第壹章 身勝手な黄金の雨 2P
「馬鹿だなあ」
「ああ、それで結構」
注文した酒とつまみが若い男の給仕によって届けられるとランディはグラスに酒を注ぎ、一口。その様子を見てルーは、呆れて肩を竦める。いそいそと煙草を胸ポケットから取り出し、火をつけると深々と吸う。吐き出した煙草の煙を眺めながらランディは、満足げに笑う。
「煙草……さいこう……」
「ほんとに単純だよ。君って奴は」
「それくらいが良いだろ? もっとかたっ苦しくした方が良かった?」
無言で首を横に振るルー。勿論、不作法を責める心算も毛頭ない。寧ろ、この席を設けたのは労いと言っても過言では無いからだ。気を張ってばかりで一息吐く暇も与えられていなかったのだから。身体の治癒も大事だが、時には心のゆとりを保つ必要もある。こうして本音を吐き出す場面も大切だ。目の前の阿保面を見る限り、危険を冒しただけの価値はあったと言えよう。もう一口、酒に口をつけてから何度も吸い口へ齧りついてまるで火事のように煙草の煙を立ち昇らせるのは、少し首を傾げてしまうが。
「積もる話は、それこそ山ほどある。でも君とこうやって集まれる日が来るなんて考えてもいなかった。先ずは、この時間を大切にしたい」
「止めてくれ……嫌がってた癖して。冗談が冗談になってない。笑えないよ」
「まあ、ほんとの事だからね。此度の出来事で散々、迷惑を掛けた。申し訳ない」
ランディもルーの意図を知っているが故に感謝している。そもそも少し前までは、こんな日が訪れる事など、思っても居なかった。こうして集まっているのも奇跡に近い。不意に姿勢を正し、深々と頭を下げるランディを見てルーは、動揺する。ルーとて、謝罪が欲しかった訳ではない。忠告を無視したからと言って侮蔑する心算も無い。互いの立場も理解し、其処に齟齬があって然るべきだと言う事も理解している。例え、その違いが紆余曲折を生んだとしても結果としてきちんとあるべき場所に全て収まってくれた。
「それでどうなんだ? 最近の調子は」
「頗る順調だよ。問題は……盛り沢山」
「その報告の何処にも順調さが感じられない訳だが?」
「自由が無い。常時、鋭い視線に晒されている所為で生きた心地がしない」
ルーが言葉に困り、話題を変えてみると予想通りの回答が帰って来た。直接、話を聞かずとも遠巻きに見物しているだけでも手を焼いているのは一目瞭然。慣れていない状況に振り回され、疲弊しきっている。こればかりは先の事案とは違い、解決策が無いのが一番の問題だ。無茶を重ねた結果、重い制限をランディは課せられている。
「馬鹿だなあ」
「自分が蒔いた種とは言えども……だ。俺が壊れるのも時間の問題」
「一度、壊れてみてはどうだね? もしかすると、新たな境地に至るかもしれない」
「そんな境地に至ったら最早、俺とは到底、呼べない代物になるだろう」
他人事なのは、最後の足掻き。勿論、本気で悩んだとしても根本的な解決に至る訳でも無く。燃え滓同然の煙草を灰皿で揉み消しながらランディは溜息を一つ。この場で相談した所で何も変わらない。ルーからの冷かしにも怒る気が起きない。
「まあ、そうなるだろうね。でも何がイヤなんだい? 年頃の女の子二人に挟まれてさ。見方を変えてみれば、誰もが一度は妄想する下らない煩悩のそれだ」
「傍から見てれば。そりゃあ、そうだろう。でも現実ってのは……非常だよ」
先を促すルーに対してランディの溜息は尽きない。早くも二本目の煙草に手を出し、深々と胸に吸い込んだ後、大きく吐き出してからぽつりぽつりと言葉をランディは紡ぐ。
「先ずは、距離感が狂ってる。言動も行動も全てさ。最初は、気にならなかった。それに少し心が揺れ動きもするけど……何日も一緒に過ごしていたら話が違って来る。しかも寄り添うなんて生温いもんじゃない。自分の予定は勝手に埋められて暇が無いし、粗探しでしょっちゅう小言を言われ……手綱を握られてるから少しでも気に食わなければ、修正される」
「ほんと、君は拗らせてるな……ちょっとは夢を持ちなよ。現実ばかりを見てるからそうなるんだ。少しは、幻想を見る努力をしたまえ。そうすれば、そんな現実も霞んでしまう。まあ、今の君は下らないありきたりな日常って奴に浸食されているのだから仕方が無いか……寧ろ、今までがどれだけ自由であったか痛感しているわけだから」
「気の強い二人を相手してれば……そんな余力も無くなるよ。そもそも体も精神面でも回復してないから毎日を恙なく終わらせるのが精いっぱい」
「随分と生きるのに必死だなあ……まあ、分からなくもない。僕から言えるのは、一つだけ。さっさと慣れる事だね」
あれだけ溌溂と自由を満喫していた若者が今では、小さく纏まって詰まらない男になってしまった。当然、これまでが無法状態であり、ちょっとした首輪を付けられただけ。まだ、泣き言を言うのには早い。きっと世の所帯持ちから鼻で笑われるに違いない。
「それから? まさか、そんな事だけで音を上げたワケじゃないだろ」
「話が辛い。取り留めも無い話だけならまだしも共感を求められる。少しでも興味が無い素振りを見せてしまえば、機嫌を損ねてしまう。逆に俺から話を振るとオチを求められる」
「当然だね。其処を上手くやり過ごすのが紳士として腕前の見せ所だよ」
「大体、怒った話やら辛い話ばっかりで聞いてるこっちの気が参る。しかも行く所が殆ど一緒になってるから目新しい話なんて仕事の話くらい。それも飽きたって言われ始めてる。こんな風に出掛けられれば、日々の話題にも事欠かないのに。もう、俺には何にも残ってない」
こんな毎日を続けていれば、何時か壊れてしまう。せめて解決の糸口でもあれば、少し展望が見出せるのだが、それすらも与えられない。
「上手い具合に距離感を保つのがより良い関係性の構築に繋が……って言っても君のそれは話が違うか。ごめん、ごめん。怪我人で看病を理由に引っ付き虫だもんね」
睨むランディに気が付いてルーは、謝る。
「それなら解決策が愈々、残っていないね。まあ、事情が事情だけに仕方が無い」
堪え難きを耐え、忍び難しを忍び、未来の平和を実現する為に道を拓く。恒久の和平を築く道のりは長い。勿論、そんな事を言っていたら誰とも共同生活など送れない。この難関を乗り越えねば、誰かと添い遂げるなど一生無理だ。
「後は……そうだな。これが一番の問題だ。とっても困ってる」
「困らせる側の君が?」
「それは、君も似た様なもんだろ?」
「そうだね。それで? 分からず屋の権化と皆が口を揃えて言う君を困らせるものって?」
「時々……否応なしに視線を奪われる」
少しぽかんとした後、珍しく声を押し殺しながら腹を抱えて笑うルー。そうなるだろうと予測していたランディは、脱力して背凭れに寄り掛かり、虚空を見上げる。
「笑うなよ……ほとほと困っているんだ」
「悪かった、悪かった。まさか、君の口からそんな言葉が出て来るとは思ってもみなかった」
笑い過ぎて出て来た涙を拭いながらランディを急かすルー。
一方、ランディは不満げな顔をしながら杯に残った酒を飲み干す。
「でだ……どんな時が君の心に突き刺さっている訳なのか。聞いても?」
「ほんとにふとした瞬間ってやつだなあ……何かに集中してる時に髪をかき上げる仕草とか。ぴったりとくっついて来てうたた寝してる時の寝顔。後は、何かの拍子に目が合った時、微笑まれると……心臓をぎゅっと掴まれた……感じになる」




