第陸章 Kilroy was here. 1P
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「ランディさん、僕でも思うんだな。それは……見ただけで何か勘ぐってしまうんだも」
「ラパン、俺に言うなよ。最早、自分の体ですら自分の思う通りに出来ないんだ」
ランディが目覚めてから数日経ったある日の出来事。酷暑が続く中で珍しく町は、騒がしかった。冬に向けての準備。暖を取る為の薪集めはこの時期から始まる。町の力自慢や若者を集めての習わしなので早い段階から始めねばならない。何せ、一日で切り倒す量も限りがある上に日程の調整も九の月から繁忙期に入る者もいるので難しい。何日かに分けての作業になるので早ければ早いに越した事は無い。
そんな重要な日であるにも関わらず、自宅の扉を開けたラパンの前に居るのは、別な意味で盛り上がりを見せる二人。松葉杖で体を支える疲れた顔をしたランディと空いたもう片方の腕にむすっとした表情を浮かべながら寄り添う見慣れた服装のフルール。ラパンを自宅まで迎えに来た二人の距離感にラパンは戸惑い、狼狽える。
「こうでもしないと直ぐに馬鹿な事する。目が離せない」
フルールの言い分は、至極真っ当である。普段と変わらず、白いワイシャツと細身のパンツを着用しているのだが、胸元や腕まくりした袖の隙間から見える包帯が痛々しい。歩けるようになっただけでまだ全快ではない。帯同する予定だが、治療的な訓練の一環で作業には携わらず、見学だけだ。その付き添いでフルールが役名を買って出たと言うのが事の顛末。
「……そう申しておられるんだな」
「ある意味では、拘束具と言っても過言じゃな—— いたいっ、いたいっ。やめて頼むから」
隣のフルールから執拗にわき腹を小突かれ、ランディはあっさりと謝り、掌を返す。
「ぶっちゃけ……人が変わるだけで毎日、フルールかシトロンが俺のお目付け役なの」
「そうなると一体全体、誰を労えば良いのか分からないん」
「愈々、混迷が極まって来ている日々この頃さ」
事ある毎に誰かが隣にいる状態が違和感を呼ぶ。されど、断るにも断れない。やっと仕事にも復帰したが、店番が殆どでそれ以外は、レザンに任せきり。加えて悪友との時間さえも規制が厳しく、面会時間も決まっている。少しでも勝手をすれば、何方かのお叱りが待って居る。自由と言うものは、この世に存在しないのだ。
「まあ、誰かに心配して貰える事は、ありがたい事。甘んじて受け入れるべき」
「おっしゃる通りだよ。師匠としては、そんな言葉が言える様になった君から成長を感じられて嬉しいね。涙がちょちょぎれるよ」
身から出た錆。甘んじて受け入れるしかない。ラパンの言葉にランディは、大きな溜息を一つ吐いた。勿論、全ては己に対しての配慮であって嫌がらせではないのだから仕方がない。
「それで……準備は万端かな? 楽しい楽しい薪集めの始まりだ」
「勿論。でもランディさんは、無茶は禁物」
「ああ……分かってるさ」
今日は、ラパンも駆り出されているので普段の服装ではなく、作業着姿に靴も厚手のものを履いている。何か役に立てる事があれば良いのだが、ランディに出来る幕は、恐らく何もない。目的地まで馬車に揺られ、木陰で皆があくせくと働く姿を眺めているのが関の山だ。
「先にチャットは向かってるんだも。僕らも遅れない様に」
「承知した。行こう」
町正面側の納屋が集合場所で其方へ向かう三人。歩く速さが遅いランディにラパンも合わせるのだが、如何せん松葉杖を突いていても特段に遅い。その理由はフルールにある。支えられてはいるものの、二人三脚に近い状態なので足元が覚束ないのだ。
「それでその引っ付き虫状態は何時まで続くんだな?」
歩きづらそうなランディを見て首を傾げるラパン。流石に其処まで世話焼きをすれば、本末転倒だ。子供ではないのだから面倒を見る必要もない。
「……治るまで」
「だそうだ」
「嫌でもその言葉の意味を深く考えてしまうん。何せ、ランディさんには治す所が沢山あるから……怪我だけじゃなくてその他にも。主に内面的なアレが」
「失礼だな。俺の何処にそんな問題があるとでも——」
「……」
横からじっと睨み付けられ、委縮するランディ。一挙手一投足に至るまで徹底した管理がなされており、更に言及すると何気ない言動に至るまですぐさま無言の圧力により、訂正を余儀なくされる。自由をこよなく愛するランディにとっては生き地獄そのもの。
「はい……重く受け止めております。関係各所に多大なるご迷惑をお掛けしました事、誠に申し訳御座いませんでした。申し開きも御座いません」
「これが大人になるって事なんだも……あれだけ自由を愛したランディさんもすっかり飼い慣らされてしまったんだな。師匠のこんな寂しい背中……見たくなかったんだも」
神妙な顔で謝罪会見を開くランディを見てラパンは、悲しみを覚える。その悲しみは、憧れていた人物の情けない姿に直面したからに他ならない。勿論、からかいも半分あるのだが、やられっぱなしでランディは、腑に落ちない。
「喧しいっ! 今に見てなさい。怪我を完治した暁には、我慢して来た事、全部——」
「ぜんぶ? ぜんぶってなに?」
少しは、男らしい所を見せてやろうと意気込んで大声を出してみたものの、途中でフルールに遮られて声量も直ぐにか細くなってしまう。
「そうですね……朝は、規則正しく早くに起床。万全な準備を整えた上で仕事に従事し、恙なく業務を終えます。それから夜は穏やかな夕食の時間をレザンさんと過ごし、翌日に備えて早く就寝します。休みの日には、適度な運動や読書、書き物をして過ごし、健全な生活習慣を守ります。悪友との夜遊びで散財なんてとんでもない。妙齢の女性と逢引きもご法度」
咳払いをして襟元を正し、落ち着いた声で規則正しく生活する事を高らかに宣言するランディ。それを聞いて満足したフルールはやっとにっこりと笑い、ランディの頭を撫でて褒める。何を見せられているのか。ラパンには理解が追い付かない。
「最早、規律が軍隊のそれなんだな……何が楽しくて生きてるだも。フルールねえ、あんまりなんだな。これじゃあ、ランディさんが壊れてしまうんだも」
「こうでもしないと管理が出来ないじゃない。文句ある?」
「あああ……うーん。おっしゃる通りなんだも」
助け舟すら岸へ近づく前に正確無比な砲弾を受け、呆気なく沈められる。
「助けてくれ。このままじゃあ、俺の尊厳が全て奪われる」
「身から出た錆と言うべきか……ご愁傷様なんだな。僕に出来る事は何もないん」
入院中よりも頬がげっそりとこけたランディは、小声でラパンへ助けを求めるも要らぬ飛び火が怖いラパンは、呆気なくランディを見捨てる。幾ら恩義のある師匠であっても時には、非情な決断を下さねば時がある。もし、ランディの側につけば、己の身が危ない。我が身可愛さが何よりも勝るのだ。
「そう言うなよっ! 君にだって出来る事が必ずある筈だっ! 諦めるなっ!」
「手遅れなんだも。後はその言葉、使い所を間違えているんだな」
「今がその時だろう?」
「情けなさで全部、台無しなんだも」
それでも縋って来る情けないランディに対して全て突っぱねるラパン。この会話も筒抜けなのでランディに寄り添う事は許されない。それを分かっている筈なのに尚も醜く足掻くランディに対して容赦のない鉄槌が下される。
「下らない相談事は済んだ?」
「いやはや、今後の朝の鍛錬についてラパンから相談を受けてました。ラパンが早く早くとせっついて困っていた所でして。丁度、今その日程調整も終わりました」
「はあ……」




