第壹章 身勝手な黄金の雨 1P
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「黙っての外出……でも野郎の顔を眺めながらの酒……何とも味気ない」
「全部、君が悪いんだ。反省しろ。そんでもって今日は、奢り」
「朝まで付き合う約束はしたけど、代金の約束はしてない」
酷暑と残暑の切り替わりを目前にした八の月の中盤。後ろめたさと開放された興奮。そんな背徳と自由が鬩ぎ合うある夜にランディとルーは、薄暗い酒場で集った。その理由は、単純明快。あの日の約束を果たす為。全てが終わった後に杯を交わすと言う実にありきたりな約束だ。煙草と埃の臭いが立ち込める店内。煉瓦造りの壁横の目立たない席でまだ、羽織るには早過ぎる外套を椅子の背凭れに引っ掛けたランディは、集まって早々に真向いで仕事着姿のルーから支払いを押し付けられそうになって露骨に顔を顰める。
「迷惑料だ、迷惑料。どれだけ僕が駆けずり回ったか。君には分からないだろう」
「悪かったって。反省してる。それに君のお陰で阿保面下げてのんびり過ごせてる事も」
理解はしている。机を挟んで向かいに座る友がどれだけ尽力してくれたなど、想像に難くない。足を組みながら顔に疲れを滲ませる青年は、先日の出来事の功労者だ。当然、無碍にも出来ないが納得も出来ない。何故なら好き勝手を許せば、自分にとんでもない災いが降りかかる。降りかかる火の粉は、己の手で振り払わなければ。それがこの町の流儀だ。
「でも金と約束の話は、別。君に好きなだけ飲ませたら確実に破産する」
「そんな未来も悪くないだろう。僕との貴重な時間と天秤に掛けたら」
「それなら年上の悪いおねーさまに捕まって翌朝、下着一枚で家に帰る方が何倍も良い」
「もし、それをやったら確実に殺されるからね」
そんな間抜けな己の姿を想像すると馬鹿らしくて仕方が無い。けれども今は、ルーから現実を突き付けられた所為で恐怖が勝る。青い顔をして震えるランディを見て溜飲が下がったのか、やっとルーから笑顔が見られた。
「君との飲みだって同じさ。どれだけ苦労したか……夕飯は必ず、一緒。挙句に寝る所まで見張られているんだぞ? 早めに寝たふりして窓から抜け出すなんて初めての経験だよ。此処に来るまで暑いのにむさ苦しい外套を被って目立たない様に裏道を駆使した訳だ」
そもそも此処へ訪れる事でさえ、かなり危険な橋を渡っている。今のランディは、極限の監視下で管理されている。それは、日々の行動だけに限らず、その一挙手一投足でさえも。
いつ何時、発覚するか分からない不安の所為でランディは、落ち着かない。
「その苦労が報われたなら良いだろう? 僕だって大変だったんだ。君との連絡方法は皆無。ユンヌの見張りをかい潜って手紙のやり取りは、流石の僕でも骨が折れた」
当然ながらそれは、ルーも同じ。悪友同士。少しでも時間を与えてしまえば、悪巧みをする事は、明白だったのでランディ程ではないが厳しい監視下にある。
「でも安心したまえ。この店の店主は、口が堅い。皆、後ろめたい事で集まる時は、此処って相場が決まってる。それと此処で出会った事、起きた事は皆、口外禁止が暗黙の了解。後は、僕もかなり懇意にしてるから目立たない席を融通してくれた。僕らの安全は、保障されている。僕ら自身が口を割らなければ、バレる可能性は限りなく、零に近い」
「本当かい? まあ、静かで落ち着いているからゆったり出来るけど」
「勿論、裏があるんだけどね。密談の場を提供して貰う代わりに値段がかなり割高だから気をつけたまえ。シトロンの家で飲む感覚で楽しむと直ぐに財布の金が底をつく」
「夕飯は、食べたばっかりだ。ちょっとしたツマミと……酒は、一番安いのを瓶で頼もう」
後ろめたいナニカがある時に集まる場所は、決まって此処。中央の通りから一本裏路地に入って直ぐの地下へ続く階段を降りれば、其処が日陰者達の安息地だ。町民だけに限らず、強面のならず者や胡散臭い笑みを浮かべる歯抜けの詐欺師にこの暑さにも関わらず、外套のフードを深く被り、顔が見えない不審者など、普段通りに生活をしていれば、滅多な事ではお目に掛かれない人物達が総出演している。そんな場だからこそ、それなりの代償を要求される代わりに一種の不可侵領域として一定の秘密保持も保証されている。少しだけ緊張が解けたランディは、椅子へ深々と腰を掛けた。郷に入っては郷に従え。店の流儀が分かれば、それ程難しい話でも無い。するりと抜け穴を通ればそれで良いのだから。元々、かなりの頻度で訪れる店でもない。次の機会で少し派手に遊べば、この不義も相殺されるだろう。
「随分とこなれているじゃないか? ぶっちゃけ、こんな事態なんて日常茶飯事だっただろう。君みたいな輩が良い子ぶってるのは、何だか違和感が凄い」
「正確にはこの町では、初めてなだけ。養成所の時に悪友が散々、俺を引っ張り回してた」
「そんな所だろうと思った」
頼りない蝋燭立ての明りを頼りに備え付けてあった酒の品書きと睨めっこするランディを見てにやりと笑うルー。長いカウンターの後ろにある棚には、隙間なく酒瓶が置かれており、そのどれもが通常の価格では飲めないであろう事は、ランディにも分かっている。だからこそ、自分が知っている中で一番質の悪い酒を探し出しているのだ。
「でもそんなセコイ飲み方をしてると……ああ、説明するより実際に見た方が早いね」
「何だい? 屈強な用心棒でも奥に控えて……それより恐ろしいものを見た」
当然の事ながらルーの方が町の文化や流儀にはランディよりも精通しており、一枚上手。
ルーは、さり気なく別の卓へ目線を滑らせてランディに現実を突きつける。つられてランディも視線を向けると其処には、自分たちと年頃の近い三人組がいた。馬鹿笑いをして騒がしい若者だけならば、ランディも恐怖を抱く事も無い。何処にでも見られる風景の一つだ。
寧ろ、問題なのはその席へゆっくりと歩み寄る二人の女性だった。派手に胸元を開けたドレスと小奇麗な化粧がなされたその顔には、妖艶な微笑み。あの雰囲気は、町の者ではない。外から来た流れの遊女で間違いない。その構図は、狩る者と狩られる者のそれだ。これから凄惨な見世物が始まる。そして、それは決して他人事ではない。
「そうさ。祭りの時期に限らず時折、おねーさま達が町に流れ着くんだけど……必ずこの店で何日か滞在している。多分、良い稼ぎ場だからだね。実際の所、店主がやり手だからそう言った搦め手で雑魚狩りをして店を成り立たせている。今回は、僕らと同世代くらいのあそこで馬鹿やってる奴らが標的かな? 雰囲気にそぐわない馬鹿が最近、たまり場にして困ってるって言ってたから」
初めての場に対する恐怖は、悪ではない。ようは、塩梅だ。この場にそぐわない振る舞いを続け、店の雰囲気と利益を損なう厄介者と見做されれば、不要な怒りを買う。
「翌朝にはすっからかんだね……末恐ろしい」
「程良く年相応の羽振りであんな風にバカ騒ぎしなければ、あんな目には遭わない」
「心得た」
これからどの様な調理をされて美味しく頂かれるのか。興味がそそられるも目の前の自分たちの事が最優先。先人と同じ轍を踏まぬ為にそれなりの値段の酒と質素な肴を注文するランディ。尊い犠牲を無駄にしてはならない。
「———— っく! 久々の酒は、身体に染みる」
「高々、十日くらいの話だろう? 僕なんて二週間は我慢したんだ。まだ、マシだろう。と言うか、本当なら飲める方が可笑しい。君の体は、一体どうなってるんだ?」
「細かい話はナシッ! 今は、この感覚に酔いしれたい」




