第壹章 託された望み 2P
同時に警告も二段階目へ突入する。予め準備がされていたかの様に何処からともなく、力が湧き上がって行くのをランディは、感じた。二択の内、迷うことなく、選択肢を選ぶと自然と湧き上がる力も消える。
全ての攻撃を受け切り、ランディは一瞬の隙を突いて距離を詰め、剣の間合いを越えてアンジュの腹部へ拳を捻じ込む。其処から剣を手放し、体術で圧倒する。顎や腹部を中心に本来なら一発でも食らわせれば、意識を刈り取れるのだが、アンジュはそれでも倒れない。
止めの一撃でランディは、屈んで足払いを繰り出し、アンジュの足元を掬い、膝をつかせてから背後に回ると左腕を掴んで一気に後ろ手に回して関節を外す。鈍い音と共に垂れ下がる左腕。それから剣を拾い上げて素早く距離を取る。これで少しでも動きが鈍くなれば儲けもの。肩で息をするランディを前にアンジュは、ゆらりと体を揺らしながら立ち上がった。それから左腕がまるで操り人形の様に見えない糸で吊り上がり、不自然な動きでひとりでに外れた関節がはめ直される。外された段階でもはめ直された段階でも強烈な痛みを伴うのだが、悲鳴の一つも上げない。
「はっ、はっ、はっ。参ったなあ……これは」
小刀の一つでもあれば、何処かに捻じ込んでやったのだが。生憎、用意が無い。悪戯に体力を消耗する結果となってしまった。何よりも問題なのが次に同じ手は打てない事。これからは、体術も警戒して来るだろう。そうなれば愈々、剣術のみで相手をねじ伏せなければならない。次第に封じられて行く手立て。真正面から一つ一つ崩されるのは、ランディも初めてだ。酸欠と失血が酷い所為か、視界も少しぼやけている。体内の水分も奪われて乾いた唇を舐めても潤わない。吐き出される熱い呼気も鬱陶しい。いつの間にか風も止み、アンジュの後ろに広がる道が揺らめいて見える。環境すらもランディの味方をしてくれない。じわじわと熱に侵され、頭も働かなくなっている。
「やってみるか……」
最早、策略を弄してどうにかなる段階では無い。全身全霊を持っての潰し合い。体力の配分も考えない。相手の土俵で勝負をして番狂わせを狙う。そもそも実力が劣っているのだから小手先の技など、通じる筈もない。それすらも敵わない場合、最後に取るべき手段は一つに限られる。最後まで己の意思に殉じよう。
「ごめんね……アンジュさん。先の事ばかり考えて集中してなかった」
もっと、もっとだ。ランディは、心の中で唱える。正眼に構えるアンジュに対してランディも呼応して同じく正眼の構えを。
「もし……ダメだったら。本当にダメだったら……最後は、共に逝こう」
ランディは、覚悟する。これが最後。負ければ、己の『力』を即座に暴走させ、アンジュを道ずれに。己の死を持って償いとし、この戦を幕引きとする。誰一人として欠ける事が叶わぬならば、それが責任の取り方だ。万が一、自分だけが生き残るなど、あってはならない。
「ふっ!」
今度は、ランディが距離を詰める。迷うことなく、最小限の動作で突きを繰り出すと、アンジュは切っ先で返し、正中線から反らす。勿論、それはランディも想定の事。切り返しで己に迫る刃に対し、右足を引いて半身になり、手首を回しながらその振り下ろしをいなした。そのまま下がったアンジュの腕に己の剣を振り下ろす。咄嗟に剣から手を離したアンジュは、腰から小刀を抜き取るとランディの目へ差し向ける。寸前の所で首を動かし、頬を掠めるだけで済んだ。アンジュが剣を手放した事で有利不利は、一気にランディへと傾く。連撃を叩き込むが異質な動作で全て交わされる。だからと言って止まる事は、許されない。止まった瞬間、それが己の最後になる。次第にランディの猛追撃に耐えられなくなったのか、少しずつ、アンジュにも細かな傷が刻まれて行った。このまま、押し切れればと思った矢先、ランディの腹部に大きな違和感が生じる。
「っ!」
一切、反撃の隙など与えないと考えていた矢先に。気が付けば、ランディの腹部にはいつの間にか、アンジュが手放した剣の柄頭がめり込んでいた。衝撃で肺の空気が全て抜ける。それでも手を止めなかったのは、最後の意地だけではない。死を回避する為の生存本能が働いたのだ。痛みと苦しさの中でも思考が止まらなかったのは、前回の手合わせから齎された経験によるもの。種明かしは、聞かなかったが一度、同じ奇怪な事象が目にしており、何が作用したかも理解している。それは、『焦がれ』の力だ。恐らく、アンジュは視認したものを自分の望む場所へ瞬時に動かせる。それを知っているが故にランディは、不可思議な違和感を覚える。何故、柄頭ではなく、切っ先を此方へ向けなかったのかと言う疑問だ。単純に手心を加えられたのか、それとも試されているのか。もっと言えば、本気を出せと言う恣意的な意思の表れか。しかしながら今更、その疑問に答えを貰っても仕方がない。
宙に浮いていた剣を弾き飛ばし、嘲笑うアンジュへ只管、剣を向けた。荒い剣筋の所為でいとも簡単に避けられてしまう。それが悔しくて時折、急所を突いても常人ではあり得ないしなやかな動きで回避するのだから驚きで言葉にもならない。そして気が付けば、恐れていた限界を迎えようとしていた。
「—— ディッ! ランディッ!」
脳裏に諦めが過ったその瞬間、遠くから聞き飽きた友の声が聞こえて来た。一度、大振りの振り下ろしでアンジュの半身を引かせ、その勢いで前進。最後は、転がりながら辛くも互いの立ち位置を入れ替え、大きく距離を取って周りの状況を確認。するとアンジュを挟んで呆然として座り込むフルールの横に立つルーの姿を捉えられた。この場に訪れた経緯は、分からない。推測するならば、血相を変えて飛び出したランディを見てレザンが手回しをしてくれたのだろう。髪も満足に整っておらず、汗染みだらけになった真っ白なシャツとスラックス姿で肩で大きく息をする友を見て少しだけ安堵の表情を浮かべるランディ。
「はああ——」
逆手に持った剣を地面に突き立てて大きく息を吸って空気を体に取り込むランディ。まだ、運には見放されていなかった。粘り強く時間稼ぎした結果が報われたのだ。安堵から気が少し楽になる。これで少なくともフルールだけは、逃がせられるかもしれない。何故ならアンジュは、ランディに固執している。今更、フルールなど歯牙にもかけないだろう。機を見て連れ出してくれれば、それで良い。
「……丁度良い時に—— 来てくれた。流石、親友。後は、頼んだ」
真っ青な顔色をしたルーへランディは、弱弱しく微笑む。
「何をそんな悠長な事っ! これからどうする心算だっ!」
「言わなくとも—— 俺の考えている事くらい……君なら分かるだろ」
「馬鹿な事を言うなっ!」
「それしか無いんだ。君こそ、俺との約束を忘れたのか?」
「——っ!」
ゆらりゆらりと覚束ない足取りで弾き飛ばされた剣へと向かうアンジュを油断なく警戒しながら全てをルーへ委ねるランディ。これで少なくとも無様な最後を見られる事は、無くなった。これが最後の見納めかもしれない。ランディは、目を真っ赤にして涙を流すフルールを瞳に焼き付ける。本当は、無邪気に笑う姿が良かったのだが、我儘は言えない。
「どうなっても知らないぞ……」
「……覚悟は、出来ている」
ランディの意思にルーは渋々、答える。やんわりとフルールの肩へ手を回し、立ち上がらせようと試みるも首を横に振るばかりでフルールは、立ち上がろうとしない。
「やめて……どういうこと?」
「君が……此処に居ても出来る事は何もない。行くよ?」
「なにいってんの? とめなくちゃ……そうじゃないとランディが……アンジュがランディを。まだ、あたしにもできることがあるもの」