第壹章 託された望み 6P
アンジュからしてみれば、とうの昔に覚悟していた出来事だ。ましてや、力に飲まれて大切なものを傷つける事無く、きちんと己の死と向き合えるだけ救いがあった。
「でもね。僕は、後悔していない」
「——」
「何故って顔、するなよ。僕は、最後に君と言う存在に出会えた。僕の生きた証を継承して欲しいと思える素晴らしい弟分に。もう、悔いはない」
「……嘘付けよ。悔いはあるだろっ! あってくれよっ!」
「君って奴は。本当にお人好しだ。だからだ。僕に出来なかった事を君にやって欲しい」
願いと言うには、あまりにも残酷過ぎた。呪いと言っても可笑しくない。全てを置き去りにして旅立とうとするアンジュ。そんなものは到底、受け入れられない。
「僕の全部をあげる。夢も……折れてしまったけど……僕の生きた証も。だから僕の分まで精一杯生きて。孫の顔を見るまで死ぬんじゃないぞ?」
「そんなもの……要らない。俺は—— 俺が欲しかったものはそんなんじゃない」
「本当に我儘な奴だ……少なくとも僕は、これで笑って逝ける」
「それじゃあ、駄目なんだ」
意味が無い。結果が全てなのだ。この結末は、ランディの全てを否定する。存在意義も全てだ。二人を繋ぎとめる役名を買って出たのに引き離す事となってしまったら。フルールは、許してくれないだろう。何よりも自分が自分を許せない。
「後は、君の仕事。必ず、あの子の笑顔を取り戻して。そしたら二つ揃うよ」
「そんな事、出来っこない」
「きっと出来るさ。君なら。どんな困難も乗り越えて来たんだろう? 幸せにしてあげて」
青空を見上げる瞳は、もう何も映していないのだろう。何をしても無駄だと頭では理解出来ていた。だが、己の心がそれを認めようとしない。ランディの視界が雫でぼやけ始める。
気が付けば、アンジュの服に幾つもの水滴が落ちていた。
「嫌がらせにも程がある」
「もっと、嫌がらせをしたかったんだけどね。例えば、君たちの門出に祝辞を読むとか」
「それは、俺の仕事だ」
「ふっ……本当に僕らは、似たもの同士だ。だから魅かれ合ったんだろう」
一点の曇りもない笑顔だった。性へ抗い、己の生き様を貫き通した結果、掴み取った未来。
決して無駄では無かったと友が証明してくれた。そして己の全てを託した今、旅立ちの準備は完了する。後は、進もうとしない者へ一歩を踏み出させる後押しを一つしてやるだけ。
きっと、先に待つのは荊の道かもしれない。だが、乗り越えられると信じて送り出す。
「もっと話したいけど、もう限界みたいだ。ごめんね、伝えきれなくて」
「話したい事があるならもっと話せよっ! 俺にだってまだ聞きたい事がっ!」
そっと目を閉じたまま、心地好い眠りに誘われるアンジュ。痛みは無い。苦しくもない。もぬけの殻となった身体。其処にアンジュはもういない。誰にも邪魔をされる事無く、友に看取られて生涯の幕を閉じた。
「……アンジュさん?」
魂の存在証明。蒼い瞳を手に入れても見た事が無かったのでランディは、信じてはいない。だが、さっきまで確かにあったものが欠落している。それだけは、分かる。それを魂と呼ぶのなら正しくそうなのだろう。荒唐無稽な話だが、知識を超えた感覚がそう叫んでいる。
ランディの目が大きく見開き、涙も一時的に止まった。
「アンジュさん、冗談は止めてくれ。目を開けろよっ!」
叫んでも届かない声。でももう一度、その瞳を開けて欲しかった。揺すり起こし、眠りを妨げて煩いと雑に振り払われるだけでも。若しくは、冗談だと笑って馬鹿にされたとしても。
こんなにも呆気なく穏やかな終わりを認めたくなかった。
「駄目だ。こんな事。駄目だよ。駄目だ、駄目だっ!」
何度経験しても変わらない目の前で奪われる悲しみ、怒り、苦しみ。やっと、心と思考の歩みが同調する。そう。失われた事実を己が受け入れた瞬間だ。涙が溢れ出して止まらない。
「あああああああっ!」
赤黒く染まる感情。全てがどうでも良くなった。それこそ、全てを壊してしまいたい程に。こんな不条理があってたまるものか。そんな解を許してしまう世界と全ての道理が憎くてたまらない。行き場の無い憤りと怒りが際限なく加速し、ランディの中で渦巻く。
こんな非情がまかり通ってしまう世界など。いっそうのこと、消えてしまえば良い。
心の底かそう思えてしまうくらい、ランディは壊れてしまっていた。
「ランディっ!」
「如何にか間に合ったみたいだな……」
「……」
ランディがアンジュを見送ってから間もなく、ルーとヌアールが現場へと赴いた。ルーは護身用の棒を。ヌアールは、ランディの愛銃を持ち出し、臨戦態勢を整えている。到着した二人が目にしたのは、血塗れのランディと穏やかに目を閉じたアンジュの姿。一歩遅かったかと最悪の事態を二人は一瞬想像する。だが、動かないアンジュの横で俯き、肩を震わせるランディを見て二人は胸を撫でおろす。生存確認が取れた事で安堵した二人には、ランディの変化が気付ける筈もない。ゆっくりとランディの下へと歩み寄る二人。
「ランディ?」
「っ!」
「……」
ルーの呼びかけに答えはない。困惑するルーの横でいち早く異変を察知したヌアールは、咄嗟に一歩身を引いて銃の引き金に指を掛ける。その異変は、己が抱いた恐怖心。今のランディは剣を放り捨てており、無手。何も恐れる事は無いのだが、沸き立つ殺気が慄かせる。
不用意に近づけば、一瞬で刈り取られてしまう。死が身近なものと感じてしまう程、ひりひりとした緊張感が肌を焼く。錯覚ではなく、現実のものとなる確証がヌアールにはあった。
「もう、終わったんだ。帰ろう?」
「やめろ—— 今、ソイツに近づくな。ルー」
「っ! ノアさん、どうして?」
未だ気付けず、ランディの肩へ手を伸ばそうとしたルーを制止させ、今度はしっかりと銃を構えるヌアール。弾丸は、装填済み。照準器をじっくり覗き込まずともこの近距離なら外さない。後は、引き金を引くだけなのだが、それでも勝機が見出せない。銃を構える。
「駄目だ。正気を失ってる」
「ノアさん、止めてくださいっ! 銃なんてっ!」
銃を構えるヌアールにルーは驚き、止めに入ろうとするのだが。
「ランディも黙って無いでっ——」
顔を上げたランディの瞳を見て言葉が途切れてしまう。その瞳は、緋色に染まっていた。艶やかな赤は、何処か虚ろで何も映していない。怒りに囚われ、完全に我を失っていた。
「ほら、言った通りだ。あの真っ赤な瞳を見ろ……まるで世界の全てが憎くて堪らないって感情が丸出しだ。不用意に近づけば、お前もタダじゃあ、済まされない」
親しい者へ銃を向けている緊張感から来る手の震え。そう自分に言い聞かせなければ、戦慄に飲み込まれてしまう。
「—— ランディ、落ち着くんだ。君の気持は、痛いほど分かる。だけど、飲み込まれちゃ駄目だ。君まで君で無くなったら全てがお終いだ」
「——」
「言葉まで失ったか。この大馬鹿野郎」
まるで獣のよう。対話での解決は不可能。最早、信念も何もない。目の前の化物に命が握られてしまっている。今も殺されないでいる事が不思議なくらいだ。これでは埒が明かない。ヌアールは、一縷の望みに賭けて最善の一手を講じる。
「……お前が何を考えて何を思おうが関係ない。俺は、俺のやるべき事をする」
「ノアさんっ!」
不意に銃を持ち換え、銃床をランディの頬へ打ち付けるヌアール。




