第傪章 境界 8P
無理な辻褄合わせの皺寄せが瓦解する。分かり切っていた事だろう。あの暴走が無ければ、ランディが動く必要も無かった。一人で責めを負うには、無理がある。事実が罪を覆す。結果だけでは終わらせられない何が其処にある。もし、最初からそれを言ってしまえば、受け入れる準備が出来ていないフルールが壊れる。それでは意味が無い。しゃがみ込んで立ち上がろうとしないフルールでは駄目なのだ。
「ミロワさん。ランディは、本当に何もしなかった大馬鹿野郎ですか? 第三者の意見を下さい。町の全体から見た判断を聞かせて欲しいです」
ルーは、フルールの瞳から目を離し、ミロワを睨み付ける。フルールに手を差し伸べるだけがミロワの役割ではない。公平な立場で言葉を述べて欲しい。それが例え、フルールを傷つけてしまう事になったとしても。ミロワへルーは覚悟を問う。
「それは……」
「何だ? 言えないのか? ミロワもいつの間にか、情にほだれる様になったな。まあ、成長したと誉めてやろう。もし、言えないなら俺が代わりに言ってやろうじゃないか?」
「……殺されたいのか?」
寝台の敷布を握りしめ、ヌアールへ食って掛かるミロワ。対してヌアールは、肩を竦めて煙草をふかし、変らず冷静さを保ったまま。何方にせよ、この二人に任せても話が終わらないと判断したヌアールは、重い腰をやっとあげた。
「事実を述べてやったまでだ。以前のお前だったらいけしゃあしゃあと言ってただろうに」
「貴方とは、違うんだ。私は、状況を理解している。少なくともフルールは、きちんと自分に出来る事をやった。それで駄目だったのに責められるなんてあんまりだ」
「馬鹿馬鹿しい……責任の一つも取らないで……口を開けて答えを貰ってる奴に容赦なんて要らんだろう? 全員が全員、甘やかすからこうなる」
煙草を揉み消し、ヌアールは大きく伸びをして姿勢を正す。普段のだらしない雰囲気が消え、代わりに冷徹な一面が顔を見せ、責任ある一人の大人としての姿勢を三人に問う。
それはこれまでランディに対してしか向けられていなかった。何故ならランディがそれを求めていたからだ。だが、今回ばかりは話が違う。好い加減、大人ぶった子供に現実を見せねばならぬ時が来た。取捨選択。それは、皆が平等に与えられる権利であり、義務だ。
泣き喚こうとも関係ない。現実は、非情だ。その非情さを少しでも和らげるためには、己が責任を持って選ぶ必要がある。誰かが責任を肩代わりすれば、する程に本人が何も出来なくなる。それでは何時まで経っても成長しない。ランディが選んだ最良の判断も先延ばしでしかない。有耶無耶のまま解決しても同じ間違いが必ず起きる。
「なら、貴方はっ!」
「俺は、甘やかさない。事実だの結論だの……傍観していただけの受け手が勝手に紐づけた歪な偶像に意味は無い。本当ならランディが止めなかったら町の誰かが怪我をする所だった。若しくは、死人が出てただろうな。乱心して凶器を振りかざし、暴れまわるアレを止めるのは、相当な犠牲が必要だっただろう。詰まるところ、今回もあの忌々しいマセ餓鬼が首を突っ込まなかったら大事になる所だった。あの青年の犠牲だけで済んだんだ」
「ノアさん……僕は、其処まで言えとは……」
髪の隙間から覗くヌアールの鋭い視線にルーは狼狽え、ミロワは黙り込む。そしてフルールは、ルーの襟元から手を離し、顔を俯かせる。
「お前が望んだ事だろう? やっと清々した。ほんとにどうかしてるぜ。ミロワもフルールも。誰も死なずに済んだ。ましてや、あの青年も大きな罪を犯す前に己の寿命を全う出来た。彼奴は、上手く立ち回ったよ。俺が他人を褒めるなんてそんなに無いぞ?」
「何も……何も分かって無い癖にっ!」
「お前の方こそ、何も。何一つ分かって無いぞ? 此処まで来ると、逆に彼奴が悪いな。甘やかし過ぎだ。フルール……お前の言葉は、ランディ無しで成立しない」
顔を上げたフルールの目尻には雫がたまっていた。涙が止まらない。容赦ないヌアールの言葉にフルールは、大声で叫ぶもヌアールは、一貫して姿勢を崩さない。
「ようは、お前たちの狭い世界で話を完結させるから悪いんだ。傍から見たらどう考えたって単純明快。彼奴は、あの青年に立ち直りの機会を際限なく与え続けた。フルールとの関係改善から始まり、真摯に相談役として手を差し伸べ、最後まで青年の命に責任を持って見事に全うした。その事実にケチをつける隙間なんてある筈がない」
ヌアールは容赦なく、フルールを追い詰める。穏便に済ませようとしたのが間違いなのだ。形振りなど構っていられない。そうでなければ、フルールの本心すらも引き出せない。
「お前があの二人の間に入って止めようとしたと考えていたなら大間違いだ。そもそもランディは、お前など最初から眼中に無かった。見ていたのは、あの青年だけ。もっと言えば、あの青年とお前の未来を見据えていた。逆にあの青年は、ランディを見ていた。ランディの言葉に感化され、己の思うが侭に生き、最後まで人として生きた」
フルール以外の誰もが察していた。けれども間違っているかもしれないと恐れ、誰も言い出せなかった二人の心情を代弁するヌアール。
「恐らく、あの青年に未練などない。多少、お前の事も考えたかもしれないが、己の手でお前の命を奪わずに済み……友と呼んでも差し支えない存在が最後の最後まで付き添って我を通させてくれ、あまつさえ何処までもその地獄に付き合ってくれたからな」
ルーみたく甘さは、見せない。二人の意思を生かす為にフルールを踏み躙る。恐らく、片方はこんな事を望んでいない。だが、もう一人は望んでいる。己が歪めた結末を正す為に。
正しい結末を二人に歩んで欲しいと願っているに違いない。
「道ずれにしなかったのは、願いを託したからだろう。そう……たった一つの願いだ」
現状のランディを鑑みれば、手に取る様に分かる。逃れようとも逃れられない。その言葉が心に深く刻まれたから死にきれず。亡霊の様に行く当てもなく彷徨い歩き、その時を静かに待って居る。滅びの未来を。
「己の分まで精一杯生きろと……な」
「そんな事……どうでも良い」
「何だ? この期に及んで天邪鬼か? 大概にしてくれ。餓鬼の相手は——」
拳を握りしめ、唸るヌアールの前でフルールは首を横に振る。
「どうでも良いのよ……どうでも良いのっ!」
ならば、今更自分に何が出来ると言うのだ。決まりきった未来。救いの無い終わり。見たくも無いものを散々、見せつけられ、己の無力さを思い知らされただけ。
「最初からそんなの分かってた。あたしの話をしてる癖に—— どっちもあたしの考えを聞いてくれなかった。あたしは……あたしは、欲しくないって言ったのに」
どちらも肝心な事は、何も教えてくれなかった。だから悲しいのだ。怒りが込み上げるのだ。身勝手な二人の願いを。フルールの望みは、最初からただ一つ。
「どんな関係になったとしても……二人して生きてくれれば……それで。あの人は、約束したもの。必ず……必ずアンジュを生きて帰って来るって」
でも叶わなかった。残されたのは、永久の別れ。それだけだ。信じていたのに。その信頼をランディは、裏切ったのだ。残されたのは、永久の別れだけ。これでは、恨んでも恨み切らない。止めどない憎悪が行く先は、一つに決まっている。
「でも駄目だった。その上、最後は己の手で奪ったのっ! アンジュの意思なんて関係ない。散々、期待させといてあたしの願いをあの人は……あの人は、踏み躙った」




