第壹章 身勝手な黄金の雨 14P
「私は、ランディ君に全幅の信頼をおいております。何より——」
「何より?」
「ええ……だってこんな心ときめくお話、他にはありませんともっ! 若き青年と年頃の乙女が密会なんて。完璧な夜をレザン氏が演出してから満を持しての適役を与えられ—— ましてや、これは私とレザン氏しか知らないとあらばっ! 猶更ですっ! その為にほら……とっておきの葡萄酒も用意してありますよ。素晴らしいひと時を演出する為に」
そう言うとエグリースは、網籠をシトロンへ差し出す。こんな時にだけ行動力を発揮されても困るのだ。想像の斜め下を行く下らない動機を聞かされ、額に指を当てながらシトロンは呆れ返る。差し出された籠を受け取るも納得が行かない。
「駄目だ。この町……ほんとに終わってる。暇人しか居ない」
「ご厚意に甘えてるんだからそんな事言わない」
「ほんとに一から十まで他人任せね? 矜持ってもんは無いワケ?」
「君に最高を届ける為なら何でもして見せるさ。俺の意地なんて些細な事」
「……」
「ふふふっ」
迷いを捨てたランディに死角は無い。最後の殺し文句にはシトロンも黙るしかない。そんな取るに足らないじゃれ合いを見てエグリースは優しく微笑む。
「足元が暗いのでこれを。燐寸はありますか?」
「煙草用のがあります」
「ならば、大丈夫ですね。見終わったら執務室へ教えて下さい。施錠しますから」
「はい、お願いいたします」
エグリースに堂内へ導かれ、二人は鐘楼へ至る階段まで辿り着いた。
「ほら、危ないから手を」
「子供扱いはやめて」
「ほんとに大丈夫? 俺ですら危なっかしいんだけど」
「だいじょうぶ」
人が一人通るのがやっとの幅と足が三分の二しか乗らない踏み面でランディですら足元が覚束ないのだから踵の高い靴を履いているシトロンには難易度が高かった。強がって差し出された手を邪険にあしらうも三段目を上った所でふらつくシトロン。
「っ!」
「だから言っただろう? 危ないって」
「だって——」
「だっても何もない。今日、俺の役名は、君の付き添いだ」
「……」
「その役名を全うさせて」
「……分かった」
寸でのところでランディがシトロンの手を握って支える。目を丸くして驚くシトロンにランディは、真面目な顔をして首を横に振る。
「ヘンなとこでごうじょーっぱり」
「聞こえてるよ」
「聞かん坊……」
「はいはい。そうですとも」
反射的に動けたものの、少し無理をした。未だ、万全とは言えない体が少しだけ悲鳴を上げる。悟られまいと強がって振り向く事無く、顔を顰めるランディにシトロンは溜息を一つ。
これでは、何方が頼りないか分からない。指摘した所で首を縦に振る訳でも無いのでこの場は、ランディを立てる為に力んだ腕に手を添えて大人しく介助を求めるシトロン。
「意外と真っ暗」
「民家ばっかりだから……それに皆、今日は外出してる人が多いから」
「なら見えやすいかも」
「そうだね。後は、じっと待つだけさ」
登り切ると二人を待って居たのは、暗闇が支配する静けさに満ちた空。辺りを見渡しても町の明りは、数える程しか見えない。町が薄暗いお陰で目が慣れると、夜空に光る星々が際立って来る。かの英雄が堂々と構える方角が見える様に二人は鐘楼の隣で腰を掛け、その時が来るのを待つ。脇目も振らず、じっと夜空を見上げるランディとシトロン。
「こんな風に何も考えないで夜空を見上げる何て久々」
「分かる」
「もっと何か無いワケ? 素っ気ない答えばっかり」
「夏の夜空で星がこんなに綺麗に見えるとは思って無かったからつい……見惚れててね」
「あっそ……」
本気で楽しんでいるのならば、文句も言えない。この期に及んで雰囲気を考えろと言えば何が起きるかなど、明白だ。必ず、何かを良からぬものを引き寄せてしまうのだから。
気分を変える為にシトロンは、手渡された籠の中から葡萄酒の瓶と杯を取り出すと一人で酌を始める。一口含んだ瞬間、眉間に皺を寄せながら唸る。
「……」
「何で唸りながら杯を睨んでるのさ」
「無駄に上物を引っ張り出してる。悔しいけど、ほんとに美味しい」
「どれどれ……これは—— きちんと熟成された良い奴だね」
「家でも滅多に出せないよ。何せ、管理が大変だもの」
「木栓が割れたり……注ぐ時、澱が入らないよう気をつかわないとだもんね」
「重要なのは、温度管理」
「そう。それそれ」
「ほんとに分かってんの?」
「分かる。分かるって」
今度は何事かと首を傾げれば、エグリースの贈り物が気に食わないと言い始めるシトロン。ランディも瓶を傾けて杯に注ぎ、一口飲んでみるとその理由が分かった。重厚感のある渋みとコク、その後から香辛料や複雑な芳香が鼻を突き抜け、果実の味わいが口に広がる。
それらを表現するだけの語彙力が無いランディには勿体ない代物であった。
「そもそも。沢山、飲んで食べて貰わないとやってけないから熟成の浅い奴の方が良いの。値段もそれなりので出せば、文句言われないし。時々、ちょっとボッタくりしてもバレない」
「今度から君んちで飲む時は、麦酒か、蒸留酒だけにしとく」
「大丈夫。頼んでなくても酔っぱらった時におねだり注文する」
「左様ですか……」
思わぬ所で店の裏事情を聞き、ランディは落胆する。それも仕方の無い定め。元来、酒飲みとは招いていないにも関わらず、勝手にやって来る鴨だ。時間の経過と共に正常な判断能力が失われてしまうもの。素面の時にあれやこれやと気を張っても無駄なのだ。
「干し肉も柔らかいし。どっから献上されたのかしら?」
「ブランさんじゃない?」
「それ以外無い。後は、夫人くらいでしょうね」
「だね」
酒から肴に至るまで全て上等な献上品だった。暫く、二人は無言でその味わいを楽しむ。そんな最中、何の気なしにランディは今日を振り返っていた。
「ほんとだったら……騒がしい酒場とかで皆で騒ぐのも良かったかもしれない」
「それは、もうお腹いっぱい。静かな方が良い。だから今日は、概ね満足」
「そうかい。楽しんで貰えたなら何より」
反省点は、所々に転がっている。だが、そもそもシトロンの思い描いていた理想もある。それに近づけていただろうか。もしかすると、その理想から程遠いものであったかもしれない。そんな今更な疑問も直ぐに払拭された。
「それともあなたは、昨日みたいに騒がしい方が良かった?」
「—— っ! 昨日? 昨日って何の事だい?」
「目撃情報。真夏の暑い夜に外套を深く被った怪しい男が『Pissenlit』から出て来たって」
「へえ……それは知らなかったなあ」
だが、同時に墓穴を掘る形となってしまった。まさかばれているとは思わなかった。この場は、何としても白を切らねばならない。もし、認めてしまえば要らぬ戦火が広がる。勿論、主に割を食らうのはただ一人だが、あっさりと諦めてしまうのも友として最低だ。
「それでその男は、大通りへ向かって」
「うんうん」
「そのまま辺りをきょろきょろしながら怪しげな地下の店へ」
「レザンさんかなあ—— もしかして秘密の逢引きかも。それ以上、詮索するのはよろしくない。人には、触れて欲しくない事もあるからね。そっとしておこう」
「まだしらばっくれる心算?」
逃げ場は無い。問われる前から既に全て情報が洩れている。寧ろ、最初から隠し通せると思っていた浅はかな考えが間違いだった。無暗に足掻けば、足掻く程、ボロが出る。素直に認めるしかないだろう。ランディは両手を上げて降伏した。
「……ルーとヴァンさんの三人で夜中まで飲んでました。ごめんなさい」
「そんな事だろうと思った」
「あい。諸々、しょうもない嘘をついてごめんなさい……」
腕を組んで叱るシトロンに頭が上がらない。
「まあ……あそこはガラの悪い人が多いけど、意外とお客さんきちんと規則を守ってるから落ち着いてて変な心配する必要は無いんだけど……でも気を付けなさい」
「ああ、聞いてるよ。中々、手厳しい店だって話は。後は財布とも相談しないとね」
「そう。その言い方だと見たかもしれないけど、エグい人たちも出入りしているの。私ん家で飲んだ方が安く済む。もう、そんなに厳しい事は言わないから今度からは私ん家ね?」
「はい」
実際にこの目で見たからその恐怖は知っている。暴力では無く、強かな策略に嵌められてゆっくりと料理される犠牲者たち。良い反面教師として彼らの事を未来永劫、ランディは忘れないだろう。最もよっぽどの事が無ければ、あの店の世話にはならないが。
「ごめん。ちょっとやり過ぎたかも……偶には息抜きもしたかったよね?」
「本音を言えば、首が絞まって危うく窒息死しかけていた」
「……ダメだわ。そこは『ごめん。俺の方こそ、勝手だった。反省するよ』でしょ? 何、考えてるワケ? 何も考えて無いでしょ? ほんと信じらなんない」
「……」
少しでも油断すれば、直ぐこれだ。遠くの恐怖よりも恐れるべきは、身近な人間なのかもしれない。これでは気軽に一言も喋られない。硬い表情で睨み付けた後、シトロンはランディが反省したのを確認し、やんわりと微笑む。
「嘘よ、嘘。偶には、こうやって怖がらせないと。目を離したら好き勝手するんだもの」
「はい……反省してます」
「なら、よし」
もう天体観測の事等、すっかり忘れてしまっていた。居心地が悪くなって夜空に逃げ場を求めなければ、きっと見落としていただろう。
「……どうやら始まったみたいだね」
「えっ! どこ、どこ?」
「もう、流れた後」
「もっと早く言ってよっ! 見逃した」
星空に流れる金の筋。偶然だが、しっかりとそれを見た。願い事の一つでもすれば良かったかもしれないがそんな余裕は無い上に今も見逃したシトロンに揺さぶられてそれどころではない。この世の理不尽さを垣間見ながら襟を正して咳払いを一つするランディ。
「言った後だったら何方にせよ、遅いでしょ。ほら、集中して」
「むむむむむむ」
「睨んでても目が疲れるだけさ」
「だって先を越されて悔しいんだもん」
「ははは」
灰色の瞳を輝かせながら珍しく幼さを前面に出すシトロンにランディも微笑みを禁じ得ない。片時も夜空から目を離さないでいると待って居たそれは、直ぐに訪れてくれた。
「あっ」
「いっぺんに二、三個流れたね」
「うん—— きれい」
手を伸ばしても届かない広大な空を舞台に星々が主役の演目が始まった。ランディは、何年経ってもきっとこの日を忘れないだろう。忘れかけていた人らしさを取り戻したような気にさせてくれるこの時を。数々の偶然が齎してくれた必然の巡り合わせなのだから。
「明日、起きれる?」
「一応、レザンさんから寝坊しろとお達しが」
それくらいならばお安い御用。寧ろ、時間は考えずに今日を精一杯楽しめとレザンが気を利かせてくれている。
「なら大丈夫ね」
「ああ、折角だから思う存分、楽しもう」
示し合わせをした訳でもなく、空を見つめながら互いの手を取る二人。
黄金の雨には程遠いものの。星降る夜を二人は、静かに楽しんだのであった。




