第壹章 身勝手な黄金の雨 10P
肝心な問題は、其処だ。当の本人ですら分かっていない。だが、無駄に自信だけはあった。その自信の出所は、絶大な信頼を寄せる後ろ盾から来る。そんな情けない背景を知らないシトロンは、自信たっぷりでいて歯切れの悪い矛盾を抱えた珍妙なランディの態度を見て怪訝な表情を浮かべる。こんな時くらい、独特な世界観を繰り広げなくとも良い筈なのに。
これでは、落ち着いて落胆も発奮も出来ない。普通でいる事がそんなに難しいものなのかと自身の基準を疑ってしまう程、先行きは不透明。
「それはだね……俺にもさっぱり」
「何それ? 本当に大丈夫なの?」
勿体ぶった結果、与えられたのは更なる不安要素。そもそも任せるのではなく、きちんと話し合って決めていれば、こんな事にはならなかった。安易に一任した過去の自分をシトロンは、殴りたくなる。さっきまでの淑やかさは何処かへ行き、シトロンはランディを詰めた。
「間違いない筈。なんて言ったって俺がこの町で一番、信頼を置く人の紹介だから」
「レザンさん?」
「正解」
「そう—— なら任せるわ」
青ざめた顔でランディが素直に白状すると流石にシトロンも納得した。この好機を逃さず、ランディは軽く頭を垂れて己の右手を恭しくシトロンへ差し出す。
「では、お嬢さん。お手を」
「……」
勢いに押され、差し出された手に己の手を重ねてしまうシトロン。こうなれば、後はランディの独壇場だ。するりとシトロンの右側へ滑り込んで腕を絡めると元来た道を戻り始めるランディ。不安と期待で複雑な心模様のシトロンを歩調に気を付け乍ら誘い、レザンから指定された場所を目指す。大通りから外れて小道を抜け、見えて来たのは。
「それでお店まで来たけど……どう言う了見か説明して貰っても差し支えないかしら?」
「此処まで来いって言われた……それからレザンさんお勧めの場所まで案内するって」
「随分と他人任せね? 何処までおんぶにだっこして貰う心算?」
「それ以上は、教えてくれなかったんだ」
「あっそ」
本当にそんな都合の良い場所があるものなのか。甚だ、疑問ではある。しかしながら後戻り出来る時機は、疾うに失われている。前進あるのみだ。裏口の扉をノックすると直ぐにレザンが出て来た。其処までは良かったのだが、レザンの恰好を見てランディは言葉を失う。
「お待ちしていた。客人。さあ、中へ」
「……えっ」
「……まさかそう来るとは思わなかった。これは、驚いたわ」
裏口から出て来たのは、給仕服姿のレザンであった。ベストとスラックスは、揃いの黒。綺麗に伸ばされたシャツの首元には、洒落た蝶結びのクロバット。革靴も柔らかい物からピカピカに磨き上げられた黒の固い革靴に変わっている。目を丸くするランディ。一方、シトロンは納得したのか右手の拳で左手の平を叩く。そう。その特別な店とは、ランディが一瞬、脳裏に過った可能性そのもの。今宵は、馴染みの我が家が一日限りの料亭になるのだ。
「っ! 幾ら俺でもそんな図々しい事、出来ませんよ……止めて下さい。レザンさん」
やっと状況を理解し、ランディは顔を強張らせる。そんな恐れ多い事など、出来る筈が無い。今からでも別な店を探そうと踵を返そうとするが、レザンは許さない。恐るべき俊敏さで二人の背後へ回ると肩に手を乗せて先回り。逃げ場は何処にも無い。
「惚けるな。何を言う? 事前にこの私が最高の持て成しをすると通達していた筈だ。今宵は、若人二人に私の真骨頂をとくと堪能して貰いたい」
不敵に笑うレザンの前でランディは頭を抱える。自信たっぷりのレザンを見て俄然、シトロンも乗り気になっている。大人しく観念して素直に従うしかない。ランディは、諦めて促されるままに敷居を跨いだ。
「さあ、席へ」
レザンが居間に続く扉を開けると、見慣れた景色は様変わりしていた。乱雑に物が置かれていた室内と棚は綺麗に整頓されており、食卓に至っても綺麗に磨き上げられ、蝋燭の灯を穏やかに反射させている。言ってしまえば、単なるこざっぱりとした居間だが、それも見た者に古めかしさと大人びた印象を与える。用意されていた向かい合う二席の内の一つの背を引いてシトロンを座らせ、自分も反対側の席へと移動し、居心地が悪そうに席へ収まる。
「誠に勝手ながら料理の品書きは、私の自由にさせて頂いた。勿論、腕によりをかけたものばかりだから存分にお楽しみ頂けるかと。因みに何か苦手なものは?」
間髪入れずにレザンは、何処からか持って来た達筆な字の品書きを二人の手元へ置く。同時に何か、苦手なものは無いか確認するも二人は首を横に振る。
「では、少々お待ちを」
レザンが退室すると、二人は静かに品書きと睨めっこ。穏やかな沈黙が流れる中で一通り目を通したシトロンが先ず始めに喋り始める。
「最近、かなりの頻度で来てるけど。ちょっと手を加えただけで雰囲気が変わるのね」
「やり過ぎだよ……こんなの想定してなかった」
緊張と恐れ多さで何度読んでも品書きの文字が目を滑り、内容が頭に入って来ない。会心の一撃と呼んでも可笑しくない番狂わせにランディは、音を上げた。驚くのはその行動力と効率、そして完成度。たった数刻でぴったりな空間と雰囲気を作り出し、自らも演者として品書きや服装も難なく用意している。見縊ったのではなく、相手が勝手に想像の域を超えて来たと言うのがランディの現状を示す適当な言葉だろう。
「これはこれでありね……太々しさが無い小物のあなたなんて」
「余裕たっぷりと言ってくれ。これでも……気を張ってたんだ。だって頼りない奴だったら皆が余計な不安を抱えるだろう? 例え、空元気でも一人、飛び抜けた馬鹿が居るだけで場の空気が和むのさ。所謂……処世術って奴だ」
「下らな……打算とか言ってるのが最高にダサい」
「もう、反論する余裕も残って無い。何とでも言ってくれ」
自暴自棄になってポケットから煙草を取り出し、吸い始めるランディ。何かに依存しなければ、平常心で居られない。取り乱すランディを見て微笑むシトロン。
「だけど、落ち着くでしょ? 何て言っても勝手知ったる我が家なんだから」
それを言うならば、勝手知ったる他人の家。そんな突っ込みも追いつかない。勿論、レザンだけでなくシトロンにも言える事だが、全てはランディの体を気づかうが故。完治していない怪我の身で無理をさせない為に普段着で来る事をシトロンは指定し、レザンも慣れ親しんだ家であれば、身体に障らないと考えた。そもそも本人が己のおかれた状況を理解しておらず、必ず無理をすると分かり切っているのだから当然の帰結と言えよう。
「そうだけど……レザンさんにご迷惑を」
「好きで買って出てくれてるの。きちんと受け取りなさいな。普段は堅苦しいお年寄りでも偶には、羽目を外したいのよ。それに最初から厳格な人って何処にもいない。レザンさんにも若い頃があってこんな茶目っ気たっぷりな一面があったんだと思う」
誰かに身を委ねる事など無かった。落ち着かない一番の原因はそれだ。委ねられるそんな役割を求められて行く内に自分の本質として組み込まれてしまった。その関係性の均衡を知らぬまま過ごして来た身の上なのだから今更、治せと言われても簡単には治らない。
「それなら良いのだけど」
「もう……何時までもウジウジしない」
時には見返りを求められない誠意を与えられる事もあり、それを素直に受け取る必要もあるとシトロンは、ランディに教え解く。だが、そんな教えを聞き入れる寛容性を持って居れば、そもそも困っていない。ならば、思考の迷宮から現実に引き戻す方法は一つだ。




