第傪章 境界 9P
言われれば、何だってしたのだ。例え、この命を差し出す事となったとしても。非力な自分であっても何か変えられると。その機会すら与えられないまま、結末を押し付けられた。
「あの人は……誰の事も考えて無い。身勝手な固執に囚われ、自分の中で生まれた理想の為に動くの—— あの時、気付いたわ。これまで抱えていた違和感の正体に。あの人の中には、顔の無い化物が居るの。誰も必要としない。自分だけで完結したナニカがある」
何よりもフルールが気に食わないのが、ランディの目には、誰も映っていない事だ。だから平気で己が手に掛けたとも言えてしまう。あの日、ランディから垣間見た化物が本物であると断言出来る。誰の為でもない。己が信じる大義の為に。そんな訳が分からないものに散々、振り回されて奪われた。フルールにとっては、それがあの日の出来事の全て。
「……まあ、私は理解出来る。アレは、正常じゃない。フルールと見解は少し違うけど、己の存在意義や行動指針が確立してなくて……誰かの求めによって全てが決まる。皆の総意を纏め上げたこうであるべきと言う理想に殉じ続ける」
フルールの言葉にミロワは、賛同する。そして、ランディの行動原理は此度の出来事に限らず、これまで起きた全ての出来事に共通点が存在する。
「それは素晴らしいものなのかもしれない。だってその本質は、見返りを求めない純粋な奉仕だから。でもそれは、違う。逆を言えば、己の中で大切なものを見失っている。失うものが無いから全てを投げ出せる。総意の為ならば、多少の犠牲も厭わない」
間違いではない。ヌアールやルーも同じ経験をしているのだ。それでも何故、信じるのか。ミロワには到底、理解が出来ない。誰を思うでもなく、皆が正しいと考えるぼんやりとした思想が原動力で誰かを思いやったものではない。
「他人の気持ちを踏み躙っても関係ない。結果がついてくれば、皆は黙る。その成果に対して己の想いなど、経過の一つだと考えるから。これまでは、それが成立したから良かった。だが今回は、その論理が破綻したから問題なのだろう?」
正しさなど、何処にも無い。空虚な幻想を追い掛けた欺瞞だ。そんなものが何時までも続けられる訳がない。虚構を事実に変え、人々を欺き続け、無理が祟った。同情の余地は無い。
「何よりも酷いのが、自発的に誰かから何も求めようとしない事。欲するものがないから他人に価値を見出さない。求めるのは、願いだけ。だから誰も居ないと言うフルールの言葉は、正解に近いのだろう。己すら蔑ろにする者がその先に居る誰かを大切する事は出来ない」
もし、皆に問いかければそれは総意として成り立つのかもしれない。誰もが思い描く夢のような理想を体現しようとしているだから。されど、その先に特定の誰かが居る訳ではない。
此度の様にフルール個人が本心から望むものではないものを押し付ける形となってしまったのが良い例である。これは、起こるべくして起きた帰結。
「もし……もしその願いに稚拙なものが混ざっていたとしたら。どうなります?」
そんな事は、ランディも分かっていた。ルーは、一番よく知っている。何故なら面と向かって弱音を吐いてくれたからだ。誰にも見せて来なかった弱い部分。それをルーは、知っている。出来ない事も沢山あると言ってくれた。だからランディに出来ない事を己が全うしてみせる。それが友の役名だ。この時の為に存在している自分が誇らしい。
「幾らランディが積み重ねても届かない無茶な願望が押し付けられていたらどうですか?」
「っ! それを拒むも拒まないも彼の自由だ。強制はしていない」
「そうですね……でも彼奴は、言ったんです。頑張って苦しんで頑張って苦しんで。その繰り返しの先に待つのは、恐らく正しさであると。それに加えてこうも言いました。誰もが全員賛同する正解なんて在り得ないとも。分かっていても誰かがやらねばならぬからと先陣を切って戦った。その事実を願った者達もきちんと受け入れねばならないと僕は、考えます」
矛盾を抱えても己の為すべき事だと胸を張ってランディは言った。誰に恨まれようと。それが例え、近しい間柄の人間であっても。そんな覚悟を決めた者を簡単に見捨ててしまって良いのだろうか。たった一人でもルーは、疑問を投げかけ続ける。
「ランディだけに全ての負債を負わせると言うのですか?」
「彼は……その犠牲を望んでいるのだろう? ならば、好きにさせれば良い」
「だから僕は、新たな願いをランディに届けます。そんなものを望んではならないと」
冷徹にばっさりと切り捨てるミロワにルーは、尚も食い下がる。並々ならぬルーの気迫に気圧され、ミロワは黙り込む。三人の中で選ぶ覚悟を最初に見せたルーをヌアールは、見届ける。友と同じ目線で共にあろうとし続け、足掻いたルーの到達点が此処だ。
「最後の最後まで諦めなかった。フルール、君も見ただろう? どれだけ傷つこうとも膝を折らず、身を挺して君を庇いながらアンジュさんを信じた」
「やめて……」
許容量を超えたフルールは只管、泣きじゃくって目元を擦るだけ。こんなにも追い詰めてしまったとランディが知れば、猛烈に怒るだろう。申し開きも無い。報いは、後で幾らでも受ける。偽りに隠された本心を伝えたい。ルーの目的は変わらない。
「死をも恐れず……あの人が死なぬよう劣勢に立たされながらも堪え続け、やっと取り戻したものの……間に合わず、見送る結果となってしまった」
「何を……言って」
本当に恐ろしい化物が見えてしまったのかもしれない。だが、それは全てを成し遂げると己を奮い立たせた偽りだ。そんなものがランディの筈がない。それよりも傷つきながらも立ち続けたその背中を見て欲しかった。アンジュと戦っていたのではない。避けられぬ死と戦っていた事を。必死に抗い続け、挫けなかったその雄姿を。
「君は、知ってるかい? ランディが手に掛けていない事を」
「だって。だって……ランディがそう言ってっ!」
「……そんなワケが無い。僕らが駆け付けた時、アンジュの横で肩を震わすランディがどんなだったか。君は知る由も無いだろうね……」
どうして他人の為に其処まで出来るのか。ルーには分からない。だが、それこそがランディがランディたる由縁。誰も居ない訳ではない。確かに人が存在していたのだ。だから二人が共に手を携え、歩む未来をある事も誰より信じていた。
「流す涙も枯れて果てて怒り狂ってたよ……この世界が憎くて仕方が無いって顔してた」
あの時の紅い瞳をルーは、鮮明に記憶している。絶望の中で取り残され、全てを託された。一度は、怒りに飲み込まれそうになったものの、二人の手によって現実に引き戻され、その中で辿り着いた最善の選択肢。望みを繋ぐ為の延命措置だ。
「後出しにも程があるっ! そんな話、私ですら聞いてないっ!」
力なくべったりと床に座り込むフルールと寝台から立ち上がり、ヌアールの胸倉を掴んで引き寄せるミロワ。胸倉を掴まれたヌアールは即座にその細い手を振り払う。
「ああ、ほぼ誰にも言ってないからな。知ってるのは、此奴の他に三人。レザンさん、ブランさん、後はオウルさんだけだ。誰にも話して無い」
知った所で何をしたと言うのだ。ヌアールの瞳がミロワに問い詰める。
「間違いない。正確な死因は、多臓器不全だ。確かに腕の欠損はあったがそれが直接的な因果関係はない。あの青年を死に至らしめたのは、積み重ねだ。そもそも体が限界だった」




