第壹章 身勝手な黄金の雨 3P
「そう言う所は、平凡で詰まらない感性を備えてるから不思議な生き物だよ。君って奴は」
「うるさい」
文句を言いつつも結果的にはそれなりに今の状況を謳歌はしている。しかし己の中に存在する懸隔がそれを許さない。様々な難所や修羅場を越えて来た過去の所為で落ち着かないのだ。無為に日々を過ごしてしまっているのではないかと自分を疑ってしまう。我儘を言えば、誰かに今の自分を許して欲しい。恐らく一番に許しを請いたいのは、自分自身だがそれを与えて貰うにはまだまだ道のりが長い。その願いが叶った暁には、恒久和平も同時に成就するかもしれない。だから答えは、己にしか出せないと言う帰結に至る。
「まあ、大体の様子は分かったよ。偶には、そんな日常を過ごすのも悪くはない。寧ろ、君に足りていなかったもの……全て詰まっているよ。時には、そんな感覚に酔いしれるのも悪じゃない。それが本来、正常なんだ」
「そんなもんかな——」
「そう。後は、それが何かってきちんと自分の言葉で表せたら正解だよ」
「……」
何となくは、分かっている。それを口にしてしまえば、自分は満足するのだろうか。納得するのだろうか。もし、違ったとしたら。その恐怖が未だ、付き纏う。今はまだ、時期早々として胸の内に仕舞って置きたい。そんな考えをルーに見透かされているかの様で腹立たしい。人の気も知らずに堅果をのんびりと咀嚼する友人の前でランディは、そう思った。
「二人とも楽しんでいるかな?」
「ヴァンさん、珍しいですね。給仕なんて」
「態々、町の英雄が足を運んでくれたんだ。挨拶くらいはさせて貰わないとな」
そんな答えの無い問答の最中、背後から声を掛けられた。振り向くと其処には、見慣れない壮年の男が一人立っていた。白髪交じりのオールバックと鋭いつり目の下には、濃い隈。服装は、すらっとした身体の輪郭の沿った小奇麗な黒のベストと白シャツに黒のスラックス姿で履いている茶色の革靴も手入れが行き届いており、鏡面の様に光を反射している。そんな男が給仕用の盆を片手に声を掛けて来たのだ。警戒するランディと違い、ルーは朗らかに笑う。ルーの笑顔に答え、それまで無表情だった男もにやりと笑う。
「ヴァンさん。此処の店主さ。ランディの事は、紹介しなくとも?」
「ああ。直接の面識は無いがこの町に居れば、知らない筈がない」
「どうも……」
「そう、構えてくれるな。取って食おうだなんて思っちゃいない」
この店の店主と紹介されれば、嫌でも更なる緊張が走る。相手は、相当のやり手だ。何せ、客が一癖も二癖もある曲者ばかり。それらを前にしても動じず、営業を続けられているのだから相当なもの。事前に与えられた情報の所為でランディには、目の前にいる紳士が正装姿で給仕をする物好きな悪魔にしか見えない。
「ヴァン・ドゥだ。此処の店主をやっている。その様子だとルーに何か吹き込まれたみたいだな。さっきも言ったがのんびりやってくれ。上客相手に失礼な真似はしない」
「バレたか。まあ、初めての場所だからそのくらい緊張もしますよ。それに店の雰囲気を知って楽しむには、程良い緊張感ってのも大事です」
「ものは言いようだな。緊張通り越して恐怖で笑顔が引き攣ってるぞ?」
「そりゃあ、あんな光景を見せられたらそうもなりますよ」
そう言ってルーは、目線をさり気なく他に向ける。その視線の先にあるのは先の若者達だった。案の定、誑し込まれている。怪しげな色気を放つ流れの遊女を前に鼻の下を伸ばし、言われた通りに酒や料理を注文しており、卓の上はとんでもない有様だ。
「店にそぐわない客を客とは呼ばんからな。これでも穏便に対処している方だろ」
「見慣れたとは言えどもですよ。僕ですら明日の我が身ではないかとゾッとします」
「彼奴らには、良い勉強代だろう。これでも手加減している方だ」
「何処がですか?」
「少なくとも二、三カ月。一心不乱に働けば、支払いは終わる」
「……末恐ろしい」
「仕方が無い。それが世の譬ひって奴だな」
心底、標的が自分たちでなくて良かったと胸を撫で下ろすランディ。こんな所で無様を晒せば、幾ら暗黙の了解があったとしてもあっという間に町へ広まる。そうなれば、己の身が危うい。肩を竦め、他人事のヴァンは、話を続ける。
「最低限の常識を弁えているか弁えていないかの違いだ。よっぽどの事がなければ、差し向け何かしない。第一、お前は俺が直々にこの店の不文律を教えてやったから問題ないだろう」
「流石に身の程は、弁えているので」
「なら大丈夫だ」
これでしまいだとヴァンが簡潔に締め括る。そして店の話題から次はランディへ焦点が当てられた。何事かと改めてランディが姿勢を正すとヴァンは、天井を見上げて呆れる。
「それよりも問題は、奴さんの方だ。そんな顔されて折角のひと時を過ごされたらこの店の沽券に関わる。全くもって由々しき事態だ。そうだなあ—— 何か、とびっきりの料理を持って来させよう。こんな侘しいもん食うな。後は、好きな酒を頼んでくれ。俺からの接待だ」
「阿保面下げてるんですけど、意外と用心深いんです。魚心あれば水心あり……じゃないですけど、そんなあからさまな好意を向けられたらもっと委縮してしまいます……」
「ならどうしたら良い? これでもお前さんの事は、気に入ってるんだ」
どう転んでもランディの委縮は解かれない。寧ろ、疑念は更に深まるばかり。焦り顔で首を全力で横に振るランディを見てルーは苦笑いを浮かべる。
「因みに今日は、お忙しいんですか?」
「この時期は、そうでもない。客足も少ないから店は、今居る人員で回せる」
少し考えた後、ルーはヴァンに対してとある提案をした。
「では……一緒に一杯どうですか? 多分、ランディもヴァンさんの人となりを知る方が肩の力も抜けるでしょう。後は、この町には頼れる年上の大人が著しく欠乏しているので海千山千の兄貴分が出来ると心強いかと」
「そんなもんが要るタマか? 見聞きする限りお前よりしっかりしてるぞ」
「それが何だかんだのここぞと言う土壇場で尻込みする情けないヤツなんですよ」
「ルーの言い分には抗議したい所ですが……その方が俺も」
ルーの提案に首を傾げるヴァン。誰もが店主との相席よりも店の奢りで好きなだけ飲み食い出来る方を選ぶだろう。だが、それ以上の何かが得られる格好の機会とも取れる。普段、関わらない相手との会合も偶には必要だ。それが町の裏側に精通するものであれば、猶更。
「聞いてはいたが、本当に変わったヤツだな……お前さん。まあ、そんな事で良ければ。寧ろ、これは光栄至極ってヤツだな。僭越ながらやつがれが仰せを承ろう」
「ありがとうございます」
そんな心算は無いのだろうが、面相の所為で捻くれた笑みに見えてしまう。されど、その笑みこそが素直な感情を表しているに違いない。自分が思っている以上に歓迎されている事が分かり、ランディの緊張も少しだけ解ける。指示を出しに行くと少し席を離れたかと思えば、直ぐに自分の杯と新たな酒瓶を持って席に座るヴァン。
「でだ、しょうもない若人達よ。今日は、どういった風の吹き回しでこんなしょうもない店に足を運んだんだ? 普段は、イヴェールの所で騒いでいただろう? さては、企み事か?」
「いいえ、この店へ訪れる事自体がその企み事って奴です」
「もしかするとその理由は、怪我にあるな?」




