完治もまだ途中だが、日常生活においては支障無い。尤もそれを今この場で伝えた所で信じて貰える筈も無く。
「駄目です。貴方には心配をしている子達が居るのでしょう? 毎日、甲斐甲斐しく診療所や家にまで通い詰める子達が。もし、急変でもすれば私があの子達に顔向け出来ません」
「そんな大事にしなくとも……」
「この前の出来事……私も断片的にしか聞いておりませんが、本来ならば相当な大事に発展していた筈。それを最小限で収めた結果がこの平穏なのでしょう? ならば、その代償も確かに存在している。そして、その代償が今の君」
全てを知らずとも要点は、見抜かれていた。さらりとハーフアップの髪を撫でた後、セリュールは小首を傾げながら微笑む。こんな風に労いの言葉を掛けられるとは思ってもみなかった。呆然とするランディにセリュールは話を続ける。
「二人の為……とは言いましたが、これが私なりの労いです。素直に受け取りなさい」
「はい……では、お言葉に甘えて」
落ち着いた大人の風格に負け、ランディは大人しく従う。
「さて……こうして待ちぼうけと言うのも」
「まあ、勿体ないですね」
当然、手持無沙汰で静かに待って居る必要も無い。と言っても共通する話題も無いのでランディは、困惑する。情けないランディにセリュールは、呆れて大きな溜息を一つ吐く。
「何か話題の提供を。こう言った場合、男性が誘導するものでしょう?」
「とんでもない無茶苦茶な振りですねっ! そんな事を言われましても」
「君は、もう少し人の扱いを覚えるべきですね。卒なく熟してこそ、殿方と呼ばれるのです。そんな事では何時か、簡単に愛想をつかれてしまいますよ?」
「いやはや、そもそもこんなにじっくりとお話をした事が無かったので……セリュールさんの人物像もぼんやりとしか分かっていません。例を挙げるなら好きな物とか、嫌いな物とか知らない事には……話題を提供するのが難しいですね」
互いに互いを知らないから話も頓挫する。今が知り合うぴったりな機会なのかもしれない。二人の息が初めてあった瞬間だった。
「確かに。私も君の事を少しも知りません。すれ違っても会釈を返す程度の関係には無理がありますね。では、互いの事を一つ一つ話して行きましょう。それなら問題無くて?」
「ええ、それはとても良い提案です」
何を話そうか。何を知って貰おうか。今更だが、この不自然な始まりから始まる始まりをランディは経験した事が無かった。ランディは辺り触りの無い共感できる境界を探す。
「お互いに好きなものを話しましょう。先ず始めは、言い出しっぺの俺からですね。俺が好きなものは……酒を飲むのは好きです。特に甘い葡萄酒が。勿論、麦酒やらウヰスキーも好きですが。そう言えば、最近全く飲んでないなあ」
「まあ、今の時期にはあわないでしょう。白葡萄のお酒や麦酒が最高の選択です。後は、少し高価ですが—— 発泡酒と言うのもなかなか」
「意外です。お酒、お好きなんですね?」
「嗜む程度には……奥様がお好きなので。お付き合いを」
ぎこちない会話が続く。彼女の前では、どうしても調子が狂う。それにこれではまるで。
いや、この状況を真正面から受け止めてしまえば、己が変に意識をしてしまう。きっとそうはならないと己を戒めながらランディは敢えて触れないでいた。
「好きな食べ物は何ですか?」
「そうですね……実は君が以前言っていた通り甘い物は好きですよ。でもそれだけじゃありません。卵の料理も好きです。特にラパンの父上が作る卵料理は、最高です。肉はあまり得意ではないです。野菜は、新鮮なものを丸齧りする方が」




