第壹章 身勝手な黄金の雨 12P
考えた結果、出た答えは素直に伝える事。
「もっと別な事が話したいの……誰か別の人の話じゃなくて……世間話でもない。私の話とか、貴方の自身の話とか。それと……私たちについてとか」
「一気に緊張感と気恥ずかしさがっ! そうだね……本来ならそう言う場だもんね」
馬鹿真面目に納得した後、珍しく頬を染めて恥ずかしがるランディに釣られて顔色は変わらないものの、羞恥心で頭が真っ白になるシトロン。
「……冷静になって言わないでよ」
「……綺麗だ」
「話、聞いてる? それは、さっきも聞いた。ふざけてんの? 怒るよ?」
求められている。いや。本来、あるべき振る舞いが出来ていなかった。他人と己を比べる事や自分の失態に気を取られ、それを気取られるから俯く羽目になる。指針に近いものを与えられれば、やる事は一つだ。余裕を取り戻したランディは、首を横に振る。
「いいや。さっきのだけじゃあ、きちんと伝え切れてない。小奇麗なドレスにばかり目を奪われていたけど……化粧がいつもと違う。後は、香水も。髪の艶もだね」
「全部、いつもと同じよ」
「違うね。柑橘系から落ち着いた甘い香りに変わってるし—— くせっ毛が一本も無い。後は、白粉も自然な感じだし。口紅も普段の抑え目の色からちょっと大人びた派手な感じ」
「……」
「合格かな?」
「—— 不合格」
「やったね」
不敵な笑みを浮かべながらランディは身を乗り出し、やんわりとシトロンの頬に手を添える。直ぐに気が付く部分だけでは無い。細部に至るまで今日のシトロンは、仕上げている。
「所謂、観察眼ってヤツだね。間抜けでもやる時はやるのさ。常日頃から惰性で君と毎日、顔を合わせてる訳が無いだろう? これでも毎日、君との時間を大切にしている心算だ」
「出来るなら普段からきちんとやって」
「それじゃあ、面白味が無いだろう? ここぞと言う場面で使わなくっちゃ」
「ほんと、そう言う所。嫌い」
「君のそんな顔が見られるなら本望だよ」
頬を赤らめながら視線を背けるシトロン。そんないじらしい姿を見せられると女たらしにもよりいっそう身が入る。まだ役になり切らなければ、身動き一つ出来ない。もしこれを自発的に出来るようになれば、もっと違う自分になれるのかもしれない。まだまだ知らない事ばかりだ。知らなければ。変わると誓ったのだから。
「でもこうやって改めてそれらしさを考えてみると難しいよ。君との空気が当たり前過ぎて今更、意識した会話なんて……何せ、隣に居て当たり前な存在だから」
「それは、それでイヤ。もっと丁重に扱って」
「何とも……注文の多い料理店みたいだ」
「こんな私は、イヤ?」
全てシトロンの言う通り。日常生活における距離感が全てを狂わせる。当たり前だと思っている事に違和感を覚えねば。目の前に居る存在の本質を。そうだ。只の小煩いお目付け役では無い。その本質は、己の胸をときめかせる何かだ。
「いや、君の言った通りで間違いない。変り映えの無い日常が侵食して行くとこんな可愛らしい会話も無くなってしまう。そんな関係になったら愈々、おしまいだよ。何時までも特別な存在であると相手を思ってないとね」
「……やめてよ。何だか悲しくなちゃう」
「未来を悲観したくないんだ。もしかしたら同じ道を共に歩むかもしれない相手との未来は……特に。だから今から気を付けているんだ。君との関係を風化させない為に」
「そんなかたっ苦しい話したくない」
「悪いね。でも俺は、言葉を選びたくない。今度こそ、自分の意思に従うって決めたんだ」
穏やかな日々が続いた所為で少し風化してしまっていた。二つの意味で胸に刻まれた大きな傷とあの日の教訓が己の襟を正してくれる。変わって欲しくないと願っても変わってしまった世界を生きると誓ったのだ。それを言葉として人に伝えたい。
「だってあんな事が起きたから。ああ……こんな悲観が可愛らしく思えるくらい悲しい想いをついこの前したばかりだから。自分の意思を尊重出来なかったらあんな事が起きた。こんな言い方は、酷いけど……俺は、アンジュさんみたくなりたくない。与えられた猶予と機会を一個も無駄にしたくない。だから自分を大切にしなきゃって思った。でなかったら自分の先に居る人を—— 大切になんて出来やしない」
この胸に宿して貰った新たなる炎は、本物だ。誰の意思でも無く、自分の意思で。失った代償が無駄では無かったと己が誇示する必要がある。悲しげに俯くシトロンの後ろに回るとゆっくりとその華奢な肩に己の両腕を回すランディ。
「きちんと向き合うって言っただろう? だから俺の悲しみも受け取ってくれ」
「……重い」
「そうさ、俺は重い男さ。ほんとにこんなので良いのかい? ましてや……約束があるってのにこんな風に浮ついた事ばっかりしてる。どうしようもない男だ」
「……」
「ごめん……言い過ぎた」
人を笑顔にするのは、本当に至難の業だ。直ぐに相手を悲しませてしまう。だから相応しくないと本音では思っている。此処で繋いでくれた手を解いて欲しいと願う程に。
「でも本当は、君を付き合わせたくなんて無いんだ。何度も言うけど、こんな事——」
「間違ってるってのは、分かってる。でも—— そうでもしなきゃ、話が終わっちゃうの」
「君には、正しくあって欲しいと俺が願っても?」
「そう。それでも……それでも私は、この物語を終わらせたくない」
「そうか……」
だが、そうしてくれない。回した腕にシトロンの手が重なり、力強く握りしめて離さない。
「ありがとう。私の事を考えてくれて。でも私が行く道は私が決める」
「君は、本当に自立しているね」
「褒められると……悪い気はしない」
難しく考え過ぎた。もっと気楽に考えても良いのかもしれない。ランディはシトロンに席を詰めさせ、狭い椅子の半分へ無理やり腰掛けると己の肩に頭を引き寄せて撫でる。
「ちょっと—— 何?」
「何だか、無性に君の頭を撫でたくなった」
「っ!」
最初は、暴れていたシトロンも次第に大人しくなる。
「今日だけは……トクベツ」
「それは、光栄な事だ」
以前の時とは違い、子ども扱いして乱雑に撫でる様な真似はしない。滑らかな灰色の髪を乱さぬよう丁寧に。少しだけ心へ素直になると思考の妨げが緩み、身体が勝手に動いてくれる。きっと、これが正解で間違いない。寧ろ、最初からこうすべきだった。
「君には、寄り掛かってばかりだったから。偶には、逆になっても良いと思う」
「よく言うわ。ほんとは、思ってない癖に」
「偶には、中身が伴ってない格好つけをしたくなるのさ」
「サイテー」
其処から先は、あっという間の出来事。シトロンから完全に椅子を奪い取り、ランディは自分の上に横向きで座らせる。向かい合えばする事は、一つしかない。それらしい展開になりかけた所で思わぬ邪魔が二人を分かつ。
「失礼する。念のため、聞いておきたいのだが、魚料理と肉料理は同時の方が……ああ、時機を間違えたな。盛り上がりの最中に水を差してしまった。これだから年寄りは困る。何せ、平然と日常の一幕を作業として熟すからな。失敬。存分に二人の時間を楽しんでくれ」
頭の先からつま先まで羞恥心で満たされ、目を大きく見開きながら顔を真っ赤にした二人を前にレザンは一瞬固まるも直ぐに苦笑いを浮かべ、居間を後にする。夢から現実に叩き戻され、弾かれた様に大人しくそれぞれの席に戻るも後の祭りだ。元には戻らない。
「ほんと—— あれよね。全部、あなたの所為」
「流石にレザンさんが訪れる事までは想定出来ないよ?」
「あなたが悪いのっ!」
「はい、申し訳御座いませんでした。俺が悪いです」




