第肆章 死に至る病 1P
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久々に夢を見た。いや、正確には夢ではない。其処は無常な現実の延長線上。確かに存在するけれど己の意思では、辿り着けない場所だ。其処に至ったのは、これまでに二度。今回で三度目の来訪。目を瞑っても感じる強い光で意識が覚醒するランディ。一面、純白な世界の中で存在するのは、自分ともう一人。ぼやけた焦点がはっきりすると、その人物が知り合いであると分かった。三度目の邂逅。出来れば、現状において一番会いたくなかった。
見慣れない輪郭を重視した細身の背広に首元が少し空いた白シャツにパンツ姿。綺麗に磨き上げられた踵の高い革靴。内巻きにしたミディアムヘアの真っ白な髪に均整の取れた顔立ちの女性。一際、目を引くのが彼女の瞳。虹色の虹彩は、人ではない何かだと分かる。
その女性は、ランディの前で両手を丹田の辺りで重ね、待ち受けていた。
「ご無沙汰しておりました。ランディ様」
ランディへ最敬礼で挨拶をする女性。気後れする程、丁寧な出迎え。ランディは、失礼が無いかと己の衣服を確認する。見慣れた真っ白のシャツと細身のスラックス、それと古ぼけた革靴。恥ずかしさで赤面するランディ。しかしそれよりも申し訳なさが羞恥心に勝った。
「……また、此処へお伺いする羽目になってしまいましたか。女神様」
「厄介事の様におっしゃらないで下さい。心外です。ランディ様。此度ばかりは、私どもと致しましても我関せずとは行きませんでしたので」
「いえ、そう言う訳では……どちらかと言えば、俺の方が迷惑をお掛けしたのではと」
「滅相も御座いません。ランディ様。私共に迷惑など、恐縮に御座います」
この場所へ呼ばれる事態は、己が何か失態を犯した事に起因する。その確証は、二度の来訪によるもの。どちらも良い記憶では無かった。ランディの謝罪に大きく首を横に振って焦る女性。困惑するランディの前で女性は、思わず見とれてしまうほど、にっこりと微笑む。
「此度の急な御呼び立て。誠に申し訳ございません。ですが至急、対応すべき案件が発生によるものです。本題に入る前に僭越ですが、一点。気になる事が御座います。女神の呼称は、もしや私の事を指し示しておりますか?」
「お名前をお伺いしてたのですが……覚えきれませんでした。こうやってゆっくりお話しする機会も無かったので次にお伺いする時は、そうお呼びしようと考えておりました」
機嫌を損ねてしまったかと思えば、そうではない。困惑しきった女性は、軽く咳払いをした後、改めてランディに名乗る。
「私は****、***********。****と申し上げました。神と崇められる様な立場では、決して御座いません。ランディ様」
「長過ぎて……後は、俺にその言葉が理解出来ません」
今度は、ランディが困惑する番になった。そもそもこの場に迎え入れられると心が落ち着かない。どうにも目の前の女性と相対すると調子が外れる。その原因は、ちぐはぐな関係性と理解不可能な言語を並び立てられる事から由来するものだ。
「そうですね。言語通訳の処理をさせて頂こうにも概念の理解をお伝えするのが困難です」
「そもそもこの状況を受け入れる事自体で手一杯でして……申し訳御座いません」
「滅相も無いっ! 全ては、お客様対応が至らぬ私共の不手際が故。ご不便をお掛けして申し訳ございません。お詫びをしようにも生憎、私共には行動の制限が……取り返しのつかない失態です……ああああ、どうすればっ!」
動揺する女性に釣られてランディも狼狽えてしまう。恐らく、こんな笑えない小噺をする為に呼ばれた訳ではない。だが、互いに一言、二言言葉を交わす度に話が横道に逸れて一向に進む気配が見られない。この状況を打開するのは、相当に骨が折れる。
「何も其処まで……大丈夫ですっ! 全く不便ではありませんっ!」
「誠に御座いますか?」
「はい」
「では、この件に関しては一度持ち帰り、検討させて頂きます」
「お願いいたします」
人差し指を唇に当て少し考えた後、にっこりと笑う女性。ランディは、胸を撫で下ろす。
何処からが本気で何処が演技なのか。皆目、見当もつかない。ランディの認識に間違いがなければ、相対するその女性は超常の存在そのもの。こんな茶番を演じる必要は、皆無。
何故ならば、やろうと思えば何であろうと出来てしまう。例え、ランディが言葉の意味を理解できなくとも共有出来る認識に当て嵌めて相手は伝える事も可能なのだ。その屈託のない笑顔と虹色の瞳の裏に隠された思惑に冷や汗が止まらない。かといって邪推をした所で無意味なのだ。ランディの思考は、常に読まれている。この場合、ランディの緊張を解す為だと無理に納得するしかないのだろう。
「因みに様付けも止めて欲しいですのですが……」
「そのご要望は、承りし兼ねます」
「変な所は、強情ですね」
「私共の組織設計上、変更が出来ないのです」
「左様ですか」
思いも寄らぬ珍妙な所で頑なな意思表示。少しずつ相手の勢いに飲まれている事も分かっている。主従関係にあると相手は謡っているものの、自分が操り人形に過ぎないのではと疑ってしまうほど、緩やかな誘導が始まっていた。何よりも恐ろしいのが覚醒する直前まで抱いていた負の感情が見事に緩和されている事。自覚はあるのだが、抗えない。全てを払拭されたかの様にランディの心は穏やかであった。
「それよりも碌なおもてなしもせず、申し訳ございませんでした。直ぐに手配を」
「いえ、お構いなく。俺は、立っている方が」
「そんな無礼。許されません」
女性が軽く手を叩くとランディは、既に寝椅子で体を横たえており、すぐ横には好んで買う好んで吸っている煙草の小箱と灰皿それに飲み物が小さな机の上に用意されている。経験した事が無いふかふかの緩衝材に安らぎを与えられながらも心がざわつく。そして気が付けば、女性も椅子に座って呑気に鼻歌を歌いながら飲み物の準備をしていた。二つのカップから立ち昇る湯気と共に香しい紅茶の香りがランディの鼻を擽る。
「いやはや、こんな格好では……逆に困惑してしまいます」
遠慮して体を起こそうとするも女性がランディをやんわりと押し止めた。
「御身は未だ、全快には程遠く御座います。どうぞ、ご自愛下さい」
「……」
最早、何も言うまい。応対がどれをとっても仰々しい。更には至れり尽くせりで態々、煙草を小箱から一本取り出してランディに咥えさせ、火をつける甲斐甲斐しさ。されるがまま、ランディは寝椅子に身を委ね、煙草をゆっくりと深く吸い込んで紫煙を吐き出す。
寝椅子の上で静かに目を閉じるとどっと疲れが湧いて出て来る。今更の話だが、身体の痛みは全くない。こんなにも落ち着いた時間を過ごすのは何時ぶりだろう。
「以前、此方へお招き差し上げたのは、一年六カ月十二時間三分五秒……後の数字は省略いたします……前でしたね。お間違いないですか?」
「俺もそんなに細かくは、覚えて無いのですが……恐らく」
「間違いありません。此度、御呼び立て申し上げた理由に心当たりは御座いませんか?」
「身に覚えがありませんね」
さらりと白を切るランディに対してむっとする女性。勿論、はぐらかしてもこれから問い質されるのは同じ。加えて全て把握もされている。逆にランディが知らない情報も彼女らは、網羅している為、単なる悪足掻きでしかない。素っ気ないランディの態度で機嫌を損ねるも机から紅茶を取り、一口飲む女性。所作の一つをとっても気品と優雅さが漂う。だらしなく寝そべるランディとは大違いだ。