第肆章 死に至る病 9P
「嬉しいな。そうか……こんな結末があったなんて」
己が笑みを浮かべている事に気が付いたのは、少し時間が経ってから。じっと見つめ続けていたその人物は、ゆっくりと此方へ向かって来る。
「やあ、フルール」
「っ!」
声が届く距離になってからランディが挨拶をすると、フルールの肩が少し跳ねる。
「どうしたんだい? そんな物騒なモノ持って来て」
その華奢な腕の中で大切そうに抱えられている獲物を見間違える事は無い。俯いたままで表情が分からないフルール。ランディは、恐る恐る問いかける。
「もしかして……この俺に引導を渡してくれるのかい?」
「……そうよ。その為に来たわ」
遠くの何処かから響き渡る雷鳴。風に乗って土の匂いも鼻に届く。もうじき、雨が降る。
熱と光ですっかり乾ききった地に恵みが齎されるのだ。そう。今のランディと同じく。
「最後だ……そう。本当の最後。最後ってのは—— 華々しく散らないとね」
フルールの答えを聞いてランディは心底、嬉しそうに声色を高ぶらせる。
「今なら分かる。分かるよ。アンジュさん。こういう気持ちだったんだね」
全ての積み重ねはこの為にあったのだ。まさか、その手で幕引きをしてくれるとは思ってもみなかった。喜ばしい事、この上ない。そして、今なら彼の気持ちにも共感出来る。
『化物の最後は、こうでなくちゃ。きちんとしっかり討ち取られるべきなんだ』
最終局面。
もし、観客が存在したなら皆が固唾をのんで見守るに違いない。
大きく深呼吸を一つ。これが最後になる。
甘美な誘惑だ。
未だ嘗てこれ程までに完璧な結末があっただろうか。
いや、無い。ランディは自信を持って言えた。
「きちんと相手してくれる? 情けない最後は……嫌なんだ」
「……」
自分の命運でさえも委ねられる。本当に最後まで甘え切っていた。同時に疲弊してもいたのだ。考えるのも嫌になるくらい。背負っていた荷物を地面に置いてランディは、長袋から相棒を取り出す。もっと格好がつく出番を与えてやりたかったが、致し方がない。
「そうだよね。そうだよ……そんな顔だ。君らしい。とっても素敵だよ」
待ってくれていればそれで良い。
後は、自分で幕引きが出来る。
真っすぐに。
最後まで自分に対して正直であれた。
誇りに思う。
そして、感謝しかない。
「行くよ」
フルールが剣を抜いたのを確認してからランディも抜刀し、一気に駆け出す。
折れた剣が少しずつ近づいて行く。何処が良いだろうか。やはり、心の蔵を貫かれるべきだろう。そうすれば、痛みも一瞬だ。それとも最後まで醜く足掻くべきだろうか。その一瞬が訪れるまで地面を這いずり回るのも悪くはない。後十歩でケリが付く。
「ありがとう……フルール」
残された力を振り絞り、地面を踏みしめるランディ。後三歩の所で構えた剣を手放す。後もう少しで折れた切っ先に届く寸前で。一陣の風が通り抜け、ランディの髪を優しく撫でた。
その風の中には、確かに存在した。赤き残影が。通り過ぎた風が一気にランディを体を包み込んで勢いを殺した。どうした事だろうとランディは驚く。風に気を取られ、少し目を離していたフルールの方へ視線を向けるとその手には、剣が無かった。地面に転がった剣の横で大きく腕を広げるフルールとその後ろで小さな背中をしっかりと支える赤い影。
「ごめんね……気付いてあげられなくて」
気が付けば、両手で力いっぱい抱き留められていた。
「……」
今、自分のおかれた状況が理解できていない。目を大きく見開き、言葉も失い、呆然とするランディ。その胸元で顔を埋めるフルールはゆっくりと語りかける。
「もう、大丈夫。あたしは、十分助けて貰ったわ」
「殺せ」
勝手に言葉が口をついて出て来た。
「お陰でアンジュともきちんとお別れが出来た」
「殺せ」
こんな事を望んでいない。感謝される謂れも無い。言葉も要らない。一刻も早く終わらせて欲しい。ランディは、切に願う。
「次は……あなたの番」
「ころせっ!」
押し殺していた感情が一気に噴き出す。怒りが。苦しみが。憤りが。行き場の無い負の感情から早く解放されたい。その願いを叶えて欲しかった。虚空を見つめ続ける瞳が茶色から赤く染まって行く。このままでは、飲み込まれてしまう。
「殺してくれ……」
小さくともしっかりとした慟哭がフルールを貫く。
「殺してくれ……頼むから」
瞳を潤ませながらランディの顔を見上げるフルール。次の瞬間、皆の制止を振り切っても進み続けたランディの歩みが完全に止まる。
「頑張らなくて良い。その代わりに次は、あたしが頑張る」
「何を—— 何を言っているのか……さっぱり分からない」
「なら分からせてあげる」
穴の開いた心にその穴の為だけに設えられた小片が埋められる。
「最後まで諦めなかったんでしょ? 悲しくても涙が流せなかった。悔しくて苦しくて。そんな自分が許せなかった。なら、代わりにあたしが許してあげる。多分、違う。本当は、あたしが許すって言うなんて馬鹿げてる。けど、そうしないと違う事にすらならない」
全ての不条理を飲み込んででもランディを生かしたい。フルールの選択は決まっている。
「最後まであたし達の事を大切にしてくれてありがとう。でもね……もう、そんなの要らない。あなたをこんな風にさせるくらいなら要らない。確かに綺麗な最後って素敵ね。でもその為にあなたが追い詰められる必要は無いの」
今度は、フルールの真っすぐな想いがランディを貫く。
「あたしがそうさせた何てあたしが耐え切れない」
「違う。そうじゃない。君はっ!」
「違わない」
「違うっ! 違うんだっ!」
「違わない」
真っ白になった頭。思考が心の揺らぎに追いつかない。ぎゅっと握られたかの様に心臓が苦しくなる。苦悶の表情を浮かべるランディの頬にフルールは右手を差し出す。
「あたしがあなたに望む事は、こんな事じゃない」
全てが詳らかになった今。ランディに逃げ場など存在しない。虹彩から紅が抜け落ち、これまで押し殺して来た感情が雫となって零れ落ちる。一番、奥底で眠っていた感情の名は。
「あたしの願いは、たった一つ。きちんとアンジュにお別れをしてあげて」
「違う。アンジュさんは、まだ生きて……俺の中で生きている」
「いいえ、違うわ。どんなに悲しくても受け止めて上げて」
「そんな事、したくない。別れだなんて……もっと三人で一緒に」
「そうね。頑張ってくれたあなたに言うのも酷な話だけど……あたしもそう思う」
こうしたかった。ああしたかった。叶わぬ願いが無数に通り過ぎて行く。
「でもね。そうしてあげないとアンジュが静かにゆっくり眠れないの」
「嫌だよ。そんなの……絶対に嫌だっ!」
「あたしも嫌。でも……受け入れなくちゃ」
受け入れられない現実。それをフルールはランディへ突き付ける。
そう。アンジュの死を一番受け入れられていなかったのは、ランディ自身。
「もう、泣いて良いんだよ。あたしが誰にも邪魔させない」
「っ!」
まるでランディの醜態を覆い隠すかの如く、霧雨が降り始め、全てを濡らして行く。
「どうして……どうしてなんだよ。約束したのに」
「そうね。だから最後は、お話が出来たんでしょ?」
力なく、ゆっくりと崩れ落ち、ランディは膝を地面につけた。その体をしっかりとフルールは支え続ける。そんな訳が無いと分かっていても。フルールは、少しでもランディの心が癒えればと胸元で頭を抱きしめる。
「あの人があなたにそう望んだんでしょ?」
「最後までヒトで在り続ける事をアンジュさんは……酷いんだ。どれだけ言っても俺の願いは、聞いてくれなかった。生きてくれって言ったのに。俺に自分の願い事は押し付けるし」




