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Locus Episode2 Ⅰ〜Ⅷ  作者: K-9b
Ⅶ巻 第傪章 境界
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第傪章 境界 4P

 心からの労い。全幅の信頼をエグリースは、ランディに寄せる。有難い事だが、今のランディには無縁なものだ。それは、未来に希望を持った者へ齎されるべきであって過去に縋り、諦めた者へ与えられるべきではない。



「例え、誰で在ろうと無碍にしてはならない」



「ははっ」



「無論、それはランディ君自身にも当て嵌まりますよ?」



 己の取った行動をどう評価してもそれは、個人の自由。例え、それが善意であっても大きなお世話だ。勿論、エグリースの立場を理解していない訳でもない。元来、司祭の役名には様々。人の生まれ変わる瞬間の立ち会いや人の最後を見送るだけではなく、典礼を開き、教えを説く事や己自身が学びを深めるまで多岐に渡る。そして、迷える者や罪を犯した者に正しき道を共に考える事も。エグリースは、共に考えようとしているのだ。ランディが進むべき道を。だが、そんなものは要らない。迷いは、捨てた。この場に居るのも己と向き合い、迷いが無い事を確かめる為。



「もしかすると……こんな終わりが君の描いていた結末では無かったのかもしれません。皆が幸福である事を君は祈っているから……けれどもそれは、君の命を賭してまで成し遂げられるものでは、決してありません。そんなものに真の幸福はありませんよ?」



 そう言うとさりげなく、ランディを奥へ追いやり、自らも長椅子に腰掛けるエグリース。


 絶対に逃がさない。何気ない所作からも強い意思が感じられる。どうしたものかと内心、頭を悩ませるランディ。何せ、相手は穏やかな頑固者。此方が白旗を上げるまで何時間でも言葉のやり取りが出来る猛者だ。気を抜けば、簡単に揚げ足を取られて転ばされてしまう。だが、逆に考えれば、これも一種の与えられた試練と捉えるのが良いかもしれない。エグリースの甘言を跳ね除けなければ、迷いが付き纏う。人を説き伏せる事に長けた相手を越えなければ、己の矜持に殉じる事も出来まい。



「好い加減、紛い物は紛い物であると認めるべきです。ワタクシは、許しません」



「エグリースさん。俺は、逃げませんでした。どんな事があっても……でも好い加減、逃げたくなったんです。この目に映る世界から」



 どちらも掲げられた十字架を真っすぐ見つめたまま一歩も譲らない。ランディの言葉も恐らく、エグリースは何度も他の誰かから聞かされてきたのだろう。余裕の消えた素振りは、一切見せない。ランディも安易な嘘を交える事もなく、真意を伝え続ける。嘘を吐き続ければ続ける程に言葉を詰まってしまう。そもそもこの話題に正しさや間違いなど存在しない。己の純粋な意思を伝えるだけで良い。



「それは……もしかしたら真実なのかもしれません。君が見たもの聞いたもの……放った言葉を嘘と断じる心算はありませんし、ワタクシにそんな権限はありません」



 だからエグリースもランディの言葉を素直に肯定した上で己の言葉でランディの意思を塗り替えようとする。真っすぐ己が信ずる教義の象徴をその揺るぎない瞳で見つめ続けた。



「ワタクシが思う事は、ただ一つ。ええ、たった一つですとも」



 達観。そんな生温い言葉では、表しきれない。上から己の経験や知識を押し付ける訳でもなく、共に苦しみを分かち、寄り添う精神。心からの善意を乗せた思いやりだ。



「君が生きたまま、真に救われる事です」



「そんな都合の良い事は……起きませんよ。先に待つのは、暗闇だけ。唯一の救いは、地獄の業火にこの身を投げ出し、全てが浄化される事。それだけです」



 己の事を憐れんでくれるならば。慈悲を与えてくれるのならばそうして欲しい。



「寧ろ、俺はそれを望んでいるのです」



「それは贖罪ではありませんね? 単なる絶望からの脱却です。全てを忘れ、無かった事にする罪深い行為です。例え、君が逃れられても皆の心に君は、生き続けるのです。君が本当の意味で消える事は、あり得ません」



 軽々しく死を口にするランディへエグリースの語気が鋭いものへと変わる。それは、教義から反するだけに収まらず、エグリース自身も忌み嫌う諦めだ。誰よりも深く体を沈め、その間違いを正されたから理解している。どれだけ苦しくとも立ち上がり、足掻き続けろと教え、希望を見出したのはランディ自身。許容など出来る筈も無い。



「君は未来永劫、皆の中で痛ましい記憶として生き続ける。苦悶に満ちた君は満たされる事無く、人の心の中で一生、彷徨い続ける事となるでしょう。君の意思に関わらず……このままでは、君が救われる事は無いとワタクシは、断言出来る」



「はあああ……死して尚、苦しめられるのでしょうか? 死人に口無しとは、正にこの事」



「それが生きとし生けるものの定めです。もう、十分でしょう? 綺麗事の中で生き続けるのは。世俗と言う安易で薄汚れた仮初の世界が君には待って居る。例え、その中に君の求める真理が無かったとしても……虚構と矛盾を孕んだ歪な均衡の中で君が本物として有り続ければ、それで良いではないですか? 少なくともワタクシは、君が真に正しき道を歩めるものであると自信を持って言えます」



 綺麗でも何でもない。世界の殆どは、薄汚れた灰色だ。だが、それは己が色を見出そうとしないからだとエグリースは言う。真偽のほどなどどうでも良い。どうせ、人の生きる一生で辿り着ける目的地ではない。例え、仮初であったとしても己の信じる答えが出せれば、それが辿り着くべき場所なのだ。それを偽りなどと誰が覆せよう。いや、誰も覆せない。



「そして、その中で小さな幸せを見つけさえすれば……それだけで世界は救われる」



「そんなちっぽけな事で世界が救われるなら何故……人は涙を流さねばならないのでしょう? 今、この瞬間も誰かが苦しめられ、またある人はこの世を呪って死の淵に立っている。そんな世界があって良いのだろうか? そんな疑問が尽きません」



 どれだけ言葉を重ねてもランディの意思は、変らない。聞きたくなくても聞こええ来る。見たくなくても見えてしまう。己だけが良ければそれで良いと帰結出来ない業がこの世界には確かに存在する。ましてや、それを安易に正そうとすれば己の独善が新たに誰かを殺す。



「いっそのこと、世界を亡きものにしてしまいたいくらい……この世は、非情です」



 大きな溜息がランディの口から出た。



「君は、大きな出来事に目を向け過ぎています。そんな事、ワタクシにだって分かっていますとも。誰もが平等にその生を余すことなく享受する事は、ままならない。だから……明日を望むものが生きられなかった世界をより良きものへと昇華する為に君は、存在しているのですよ。先に待つ者が同じ苦しみを背負わぬよう、君が先達として道を切り開くのです」



 少し前にも同じ事を大切な友に言われた。だからその言葉が己を苦しめる。どれだけ足掻いても救えなかった。その後悔が尽きる事は無い。己を生かそうとした言葉が己を殺すのだ。



「救うのは、今ではありません。未来なのです」



「……」



「ワタクシもその内の一人。先に待つ君を生かす為にワタクシは、存在している」



 そんな先まで待てない。今を苦しむ者へ手を差し伸べたかった。共に生きる道を歩みたかった。何時何処で起きるかも分からない未来の話など、どうでも良い。ましてや、目の前の出来事すら満足に成せなかった者に何が出来よう。人の心に種を蒔くなど、到底出来ない。



「何よりも君は、このワタクシに道を示したでしょう? だからワタクシは、展望を見出せました。座して死を待つだけだったワタクシを見て君はあの時、言いましたね? 希望を追い掛けて固執の峰、その頂に待つは痼疾。己の執念に身を焦がした化物になってしまうと」

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