第壹章 身勝手な黄金の雨 11P
「それとも……私と二人っきりで居るのがそんなにイヤなの?」
はっとした顔で真の目的を主だし、素直に首を横に強く振るランディ。今日は、どんな手を使ってでも成功させると腹を括って挑んでいる。そして、それは成功に最も近い所まで届いていた。単に自分が罪悪感を持っているだけでシトロンは、此処までケチの一つもつけていない。立ち止まっている暇はない。与えられたのは、最上の好機。
「なら……笑ってよ。偶には、肩の力を抜いたあなたを見たい」
「そうだね……忘れていたよ。本当は、嬉しいんだ。誰も知らない素晴らしいお店に君を連れて来られて。だって誰も知らないよ?」
「そうね。私もびっくり。思わず、皆に自慢したくなるくらい」
雰囲気に馴染んだ的確な時機を見計らったかの様にレザンが配膳で居間へ訪れる。
「食前酒と前菜をお持ちした」
「レザンさん。ほんとに何でも出来ちゃうんですね……これは、狡いなあ」
グラスと共に運ばれて来たのは、橄欖油のかかった低温燻製のハムと付け合わせの野菜。簡素な料理だが、食材だけで幾らかかったか考えたくも無い。彩だけで見栄えも変わってくる。ランディには、真似出来ない芸当だ。それだけでなく、酒にも拘ったのか、グラスを持って鼻を近づけると度数が高い白葡萄酒の香りがする。まだ、一口も食べていない段階で満足感が湧いて来る。レザンの言葉に二言は無い。確実に心を打ち抜かれた二人を見てレザンは、満足げな笑みを浮かべる。
「想像以上に凄いものを……博識なのは知ってましたけど」
「時が経ち過ぎた故に最早、知っている者の方が少ないのだが……これでもこの町へ訪ずれる前も訪れた当初も手当たり次第に様々な分野へ挑戦した。料理もその内の一つだ」
「へえええ——」
レザンは、軽く己の下積み時代について語り始める。
「まあ、金が無かったのが一番の理由ではあるものの……」
「あるものの?」
「今思えば、あの当時は……誰にも負けない何かが欲しかったのだ。後は、飽き性だった私が死ぬまで続けられる天職の様なものであれば……何でも良かった」
「その結果が今なんですね」
手当たり次第に様々な職を経験したから今がある。しかしそれは、苦難の道でもあった。
「情けない事に職を転々として行く内に何処からも相手をされなくなって手を差し伸べてくれたのが此処だったのだ。だから与えられた最後の機会だと思って必死に食らいついた」
「湯水のように意外な話が……驚きです」
「誰からも聞かれないから言わなかっただけだ。こんな下らん事を自ら進んで話す事でも無い。必要とされないものを語り出すなど、只の押し付けだ。そう思わないか?」
「まあ……」
隠していた訳ではなく、話す機会が無かった。実際、この場で話をしたのも単なる年寄りの気紛れ。雰囲気を盛り上げる余興に過ぎない。そんな客人を持て成す給仕から零れ出た苦労話に二人は大人しく耳を傾ける。気難しい性格でへそ曲がりのレザンは、自分語りに興味が無い。だからこんな機会は、滅多に訪れないだろう。
「私とて最初は、お前たちと同様に未熟者で青二才だった。それに今も完璧を自負した覚えはない。もし、こんな私に少しでも尊敬の念を抱いて貰えているのならば、その理由は見てくれと考え方が多少、真面になっただけ。その時々に合わせた年相応の振る舞いと礼節を弁えた服装。視野が広がり、合理性を尊び、少しだけ人を想えるだけの器量を得た。随分と遠回りをして……時間もそれなりに掛かったがな」
「謙遜されても反応に困ります」
「同じく」
過ぎ去った過去を重んじるのではなく、今を生きるこの瞬間をレザンは、大切にしている。積み重ねは、重要だがそれをレザンは、成果と呼ばない。その積み重ねを足掛かりに得たものがレザンとっての成果であり、今この瞬間がレザンにとっての大切な成果なのだ。
「長々と話をして済まない。つい口が軽くなって折角の二人の時間を邪魔してしまった。時機を見計らって次の料理を用意しよう。ごゆるりとお楽しみを」
「止めて下さい。本当なら——」
「……」
「何でもありません……ご迷惑をお掛けして申し訳ないのですがよろしくお願いします」
「心得た」
このまま、レザンの話を聞いていたかったランディ。だが、正面から睨み付けてくるシトロンを見て口を噤んだ。微笑みながらレザンは、仕切りで閉ざされた厨房の方へ身を暗ます。
「じゃあ……食べようか」
「うん」
又もや本来の目的を見失いかけてまごついた。まだ冬にもなっていないのに薄氷を踏む思いでランディは、言動に気を配る。普段から気を付けていれば、こんな事にはならない。
されど、そんな失態もレザンによる的確な手助けで帳消しになる。
「なかなか……こんなに美味しいものは久々に食べたよ」
「仕事柄、勉強はしてる心算だったけど……レザンさんには驚かされてばっかり」
「真似出来そう?」
「教えて貰えれば……そんなに難しいもんじゃないし」
食前酒と何の捻りも無い前菜だけで二人を黙らせる。塩辛いハムと付け合わせの野菜が程良く、橄欖油の香りが鼻に余韻を残す。何方かと言えば、酒がそれら食材の質を高めているのだろう。堅果や柑橘系の香りとすっきりとした辛口の味わいが食欲を誘うのだ。
「その口振りだと時々、厨房にも立つんだね。まあ、何度か差し入れして貰ってるから何となく察しは。どれも美味しかったからね」
「よく言うわ。この前の事……覚えて無い? もどしてたでそ?」
「それは……事情があったからね」
「……」
白々しい物言いで逆鱗に触れ、又もやシトロンの機嫌を損ねるランディ。此処まで来ると黙っていた方が幾分かマシかもしれない。全てが完璧な筈なのに台無しにしてしまう自分が本当に憎い。他の者ならこんな失態は犯さない。何故、他人には出来る当たり前の事が自分には出来ないのか。そんな葛藤に苛まれるランディ。
「ごめん、ごめん。折角の料理を無碍にしてしまった。本当に反省しているよ」
「まあ……良いんだけどね」
「代わりにレザンさんが食べてくれたからほんとの意味では無駄にはなってないよ」
「……食べて欲しかったのに」
「そんないじらしい事言わないでくれ。参ってしまう」
「そうだ、そうだ。もっと反省しろ」
「はい、はい」
「はいは、一回」
「はい」
ふざけて頬を軽く膨らませ、拗ねた振りをするシトロンに救われた。シトロンも分かっている。些細な日常会話ですら難易度が上がる原因は、二人の関係性にある。避けられない状況の最中で起こったすれ違いがそうさせる。本当の意味でランディが悪い訳ではない。だが、それを言ってしまうとつけ上がるだけなのでシトロンは、敢えて言わないままでいる。
「褒めてくれるのは有難いけど厨房は、父さんの主戦場だから……あんまりなんだ。でも私だって配膳ばっかりする訳にも行かないもの。それに父さんの味は、無くしたくないから」
「とっても素晴らしい心意気だ」
「喧しい」
見え見えの媚売りには靡いてやらない。そうではないのだ。シトロンのしたい事は別なのだ。それを何時まで経っても気付かない目の前の大馬鹿をどう料理すれば良いのやら。このまま、こねくり回しても一向に先へ進まず、堂々巡りになるのは明白だ。
「……」
シトロンは、じっと黙ってランディを見つめる。言い知れぬ不安に襲われ、ランディは背筋を伸ばして目を泳がせる。まるで品定めをされている様で居心地が悪い。
「何さ?」
「……」
「言ってくれないと分からないよ」
「察してよ—— って言っても無理な話ね」




