第壹章 身勝手な黄金の雨 13P
それから何が起きたかなど、書くまでも無い。ひと騒動が終わってからも変わらず二人の騒がしい晩餐は続き、時間はあっという間に溶けて行った。
「さて。今宵は、楽しんで頂けただろうか?」
「ええ、とても」
「素晴らしい時間を有難うございます」
「そう言って貰えるならば、本望だ」
最後の甘味まで完食し、食後の紅茶に舌鼓を打つ二人。そんな二人を見て満足げなレザン。
限られた時間の中で準備を熟し、目的を全うして見せた手腕は、流石と言えよう。一つ文句が付けられるとすれば、あれだけだ。
「まあ、折角の頃合いを邪魔してしまったのは大変、申し訳ないと思っている」
「……言わないで下さい。忘れかけていたのに」
「ふっ。これは悪かった。さあ、そろそろ行きなさい。時間だ」
「はい」
「そうですね」
掌を額に当てて襲い掛かる羞恥心に耐えるランディと憤慨するシトロン。心底、愉快そうに笑うレザンを前に怒ろうにも怒れない。こんな風にずっと過ごしても良いのだが生憎、時間が迫っている。二人とも気が緩んで忘れかけていたが、目的は別にあるのだ。
「片付けは、俺がしますので。そのままに」
「いいや、そう言う訳には行かぬ。客人を持て成すのが私の仕事。最後まで私がやり通す」
「と言っても代金をお支払いしてないのでそれくらいはさせて下さい」
「何を言う? 代金は、もう貰っている。催し事に胸をときめかせられた。一から計画して好き放題に楽しませて貰ったのは久々だ。十分に満足だよ」
「……」
出立の準備を始める合間にランディは、後片付けは自分がやると申し出る。レザンは、その申し出に対して首を縦に振らず、二人の背中を押して外に追い立てた。ランディは、よそ見をせずにこれからの事に集中しろと言外にレザンから言われた様な気がした。
「とっても素敵な事じゃない? 有難く受け取っておきましょう?」
「そうだ。金や物が全てでは無い。侘しい事を言わないでくれ。時には、形の無いものすら価値を生み出す事もある。それが正に今なのだ」
「有難うございます」
そっと腕を滑り込ませるシトロンにほだされてランディは渋々、頷いた。外に出てから去り際にレザンと挨拶を交わしてから歩き出す二人。少しずつ遠のいて行く二人の姿がレザンにとっては感慨深い。自分の手も後少しで必要が無くなる。これまでは、自分が手を引いて導いていたが、これからは違う。誰かと共に手を携えて歩み出す門出は遠くない。
「こんな風に誰かの後ろ姿を見送る日が来るとはな……これを幸福と呼ばすして何を幸福と呼べる? 案外、長生きするのも悪くないものだ。そうだな……お前にもこの幸せを味合わせてやりたかったよ…… 」
涙が混じるレザンのしゃがれた声は、夏の生温い風に紛れて消えて行くのだった。
*
「さて—— 次は何処へ連れて行って貰えるのかしら? 想像していなかった出だしから始まっているから多少、期待は上がっているのだけど」
「そうだね。持て成す側の俺も楽しめたくらいだから。まあ—— これから向かう所も損はさせないさ。教えて貰った立場の俺ですら聞いた時には意外でびっくりした」
「ほんとに? 嘘じゃないでしょうね」
「ほんと、ほんと」
次の目的地は、既に頭の中。流石にそれだけはレザンもランディへ事前に知らせてくれていた。そして、その地はランディも馴染みのある場所でもあった。だから此処から先の先導にも緊張は無い。歩き慣れた道のりをシトロンの歩幅に合わせながら進むランディ。
「でも……この時間から町の外に出るのは危ないでしょ? まさか……ありきたりな町の外壁とか言わない? それなら誰でも——」
「町の外には出ない。勿論、外壁でもない」
「なら何処なのよ?」
「着いて来てくれれば、分かるよ。焦らない、焦らない」
「むっ……」
静けさが立ち込めた小道から大通りを横切り、目指すは町の反対側にあるかの地。
「それ以外の場所であるんだ。知る人ぞ知る恰好の場所がね」
道中は目立った会話も無く、期待と興奮が入り交じる奇妙な沈黙が二人の間に漂う。
「さて、到着したよ」
「えっ……どう言う事よ? だって此処」
「そう。礼拝堂さ」
目的の場所は、礼拝堂だった。近隣の民家に明りは無く。何時もより数段暗い。ぼんやりとした暗闇と生温い風の所為で薄気味悪さすら感じてしまう。固唾を呑んで不安げにランディの袖を掴むシトロン。一方、ランディの表情からは恐怖など微塵も感じさせない。
「こんな所の何処で見るって言うのよ? だって高い所なんてあの鐘楼くらいしか……」
「せいかい」
「立ち入り禁止の場所だからダメでしょ?」
「それがですね。シトロン。私の特別な許可があれば問題ないのです」
「ひっ!」
背後から聞こえて来た別の声の所為で珍しく飛び上がるシトロン。ランディは、気が付いていたのか振り向いて声を掛けて来た相手に軽く会釈をする。二人の背後に居た人物とは。
「エグリースさん。今宵は、どうも有難うございます。ご厚意、感謝いたします」
「君からたっての願いとあらば、お安い御用ですよ。ランディ君」
「驚かさないで下さいっ! エグリースさんっ!」
「おおっ! こんな素直な反応が君から出て来るとは、何だかとっても愉快ですねっ!」
「喧しいっ!」
そう。今回の企てにはもう一人の協力者が存在した。その協力者とはエグリース。とっておきの天体観察には欠かせない重要人物である。誰もが思いつくが誰も実行出来ない。そして、その場所とは町から出ずとも見晴らしの良い高所。管理者からの許可が無ければ、立ち入る事が出来ない礼拝堂の鐘楼がそのうってつけの場所。そして、その管理者は、目の前の質素な祭服に袖を通しているエグリースである。
「何だか……ほんとに狡い。狡いわ。こんなのってあり? だって誰が頼んでもダメって言われてる筈—— 私もよ? これが癒着って奴ね。酷い話、言いつけてやろうかしら」
驚かされた腹いせに二人へ噛みつくシトロン。勿論、エグリースもランディも相手にしていない。一人だけ子供扱いをされているみたいでシトロンは納得が出来ない。
「一体全体、誰に言いつけるって言うんだい?」
「……ブランさん」
「多分、鼻で笑われるだけだね。それに今日は、君も共犯さ」
「補足しておきますが、ブラン町長も何度も此処へは訪れています。町長になる前は、奥方と。ルージュとヴェールが生まれて少し大きくなってからも」
「職権乱用も甚だしいっ!」
既にレザンを通して話は付いている。
快く了承して貰えなければ、そもそも連れて来ていない。
「ぐぬぬぬ……」
「まあまあ、折角だから楽しもう?」
「エグリースさん、どうしてランディは許可が貰えるんですか?」
「それは、当然の事。彼は、敬虔な信徒であり、町で数々、起きた問題を解決した功労者でもあります。これくらいの願いであれば、承るのが人情でしょう」
当たり前の様に規則を無視して人情を盾にするエグリースに文句の一つも出ないシトロン。ましてや、図らずともそれに便乗させて貰う形なので猶更だ。だが、この特別扱いは、見過ごせない。まだ、腹の虫が治まらず、文句を言いたそうにしているシトロンへエグリースは更なる補足の説明を付け加える。
「勿論、普段から断っているのも理由があります。建物自体の老朽化で多少、怖い思いをさせてしまうのもそうですし……町の皆の要望を全て聞いてしまえば、私の負担が増える上に盗難の恐れもあります。だから今回は、特別」
その特別を引き出すだけの材料をランディは、持ち合わせている。何せ、ランディは普段からエグリースとの親交が深い上に日曜の礼拝も真面目に聞く敬虔な信徒だ。それを引き合いに出されてしまえば、当然の帰結と言われても違和感はない。




