第肆章 死に至る病 5P
肩に力が入ったルーを宥めるランディ。決して油断が許されるものではないが、強く身構えるものでもない。只、知って欲しいのだ。誰もが持つだろう負の一面が表舞台に上がった瞬間、物語が始まってしまう。孤独な怪物として歩む物語が。
「でも君だって何時、飲み込まれても不思議じゃない。逃れられない王国の民特有の呪いさ」
「それは……本当かい?」
「ああ、誰もがそう。君の身近な人だって。ブランさんやレザンさん。ユンヌちゃんやノアさん。そしてフルールにも。何処にでもその人に対してのきっかけが転がっていて……手を伸ばせば届いてしまう。実際に手を伸ばして届いてしまったのがアンジュさんだっただけ」
運と言う言葉だけでは、片づけられない。日頃の積み重ねが全てだ。アンジュのそれも積み重ねた結果の一つ。だが、きっかけが無ければ、積み重ねも存在しない。なるべく、そのきっかけから身を離す事こそが自分を救う何よりの手立て。何せ、願ってしまえば理すらも簡単に曲げてしまう。安易に頼り過ぎれば、崩壊の一歩を辿る。
「その運命を呪うのも喜ぶのも個人の自由。だけど、その対価にとてつもない代償を支払う羽目になる。その対価ってのは……己だ。使い続ければ、続ける程に人間らしさが全てにおいて失われてしまう。最後に残るのは、己の身を焦がす強い『焦がれ』の炎だけ」
「……」
此度の出来事を簡潔に説明したのだが、あまりにも簡略化し過ぎた故にルーの理解が追い付かない。目を回したルーを見てランディは、一つずつ切り取って改めて一から説明する。
「説明が包括的でぼんやりしていたね。もっと細かく話をしよう。詰まるところ、あれは体と心の両方に作用する。体の作用は……最たるものを挙げるなら身体能力の一時的な向上と病や怪我の寛解だろうね。だが、それは完璧なものじゃない。身体能力の向上は、身体の内外関わらず、無理をするから影響が生じる。詳しくは知らないけど、筋肉を酷使し続ければ動かなくなり、酷ければ腐ったり、溶けてしまうらしい。内臓もそう。不調な箇所の代わりを担ってくれるけど、それは内臓の治療をするのではなく、使える様にするだけ。失った血も代わりの何かで補う。怪我に関しても同じだ。それが何を意味するか。分かるかい?」
自分の言葉が恐ろしくなる。こんな事は、初めてだ。知っている事ではあるものの、それが現実に起きるものでもし、己の身に降りかかればと考えれば考える程、震えが止まらない。
自分の意思に関係なく、それが粛々と起きてしまう事実に。
「段々と自分の体が別のものと代替されてしまう。己を構成する要素が己でなくなってしまう。また、痛みも緩和されてるけど、その裏では病や傷も悪化の一途を辿る。気が付かないまま、治療不可能な所まで追い込まれてアレに頼らざるを得ない体になる。正常でありたいと焦がれれば、焦がれる程、深い沼に嵌ってしまう」
「そんな……」
「あり得るんだよ。それとは別に精神の面で作用すれば、一時的な全能感と苦痛緩和の効果を与えてくれる。だけど、精神を麻痺させる為に心も書き換えてしまう。少しずつ不安要素としてその人だけの思い出や思想も全て取り除かれて……単純な幸福感に置き換える。じわじわと意思決定の余地を奪われて最後に何が残るかと言えば……所詮は、生き物だから……単純な欲望なんだろうね。だから『焦がれ』と呼ぶんだ」
何方の側面にも作用し、身も心もボロボロになった末に辿り着く最後に残った拠り所。その一点に全てが注がれるからとある境地へ至る。それを欲する為に何であれ犠牲に出来てしまう。その瞳に映るのは、希望か絶望か。それは、ランディにも分からない。
「最後に辿り着くそれは、単純な三大欲求かもしれないし……その他にも様々だ。心の中に残った強い拘りで満たされる。アンジュさんの場合……いや、俺が知る限りあの力を手にした人が求めるもので共通するのが強さだね。誰も手が届かぬ程の圧倒的な武の境地。唯一にして無二。至高の戦士としてあろうとする。俺を含めて知っている者は、その境地に達した存在を畏怖の念を込めてこう呼ぶ。『狂戦士』と」
あてどなく戦場を求めてさすらい、戦いに明け暮れる日々。強者と相対し、何方が優れているか、実力をもって証明する。死をも恐れず、最後の一瞬まで剣を振り続ける最強の戦士。
そんなものが世に溢れ返ってしまえば、幾度となく目も覆いたくなる様な惨劇が繰り返され、混沌としてしまう。それでは国として成り立たない。だから抑止力も同時に存在する。
「勿論、そんな同族を押し止める者も存在するんだ」
「それが……騎士本来の役割なのかい?」
「ああ、国同士の詰まらないいざこざへ小間使いに使われる兵隊さんなんて生温いもんじゃない。表向きはそうだけど、本来の役割は、同族の不運へ終止符を打つ為だけに存在する」
無論、争い事には貴賤も無い。だが、外界からの脅威はそれこそ対応手段は幾らでも確立しており、外交を始めとした政が主力となる。それら賢しさを振りかざす者達が失敗した結果の尻拭いを軍が国防として取り仕切る。当事者としては馬鹿らしい事、この上ない。
ましてや、組織の一部として無理やり組み込まれただけで本来の存在意義が別にあるとすれば猶更。共に夢を語り合った友であろうとも。愛を囁き合った恋人であろうとも。育んでくれた両親も関係ない。道を間違え、その手を汚す前に己の手で終止符を打つ。その覚悟を持った同族殺しこそが使命。
「でもね……最早、その役割もこの国では忘れられつつあるんだ」
前時代では当たり前の事であった侵略戦争や内紛も表向きは鳴りを潜め、人々は争いを避けようとしている。それは、先の大戦による忌避感やより強い共同体としての意識が芽生えた結果によるのかもしれない。しかしそれだけではない。忘れ去られるのは、理由がある。
「だって皆が平和を受け入れようとしているから……」
善意や大義と呼ぶのは、格好がつき過ぎている。もっと稚拙なものだろう。だが、確かにあるのだ。自然と人から人へ伝わり、手にしてはならない禁忌であると受け止められた。
「それが正しいんだって心の底から思ってる。誰もがそう思うだろ? 己の欲に溺れて大事にしていたモノすら最後は、自分の手に掛けてしまう最悪の未来なんて」
「欲しないよ……本末転倒にも程がある」
「だよね。俺は、アンジュさんを止めたかった。例え、一度は違う道を選んだとしても供に歩める道があるって俺は、信じた。そして、その先にある未来へ全てを託したんだ。だってあんまりじゃないか。同じヒトの筈なのにさ。孤独に生きるなんてあってなるもんか」
「今なら君の考えに賛同出来るよ……もし、僕が同じ境遇となったとしよう」
「ああ、必ず。俺は、最後まで諦めないさ。君を取り戻すまでとことん抗い続ける」
ならば、次に求めるべきは回帰。例え、その禁足地へ踏み込んだとしても引き戻せる機会が与えられても良い筈だ。何よりも踏み止まれた自分だから出来る事があると信じていた。誰に止められようと関係ない。未来の為に。最後までアンジュへ手を差し伸べた。それは、今も変わらない。
「そして……君の事を大切に思っているあの子の下へ必ず届けるのさ」
「煩い……」
「誰だってそうだ。きっと取り戻せるんだ。だから取り戻したかった」
「君って奴は本当に——」
「馬鹿だろ?」
「ああ、大馬鹿だよ」




