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Locus Episode2 Ⅰ〜Ⅷ  作者: K-9b
Ⅶ巻 第伍章 Receptionist
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第伍章 Receptionist 4P

 不足している要素が沢山ある。繋げねばならぬ箇所も。本来なら数か月の時間を要する治療を食事や水分補給すら困難な状態で容態を安定させたまま遂行するなどあり得ない。そんな最中で無駄に意識を取り戻させた所で当人の性質から鑑みて良くない事が起きるのは、分かり切っている。ならば、眠り続けていてくれた方が都合も良い。



「加えてランディ様は私との約束でお勉強中です。臓器に損傷はないものの、腹膜が破れてしまっているのでその補修を一から学んで頂いている最中でして」



「現代の医学とは、隔絶した知識だろ? さっきからの言い方だと細胞からどうにかしている訳だ。そんなもん、俺には無理に決まってる」



「そうですね。勉学に励んで頂いている間、私共で造血や筋繊維の補修、その他にも軽度の感染症も罹患しておりますのでその対処を」



「本当に至れり尽くせりだ。どんだけ甘やかせば、気が済むんだ?」



「それだけの価値がこの御方には御座います。無論、私共と接触が図れた時点でその権利をお持ちで御座います。それを恣意的なものとして捉えられても致し方ありませんね」



 聞けば、聞くほど不公正なものに聞こえてしまう。その技術があれば、これまで苦しんで亡くなった者が何人も救われただろう。しかしそんな道徳的観念すらも彼女達にとっては関係ない。手を下さずとも勝手に当人同士でその仕組みを作り出して排斥し、虐げる環境がるのならば、この一連の出来事すら霞んでしまう。



「ですが、有史以来この世界が誰にとっても平等であった事が?」



「そりゃあ、ねぇよ。どの時代も不平等で誰かが割を食らってた。その分を誰かが得して居た訳だ。そんな犠牲があったから今も続いている」



「左様に御座います。だからこそ、必要とされているのです。その終わりなき負の連鎖を断ち切る為の剣が。今、折れてはなりません」



 合理的でとても心地が良いものに聞こえて来る。だが、その感覚も印象操作でしかない。


 これまでランディを駆り立てて来た根源にヌアールは触れた様な気がした。



「心底、ぞっとするよ……やっと片鱗に届いた気がする。そりゃあ、こんなのが背後霊みたく逐一後ろに憑いて暗躍してれば、あんなになっちまうよな」



「それを幸と呼ぶか不幸と呼ぶかは、ランディ様のご自由です」



 常に結果と対価を求められ続け、大局を左右する程の身に余る『力』を押し付けられれば。凝り固まった思考になってしまうのも無理はない。加えて視野も意図的に狭く設定されてしまえば愈々、逃げ場などこの世の何処にも存在しない。扉側に置かれた机にある灰皿の上で煙草を乱雑に火をもみ消すヌアールに対して女は動揺一つも見せなかった。



「あくまでもこれは、ランディ様が選んだ答えです。私共は、その考え方に賛同しているだけです。故に強制をしている訳では——」



「それはどうなんだ? 恣意的にその考えへ至った奴を選出して手を貸していると言った方が正解だろ? あくまでの本人の意思だと言うがそれは、誘導した結果だ。勿論、貴女の言葉選びは責任逃れとかそんなやすっちいもんじゃない。目的を完遂させる為にその覚悟を問うている。それに適合したのが——」



「ええ。とても素晴らしい御方です」



 慈愛に満ちた虹色の瞳。だが、その瞳がヌアールに恐怖を駆り立てる。何を考えているかも分からず、そもそも理解が追い付かない。言い知れぬ闇を垣間見たのだ。



「偽らないな。正直は美徳とよく言うが……此処まで来ると寧ろ、おぞましい」



「何とおっしゃられても構いません。ですが、革新が必要なのです。私共は、それを求めています。それに手が届くかもしれない御方がランディ様なのです」



 そう言うと、徐に立ち上がる女。話はこれで終わり。やっと解放されると分かり、ヌアールは胸を撫で下ろす。こんな緊張感に包まれたのは、怒り狂うランディと相対した時くらい。寧ろ、それとは別種のじわじわと締め付けられる拷問の様な心的外傷を受けたと表現するのが正解かもしれない。



「随分と話が逸れてしまいました。四、五日後には血液量も生命維持に支障が無い程度まで回復いたします。不足分は、作り終えるまで常時補っておりますのでご心配は無用。筋繊維の縫合も時間は掛かりますが、鋭意進行中。此方は、ひと月を掛けてゆっくりと。感染症の根源は、既に駆逐を済ませております。必要な栄養素も逐次、私共で手配をしておりますので輸液のみで大丈夫です」



 女は窓の縁の前で立ち、空に浮かぶ月を眺める。雲が一つも見当たらない珍しく夏の夜空に相応しくない夜空で輝く月は、他の星々すらも霞んでしまう程に見事な満月であった。



「後は、ランディ様次第。今も机に向かって勉学に励んでおられます。そのお姿を拝見するのが少々、心苦しいのですが……致し方ありません。今回は、おいたが過ぎました」



「そんな笑顔で言われても虐めて楽しんでいる様にしか見えない」



 月に向かって悪戯っぽく微笑む女に皮肉を送るヌアール。



「そんな風に見えますか? 実のところ、これまで長い時間を一緒にお過ごし頂く事が無かったものでして。手が止まった時に煙草が欲しいと懇願されるのがまた可愛らしくて」



「まるで地獄だな……彼奴、座学は得意じゃないだろ」



「ええ、ランディ様をそうおっしゃられておりました。されど、それ以外は最大限の持て成しを。私共で徹底的に甘やかしておりますよ?」



 振り向き様に妖艶な笑みを浮かべ、人差し指を唇に当てる女。勿論、ヌアールにその内容を聞く心算は無いし、少しも羨ましいとも思えなかった。



「貴重なお時間を頂き有難うございます。これにて、私はお暇させて頂きます」



「厄介な相手だよ。貴女は。もう……金輪際会いたくも無い」



「私はとても賑やかなひと時を過ごさせて頂き、楽しゅうございました」



 一から十まで苦手な相手。自分よりも幾分か若い筈なのだが、年寄りの相手をしている様な感覚を植え付けられる。最後の最後まで幼子に戻ったと錯覚するくらい、弄ばれていた。



「ですが、ヌアール医師。次に目覚める時には、このひと時を忘れていらっしゃるでしょう」



「どう言う—— 事だっ?」



「残念ながら私の存在は、秘匿事項です。まだ、誰にも知られる訳には行きません」



 女の姿が不意に霞む。それと同時に意識と視界が薄暗くなって行く。ふらつくヌアールの手を取り、ランディが寝ていないもう一つの寝台へ誘う女。



「曖昧な記憶の中で覚えていらっしゃるのは、ランディ様が戻って来られる事だけ」



 それでは、これまでの話は一体何の為にあったのか。疑問と同時に怒りが込み上げて来るも睡魔がヌアールを掴んで離さない。寝台で素直に横たわるヌアールの視線は全て女の唇に奪われる。最早、今話しかけられた内容ですら理解が追い付かない。



「先の説明も消させて頂くので根拠も御座いませんが、それだけは信じておられる様になっております。ご安心下さい。身体や精神には、何ら悪い影響は御座いません」



「本当に……何でも—— アリだな」



「ええ。私共は世界と密接な関係にあります。造作もありません」



「くっ!」



「穏やかな眠りに誘われ、ゆっくりと休息をお取りください。ヌアール医師」



 まるで夏至の夜に妖精の集う森で起きた物語の如く機械仕掛けの神が全てに調和を齎す。果たしてこれが永久の平穏を約束するものなのか。それとも一時の平穏に過ぎず、更なる事変への助長に過ぎないものなのか。それは、かの歌う町にすら分からなかった。


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