第陸章 Kilroy was here. 5P
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弔い。一般的には死者に対する慰めと言うのが妥当だろうか。だが、それは生者の驕りでしかない。その気持ちや行動が実際に亡き者へ届く訳でもないし、失われたそれらには最早、会いたいと感傷に浸る決定的な部分が欠如しているからだ。それを持っている生者達が失った事を忘れぬ為の戒めや失った事実を受け入れる為に赴いている。
そして、それはランディとフルールも例外ではない。
「何処に向かっているんだい?」
「……ちょっと待って。今、分かりやすいように考えてるから」
「承知した」
薪集めから更に三日程立ったある日の昼下がり。フルールは、ランディを連れてとある場所へと向かっていた。それは、町の裏手の門から出て農園に繋がる道を横に逸れて獣道に入った先。先導するフルールの後を追ってランディは、その目的地へと向かっていた。
鬱蒼と生い茂った木々の間から差し込む陽光だけが頼り。先日とは違って二人だけなのでランディは、腰に剣を携えていた。されど、その剣があっても不安は拭えない。言ってしまえば、お守りに過ぎず、護身には何の役にも立たない。何か不測の事態が起きて強襲されても満足に一太刀振るう事すら叶わないのだから当然だ。懸念材料が残るも強い押しに負けてしまったので仕方が無い。危険を冒してまで町の外へ訪れる理由がランディは知りたかったのだ。振り向く事無く、フルールはランディの問いへ答え始める。
「ほんとはね……二人で約束してたの。旅立つ時は、見送るって。でも……あの時は、父さんと母さんから止められて……やっと家を出られたのは、あの人が旅立った後だったの」
「そうだったのか」
「だからこの前は、あんな事があったけどきちんと見送れた。約束を果たせて良かったわ」
嘗て交わした約束。長い年月を経てやっと果たされた。そんな説明を聞けば、ランディでも何となく察しがつく。向かっているのはその約束に因縁浅からぬ場所で間違いない。
「今、向かってるのは……待ち合わせの場所」
「……そうか」
ランディの推測は正しかった。どんな想いを秘めてその場に向かおうとしているのか。それを推し量る事など出来ない。別れの一言で片付けるには、重過ぎる。時折、休憩を挟みながら辿り着いたのは、静かで薄暗い開けた窪地であった。頭上は、道中と変わらず、木々で陽光が遮られて地面は湿っていた。目を引くのは、聳え立つ崖。高さは、大人が四、五人分の高さくらい。その崖に丁度、雨宿りが出来るくらいの横穴が空いており、其処には丸太が二つと画架が一つ置いてあった。
「……此処よ」
「静かで—— 良い場所だね」
「あたしだけが知ってる秘密の場所。集中して絵を描きたい時に来てた」
まるで秘密基地の様な。いや、フルールにとっての秘密基地なのだろう。横穴に近寄り、フルールは細い指先で埃っぽい画架を撫でる。辺りを見渡しながらランディも歩み寄り、フルールの横に並び立つ。木々のお陰で真夏の日差しから守られた壁面はひんやりとしており、避暑地とは丁度良かった。感慨深げにしている様子から暫く此処へ訪れる事がなかったのだろう。丸太の傷み具合や画架の誇りや螺子の錆から簡単に推測が出来る。そのきっかけは恐らく、アンジュで間違いない。最初は、近寄りがたい気持ちから始まり、それから少しずつこの場所の居心地の良さを忘れ去ってしまっていった。そんな所だろう。
「因みにランディには分からないかもしれないけど……一つ聞いても良い? 昨日、そう言えばって思い出した事なの。結局、最後まで本人から聞きそびれちゃったから」
「答えられるかな? 俺とアンジュさんは確かに少し似ていた。けど、実際は随分と違う。何せ、アンジュさんは浪漫チストだからね。後は、俺よりもずっと博識だから」
「そう……」
「まあ……折角、招いてくれたのだから聞いてよ」
どうやら訪れた理由は、その疑問にあるらしい。期待に答えられるかは定かではない。だが、頼りにされているのであれば、それに報いたい。ランディが首を傾げているとフルールは二つある丸太の内の一つを指さした。
「これ。椅子代わりにしてた丸太なんだけど……彫ってある絵と文字。見える?」
「どれどれ……」
指摘されるまで気づかなかったが、確かに何かが彫ってある。ランディは丸太の前でしゃがみ込み、じっくりとその絵と文字を眺める。彫ってあった絵は、横棒を境に手をついて鼻の大きい特徴的な顔が半分だけ描かれた絵だった。
「最初の文字は、削られてて……でも参上って書いてあるのは読める」
「だね」
そして絵の上には最初の文字が削り取られ、辛うじて読めるのは参上の二文字だけ。
「アンジュさんが?」
「多分……でも何の事かさっぱりだから心当たりがないかなって」
確かにこれだけでは、フルールの言う通り何が何だかさっぱりであった。しかしランディには、この絵に引っ掛かりを覚えた。何処かで見た事があったのだ。
「何だっけか……何処かで見た事があるなあ」
「何処よ?」
「今、必死に思い出してる」
前髪を弄りながら考え込むランディ。そんなランディの袖を引っ張るフルール。
「それで……随分と時間が経ったけど?」
暫く絵と睨めっこを繰り広げるランディにフルールは、期待を寄せるも時間ばかりが悪戯に過ぎて行く。好い加減、痺れを切らしたフルールはランディへ問い詰める。
「うーん」
「役立たず」
「後、もう少しなんだっ! もう、喉元まで来てるっ——」
どれだけ唸っても出ないものは、出ない。ランディでも駄目だったかと、フルールが諦め、目を伏せたその瞬間、ランディは手が叩く。
「そうか……なるほど」
「思い出した?」
「そうだね……俺が知っている意味と合致しているなら」
「勿体ぶってないで言いなさいよ」
「聞きたい? 時間が経ち過ぎててあんまり……良い話でなくなった……かも」
「それでも」
茶色の瞳を輝かせるフルールに対してランディの茶色の瞳には影が見えた。思い出したのは良いが、この場でこの時機に話して良いものなのか、迷いがあったのだ。もしかすると、またしても悲しませる可能性があった。しかしながらこの機を逃せば、話す機会など、訪れる事は無いだろう。ランディは、覚悟を決める。
「これは……この壁の上から顔を覗かせているのは妖精なんだ。様々な所でこの絵が使われてて意味合いが全く違うけど……その内の一つにこんな逸話がある」
ランディは、この絵の持つ意味を二つ知っていた。その内の一つがフルールとアンジュの境遇と似通っていたのだ。まるで絵本を読み聞かせる様にランディは語り出す。
「先の大戦下で広まった話。とある田舎の港町での出来事さ。その港町に住む若い男が物語の主人公。その男に召集令状が届いた。召集令状ってのは、兵が足りなくて国民の中から無作為に選出して戦地へと派遣するんだ。まあ、大戦末期によくある事らしい」
「父さんから聞いた事がある。父さんのお兄さん。あたしにとってはおじさんだね。その人も呼び出されて帰って来なかったって」
「大体、そんなものが発令される時点で既存の部隊も消耗しきって物資も枯渇してる。その上、老いも若きも関係なく、素人が駆り出されるんだから結果何て明白だよね。しかも激戦地ともなると日に何人も……いや、下手をしたら何百人も亡くなる。悲惨としか言いようがない。ごめん……君のおじさんに起きた不幸な出来事を軽んじているのではないよ」
「ええ、分かってるわ。あなたもおじさんと同じ環境に身を置いていたんだから」
「理解が早くて助かるよ……」




