第肆章 開演 1P
「い や だ !」
「意地でも連れて行くからね。フルール、もう観念してよ」
「誰か、助けて! 見知らぬ男にあたし、拉致されてる!」
「無駄、無駄。周りからはちっともそんな風には見えてない」
日にちは戻って進み、週末の朝。からっと晴れた空の下、教会近くで午前中から賑やかな二人組がいた。勿論、二人組はランディとフルール。昨日の約束通り、朝の礼拝に向かう所だ。
「離 し て !」
「離さないよ」
ランディは聖書と讃美歌入りの肩掛けカバンを引っ掛け、ジタバタするフルールの腕を組んで引きずっている最中だ。形振り構わず、フルールがあらゆる抵抗をするも効果がない。
「ほら、そろそろ着くから諦めなって」
「良い迷惑よ、うちまで迎えに来るなんて。父さんも母さんも笑顔で見送って来るし……」
フルールが今朝の出来事を思い返し、ぶすっとした顔で文句を垂れる。本当なら今日は少し遅く起きて朝食をゆっくりと味わい、ボサボサ頭のまま午前中を過ごし、午後からはランディを思いっきりパシリに使う予定だったが全て崩れ去った。
「本当に優しい御両親だよね。コーヒー、御馳走になったし」
「いつの間にか家族の一員見たくなっているのはどうして?」
前を向いたまま、あははとランディが笑い、フルールは心底、驚いたように言う。
「さぁ?」と質問に振り返りながら首を傾げるランディ。いつも早起きの母親に起こされて居間にボサボサ寝巻で行ってみると椅子に座り、脱げが立つホットのコーヒーを片手に父親と談笑するランディがいたのだ。ついこの前、両親に紹介したばかりだがもう馴染んでいる。
ランディの適応能力は思いの外、恐ろしい物があった。
「やあ、おはようフルール。約束通り、今日は礼拝に行くよ」
にこにこと笑うランディの一言から一日は狂い始めたのだ。
「因みにあたしが来るまでどんな話を父さんとしていたの?」
和気藹々と話していたので気になったフルールはランディに聞いた。
「もうこの町には慣れたかとか、養子にこないかとか……後は最近、聞く盗賊団の話さ」
「先の二つは触れないとして盗賊団の話って確か、襲われたのが此処から近い『Alto』だっけ?」
「そうだよ」
「怖いよね。もしこの町が狙われたら……あたし、か弱いから襲われたらどうしよう」
「フルールは大丈夫。俺より強いから自信を持って言えるよ」
目に不安の色を見せるフルールが自分自身を抱きしめて怯えた。
乙女なフルールに笑いかけながらランディは朝っぱらから一言余計なことを言う。
「ああん?」
「ごめんなさい、余計なことを言いました」
フルールの怒気にあてられたランディは委縮した。
「人間、余計なことは考えずに素直でいることが一番だよ。分かったかね」
「はい。以後、気を付けます……」
「―――― それともう諦めたから腕、離して」
やっと諦めたフルールはランディに腕を離すように言った。実を言えば、無駄話している間にもう教会は目の前にまで来ていたのだ。教会の入り口には小さな鐘があり、其処には今にも風に飛ばされそうなキノコがいる。キノコはこちらを見て満面の笑みを浮かべ、千切れんばかりに手を振っていた。ランディは手を離すと手を振って来ているキノコに向かって頭を下げる。
「はあ、もう帰りたい」
溜息を吐くもフルールは後に引けない。フルールの日常はランディが来てから前途多難だ。人生の難易度がEASYからHARDへレベルが上がった。一方、キノコはフルールが一緒に来たことが分かると飛び跳ねて喜んだ。しかし直ぐに足をひねって痛そうに足首を抑えて止めた。ベタ過ぎて笑いも起きない。
「先が思いやられる……」と頭を抱えてフルールが愚痴をいった直後に教会にある鐘の軽い音が鳴った。鐘の音に驚いて小鳥たちが何羽か、慌てて飛び立つ。
教会の上、町の空は無限に青く広がっていたが今日の空はどこか違っていた。
何かは分からないが大きな出来事が起こりそうな。引っかかりのある青空だった。
不穏な予感をさせる空の下、フルールとランディは並んで教会に入って行く。礼拝堂の中は質素で表とは違い、白と茶色で統一され、綺麗に掃除や補修がされていた。天井は吹き抜けで高く、座席は町の住人が全て座れるくらい。明かりは窓から差し込む日の光と暗い場所には蝋燭が少し。出入り口とは反対の天井に近い高さの壁にはステンドガラスが嵌め込まれていた。真下には大きな舞台があって教会のモチーフと教卓、オルガン、椅子が二つほど。基本的に田舎の教会は小さく、質素。町の規模が大きくなって行くにつれて大きさも装飾の豪華さも比例する。中では既に幾人かの人が座って静かに待っていた。
その殆どが年寄りばかり。ランディ達は教会に入るとまず、席の場所で揉めた。フルールは「一番、後ろが良い! それ以外は却下」と凄みながら言い、ランディは「折角、来たのだから一番前でしょ」の一点張り。結局、十分間の醜い言い争いで折衷案の真ん中になった。いつでもどこでもマイペースな二人がやっと落ち着いて座ると少しして二人の人物が舞台へと上がって来た。
一人は聖書と讃美歌集を片手に綺麗な祭司服を着用したエグリース、もう一人は楽譜を片手にひょこひょことエグリースの後について来たのは茶色の簡素なドレス来たユンヌ。
何故、ユンヌが出て来たのかと言えばオルガンの奏者が必要だからだ。
流石にエグリース一人だけでは礼拝は回せない。ユンヌは座席を見渡してランディとフルールを見つけ、驚いた顔をした。でも直ぐに笑顔で小さく手を振って来た。ランディとフルールも笑顔で手を振り返す。そしてエグリースが席に着き、ユンヌはオルガンの前ある椅子へ上品に座った。一瞬の沈黙が教会の中で胃を締め付けるような緊張を読んだ。数泊を置いた後、ユンヌによる前奏が始まる。
簡単な音階だが、教会内の空気は前奏で何かが変わった。落ち着いた、厳かな雰囲気になったというべきか。短い前奏の後、エグリースは席から立ち上がると教卓へと足を進める。教壇の前まで来ると先の笑顔はどこかに行き、聖職者の顔になり、口を開いた。
「皆さん、おはようございます」
「おはようございます」とエグリースの挨拶に一同はバラバラな挨拶を返す。
「これより日曜礼拝を取り行いたいと思います。まずは讃美歌、今日は三一四番です」
エグリースの言葉を受け、一斉に頁を捲る音が教会内で響き始めた。
「皆さん、それでは御起立をお願い致します」
やはりどれだけ見かけが頼りなくて、五月蠅くとも聖職者なだけあって自信を持って礼拝の司会進行を
行うエグリースは堂々として立派だった。毎日を礼拝の時と同じように過ごしていれば誰からも尊敬されるような神父になれるというのに勿体ない話だ。全員が起立して讃美歌を歌い終わり、皆が着席をすると次はエグリースの説教が始まった。今回の話は求めについて。
「求めなさい。そうすれば、与えられる。探しなさい。そうすれば、見つかる。門を叩きなさい。そうすれば、開かれる。誰でも、求める者は受け、探す者は見つけ……」
エグリースが話し始めたのは有名な節だが例え話がしやすい逸話。この話は後に続く内容が重要で自分がして欲しいと求めることを人にやるべきだと言う教えである。この教えに絡めて冗談を言ったレザンも話の本質は理解している。あの冗談はエグリースのしつこさを少しだけ疎ましく思っていることとお人よし過ぎると痛い目にあうぞという意味であり、否定している訳ではない。そして途中でほぼ全員が有難いお話で撃沈されたこと以外はアクシデントもなく、礼拝は粛々と進み、正味二時間ほどで終わった。普通の礼拝と比べても大差はないがエグリースの話は長かった。
時間の半分をエグリースが使い、お説教に費やされたのだ。はっきり言って礼拝に参加した殆どの人間はエグリースが話している間の記憶はない。品行方正なユンヌでさえ、オルガンの前で船をこいでいたほどだ。ただ、世の中には必ず例外も存在する。皆が惰眠を貪る最中でもランディは一人、真剣な顔して話に耳を傾けていた。長いことを除けば話の内容は聖書に沿いつつも少しユーモアも含まれており、エグリースは話し上手だと言える。
こうしてランディは有意義な時間を過ごし、フルールが夜に眠れなくなることは確定したのだ。




