第伍章 Receptionist 2P
「……何かしてやれる事は?」
「俺とミロワで大抵の事は。正直に申し上げれば、何も。強いて挙げるなら着替えの準備を。二、三日の間は面会謝絶ですね。容態が落ち着いて意識を取り戻した場合、ミロワか寄越します。当然の事ながら……あんまりこんな事を言いたくないですけど、逆も然りですがね。ブランさん達にも同じ事を伝えて貰えますか?」
「分かった」
「……」
乱れた髪を掻き毟りながら大きくため息を一つ吐いた後、ヌアールは話を続ける。
「正直に言います……何度か此奴の面倒を見て来ましたが、此処まで消耗しているのは、初めてですね。まあ、外傷に限ってですが……こんな重傷者の対応も久々です。この町に来てからは、一度もありませんでした」
「そうか……」
「こんな言い方したくないけど、無理のさせ過ぎでしたね。これじゃあ、意識を取り戻すかも分からない。このままの状態が続けば、自発的な生命維持も出来ず、衰弱死が待ってます」
確証は何処にも無い。寧ろ、悪い憶測ばかりが積み重なる。そんな現状に耐え切れず、シトロンがヌアールの白衣の袖にしがみ付く。
「そんな事ってっ! ノアさんっ!」
「煩い……喚くな。次に騒いだら追い出すぞ?」
「だって——だって……」
「事実を伝えているまでだ。俺だって出来る事には限度がある。全てやり尽くしてこれなんだ。無理な期待を背負わされても迷惑だ」
何でも良いから縋れるものが欲しかった。けれどもヌアールがその期待に応える事は無い。強引にシトロンの腕を振りほどいて髪の下から覗く鋭い眼光がシトロンを貫く。
「っ!」
「睨んでも無駄だ」
最善を尽くしても現状維持が精いっぱい。選択肢も限られている。そもそもこの現状が正しいともヌアールには言えなかった。最悪の想定をしなければならない。
「……最終的な判断は、お任せします。生きているとは言え、悪く言えば悪戯に余命を延ばしているだけかもしれない。これからの一生をこのまま過ごすのは、此奴も本望では無い。苦しみも痛みも感じないでしょう。それが此奴に対して俺が出来る唯一の救済処置です」
ヌアールの見解を突き付けられ、黙り込む三人。そんな状況下でフルールが覚束ない足取りで横たわるランディの下へ近づき、手を伸ばそうとするも。
「フルール、やめろ。衛生状態も現状維持に必須だ。お前の手は……血で汚れ過ぎている」
厳しい叱責に怯えたフルールは、すぐさま手を引っ込める。触れる事すら許されない。勿論、それは純然たる理由から来るものだが、その言葉には言外の意味がある様に聞こえた。
「……二人とも少し席を外して貰っても良いですか? 俺は、フルールと話をしたい」
「ああ、分かった」
ヌアールの意思を酌んでレザンは、素直に従おうとするもシトロンが動こうとしない。仕方なしに無言で手を引いてもレザンのさらりと振り払う。ヌアールを灰色の瞳できっと睨み、シトロンは一歩前へ踏み出す。何故、蚊帳の外に追いやられなければならないのか。シトロンにも当事者としての全てを知っておきたい。その考えに至るのは当然の事。
「私も聞く」
「いや、シトロン。お前は聞く必要が無い」
「そんなっ!」
「大した話じゃない。ランディの容態についてはこれ以上ないからな。隠し事は無い。さっきので全部だ。あくまでも俺とフルールの個人的な話だ」
寧ろ、聞かなくても良い事だと言いたげだった。そして、その言葉には心を底冷えさせる感情が垣間見える。肩を竦め、飄々とした態度で突き放すヌアール。此処から先は、この出来事にケリをつける最後の仕上げ。少なくともそれを今、伝えなければ何も終わらない。ヌアールは勝手にそう思い込んでいた。大人しく一度、処置室を出る二人を見届けた後、ヌアールはフルールの隣まで歩み寄る。
「今、この瞬間をその目に焼き付けろ……これが此奴の覚悟だ」
「……」
「そして……その原因は、お前だ。お前が願ったからこうなった。それだけは、間違いない。それを何と言って良いか……俺には分からん」
正しくは、正しく表現する言葉を持たないと言うべきだろうか。もし、ヌアールが感情のままに言葉を選んでいたら罵りと糾弾にまみれていた。そうしなかったのは、ランディの為でもある。独善は、この場において何の意味もなさない。ランディが願った事はそんなものではない。先に進ませたいと願ったからその代償を払ったのだ。
「あたしにとって……これはナニ? あたしにも欲しい。言ってよ……ノアさん」
この物語は、ランディだけのものでは無い。全てを独り占めさせる訳には行かない。その証がフルールは欲しかった。例え、どんなものであったとしても。自分を縛り付ける何かがある。それをフルールは知りたかった。そうでなければ。そうでなければ、また置いて行かれると分かっている。少しでも近くで居たい。どんな苦痛を孕んでいたとしても。
「俺が知っている言葉の中で表現するならこれしかない。これは……お前自身の罪だ」
「っ!」
「分かったか? 人間と言う存在の儚さが……どれだけ強くても簡単に折れちまう。どれだけ些細なきっかけでも簡単に消えかけちまう。言葉で言うのは……簡単なんだ。だが、それを目の当たりにしちまうと話は、別だ」
誰もが当たり前に理解している。されど、現実を見せつけられれば全くの別ものであると分からされる。消えるものではない。そう思い込んでいたものが些細なきっかけで失われる。
「此処から先は、俺の戦場だ。どんなに取り返そうとしてもお前に出来る事は無い。お前に出来る事は精々、居るかどうかも分からないカミサマって奴に縋って祈るくらいだろう」
それらを踏まえさせた上でヌアールは覚悟を問う。例え、居なくなってしまった未来でも責務を全う出来るのかと。登場人物として名乗り出るのなら相応の役割がある。
「同時に忘れるな。流れた血には、全て意味がある。お前は、此奴によって縛り付けられた。何があってもお前は、一つの事を続けねばならない」
託されたから。地獄の中でも報いる必要がある。それが残酷な願いであっても。虚ろな茶色の瞳で真っすぐランディを見つめたまま黙って頷くフルール。
「生き続ける事だ。どんなに絶望しようが苦しもうが関係ない。もう、お前の命はお前だけのものじゃない。此奴に望まれたんだ。自死は許されない。それを胸に刻み付けておけ」
絶望に打ちひしがれ、呆然とするフルールに少し迷いを見せた後、ヌアールは白衣のポケットから汚れた布切れを取り出すとその手に押し付ける。赤黒く染まったそれは、ランディがこの日までずっと腕に結んでいたリボンだ。それを見たフルールは、大きく目を見開く。
「後、これは此奴が持っていたものだ。元々は、お前のもんだろ? 仕方が無いから此奴の代わりに俺が返しておく」
それぞれの想いが交差した結果の産物としてはこれ以外に相応しい物は無い。けれどもヌアールの目にはおぞましいモノとして見えてしまう。いっそうの事、捨ててしまおうかとも考えたが、それは止めた。手渡されたリボンを震える細い指で強く握りしめるフルール。
「家に帰れ……頭を冷やして考えろ。これからのお前の在り方について」
正しさも間違いも存在しない。自分なりの答えを見つけろとヌアールは言っていた。
「それくらいしないと……お前は此奴が目を覚ました時、顔向けが出来ない」
冷たく突き放したのではなく、次に繋ぐ為の一歩を。
それが無ければ、この地獄は終わらないのだ。




