第肆章 死に至る病 2P
「左様ですか……では、私が専任担当としてランディ様の補佐を一任されておりますので僭越ながら申し上げさせて頂きます。現在の状況は、芳しく御座いません」
一瞬、目を離した間に眼鏡を掛け、何処からか取り出した用箋鋏に目を通している女性。
「生命活動維持に支障が出ております」
「……」
「そのご回答は、承知の上であったと解釈してもよろしいでしょうか? このまま話を進めさせて頂きますが、現状のままでは、それ程長く持ちません。死の危険が間近に迫っております。御呼び立ていたしましたのは、問題の解決提案をさせて頂きたく」
叱られた子供の様に小さくなるランディを見て女性は、大きな溜息を一つ吐く。
「そもそもお客様の健康管理は、私共の主要な業務にあたりますので定期的にお体の検査を行っております。勿論、個人情報として丁重に管理されております故、悪しからず。細かな説明を致しますと、小さな傷は、自然にある程度治癒しておりますが、両碗と左足に受けた裂傷三か所、左足と胸部の刺傷の二か所は、全く治療されておりません。応急の処置で傷口の一時的な保護と機能の代替は、ご自身で行われておりますが、限度があります。幸い、腹部の刺傷に関しては、内臓の損傷もなく、腹膜と皮膚だけとなっております」
「……はい」
「また、外傷の応急対応による**操作継続の影響で過剰な負荷がかかっており、病に似た症状が。頭痛や発熱、動悸、息切れ、倦怠感、食欲不振、内臓の炎症、貧血、関節痛など。先の戦闘時、**操作の副作用で負荷がかかった箇所に皮下出血も見受けられます」
最初から分かっていた。このまま放置していれば、彼女らの介入がある事を。自力、又は大人しく医師の治療を受けていれば、こんな呼び出しも無かっただろう。
「是非とも私共による治療の調整をさせて頂きたく。悪戯に体力を消耗してばかりで刻一刻と状況は、悪化の一歩を辿ります」
真剣な面持ちで話す女性に対して他人事のように聞いていたランディ。吸っていた煙草の灰を灰皿に落として呑気に紫煙を吐き出すだけ。今更、どうしようもない。そもそもどうする心算もない。現状維持しか、ランディは考えていなかった。
「幸いにも今回の症状は、どれも単純明快なものばかりで対症療法による完治が見込まれます。また、外傷に関しても大量出血の可能性がある血管は無事。受けた当時のまま保全されております故、病原体の感染や過剰な出血の心配は御座いません。簡単な消毒と止血、縫合で間に合います。早急な対応が可能であれば、以前の様に万全な状態に戻ります」
投げやりな態度のランディにそれでも女性は真摯に説明を続けた。まだ、助かる余地は残されており、是非とも力添えをさせて欲しい。話を要約すれば、簡単なものだ。
「また、今回は特例事情による負傷に該当。本来であれば、ご自分の演算領域を活用する通例とは違い、私共主導で治療に当たりますのでランディ様のご負担は最小限です。臓器や四肢、骨の代替も必要ありませんので今後、**操作の継続も御座いません」
代償は無い。また、適切な治療を受ければ元通り。何の心配も要らない。夢の様な話だ。されど、ランディは関心を持とうとしない。用箋鋏から目を離し、女性はランディの発言を持つ。一方、ランディは真っ白な宙を見上げたまま、ぼんやりとしている。
「……治療を望まない場合は?」
「私共といたしましてもお客様のご意向を最重要事項として優先しております。ですが、それは選択肢が残されているか。または、保険として二重の支援体制が整えられている大前提があってこそ。ランディ様、貴殿に選択肢や保険も残されておりません」
やっと口を開いて何を言い出すかと思えば、拒絶の選択。それを聞いた女性は、首を横に振る。容認出来ない。多少の猶予は、残されているとは言え、それはランディ自身の体力が続く限り。もたなければ、すぐさま悪化の一途を辿る。
「それでも……と言ったら?」
頑なに拒むランディに対して女性は、指鳴らしをしてランディの持っていた煙草を消してしまう。それからランディの無骨な右手を己の両手で包み込み、撫でる。
「物事には、限度が御座います。私共、組織にも上意下達が存在し、それらが適宜、収集された情報を吟味し、適切な判断、指示を下します。その命令に逆らう事は出来ません。ランディ様の治療は、最優先事項とされており、それはどんな事由でも覆りません」
「左様ですか」
已むに已まれぬ事情。どれだけ本人が望んだとしてもこれは決定事項だと女性は言う。
「勿論、ランディ様自身の実力行使で拒絶も可能ですが、それはランディ様の意識が存続するまでしか効力を発揮しません。昏睡状態に陥れば、私共の判断で速やかに作業が開始されますので予めご了承ください」
「なるほど」
結果的に本人の意思に関わらず、必ず遂行される。それは最終手段であり、出来れば、無理やりにではなく、了承の上で穏便に解決したい。それは、上位存在の意向だろう。あくまでも目の前に存在する女性はその代弁者に過ぎない。ブランやシトロン、エグリースとは、一閃を画す大きなうねりがランディの前に立ちはだかっていた。
「差し支えなければ……頑なに拒まれる事情をお教え頂きたく」
「もう、やりきったのです。後は、残された時間を使い切って自然に朽ち果てるのみです」
「それは、生命維持への未練が何もないと解釈して差し支えないでしょうか?」
「そうです。人として俺は、己の天命を全うしたいのです」
「お言葉を返すようで恐縮ですが、気になる点が御座います。少々の改善により、間近に迫る終わりを回避出来る事態であったとしても? 私共が介入した所で大きな違いはありません。何せ、この世の理を捻じ曲げる様な事はありませんからね。そのご判断は、合理性から程遠いものであり、続くべきであった未来を否定するのであれば、天寿を全うするご自身の意思すらも否定してしまいます。それは、論理的な破綻に他なりません。ランディ様、是非とも再度、検討をお願い出来ますでしょうか?」
ランディの意向からはみ出る事無く、寧ろ尊重した上で根底からいとも簡単に覆して来る。他にも沢山あるのだが、論述においても相手の方が数段秀でており、敵わない。ならば、別の方向性から攻めるしかない。最も姑息で決して褒められる方法ではないが、そうでもしなければ弱い自分に負けてしまう。
「……違うのです。これは、感情の問題です。俺自身がやり切ったと感じ、もうこれ以上続ける事が出来ないと諦めたのです。この場において俺が本心を覆い隠す事が出来ないのは、よく知っています。だからきちんと告白します。俺は、この世界に絶望し、生きる意味を見出せなくなった。自害などと卑怯な真似はせず、自然な形で終わらせたいのです」
「それは……難しい問題です。感情の領域は、私共でも介入の余地がありません。御身が望まれる事を否定する事は出来ませんからね。其処まで思い詰めてしまうほど、あの出来事が……あの青年をお救いしたかったのですか?」
「はい……少なくともあの日……心に刻まれた後悔は、二度とあってはならないと己の中で戒めていました。でも自分の無力さでまた、同じ事が起きてしまった。それは、俺にとって屈辱の二文字以外に他なりません。それを……それを覆せるだけのものは、俺には無いんです。只々、悔しくて苦しくて悲しくて。負の感情を払拭するモノが無い」




