第伍章 全ては、たった一人。ただ、君の為に。 11P
「そう。食にも無頓着で食べられれば何でも良い。寝る所も雑。家も雑」
「何それ? 変なの。でも……何かしら楽しめる場所くらいあるでしょ?」
「外交の為に迎賓館は、存在するけど。庶民には、関係ない話さ。一般に開かれた娯楽施設は、ほぼ無いと思って貰って構わない。こう言った酒場も静かな語らい合いの場さ。だから観光には、向かないね。そもそも殆どの国民は日々、文献に囲まれて生活をしている」
「まあ、中には変わり者も居て食への探求心で至高の料理を作ろうとしてる人も居たり、寝心地が最高の寝台を作ろうとしている人も居たりするし……果ては一種類の虫に固執してその生態を調べ続けたり……ようは、拘りが強いのさ」
「極端過ぎない?」
「それが彼らだよ」
「でも調べ物をするのには、持ってこいの環境だ」
最初から述べていた通り、アンジュは遊びで訪れるのではなく、学ぶ為に行くのだ。その目的を前に娯楽など、些末な要素に過ぎない。それに加えて異国の民の考え方など、特に気にもしていない。同様にランディも既に知っている事なのでそういうものだと理解し、また自分の価値観を押し付ける事もなければ、受け入れる必要も無いと割り切っている。されど、フルールは違う。二人から伝聞によって齎された考え方の違いにばかり目がいってしまう。
「それで聖国の人たちは、知ってどうするの? 使わないならガラクタ集めと一緒よ? 折角の知識があっても自分の生活に生かされないなら意味が無いじゃない?」
「ようは、知る事で己が生まれた意味を知ろうとしているらしい」
「随分と気が遠くなりそうなお話。放って置いたら苔が生えてきそう」
「そう。何せ、彼らは寿命が長い。僕らの倍以上も生きるんだ。生きている事が暇つぶし」
「彼らの最終目標は、全てを知った上でこの世界と一体になる事。超常の存在となる事。それが意味のあるものだと信じている。だからそれの妨げとなる者には、容赦しない」
「いまいち、興味が湧かない。後、何か横暴だわ」
「同感だね」
対外的には、信仰が篤い国柄とされているが、その信仰の根幹にあるのは、世界に存在する事象を網羅し、神と言う存在を完璧に知り、同一化する事にある。絶対的な存在として捉えている王国との信仰に対する考え方が乖離している。言ってしまえば、神の地位を地に落とすにも等しい所業だ。ある意味、それは冒涜とも言えるかもしれない。
「でも世界と近しいが故に聖国の人たちは、強いんだ」
「君、もしかして……手合わせをした事が? 本当にずっこいなあ」
「なかなか、手の内を見せてくれないからね。貴重な経験だったよ。普通にお願いしても聞いてくれない。散々、馬鹿にしてああだこうだ言って小突いてたら怒って向かって来た」
「馬鹿だなあ」
「馬鹿わ」
「彼女たちは、真の恐ろしさを理解したのさ……世界で何よりも怖いのは、馬鹿だって事を」
胸を張って自慢するランディに対してフルールとアンジュは、呆れ返った。加えてフルールは、ランディの発したある言葉に引っ掛かりを覚え、首を傾げる。
「もしかして―― 手合わせの相手は、女の子?」
「そう。あんまり見た目が加齢で変わらないけど。あの感じは、若かったなあ。あっちは性質上、男女間で差が無いから戦場にも出て来る。あの時は、共同訓練に駆り出されて。確か、国境沿いでお飯事をしたんだけど……暇だったからね」
能天気に背景を語るランディへアンジュは人知れず心の中で祈りを捧げる。問題は、其処ではない。こう言う場面に限って状況を察知する能力が著しく低下するのか。ましてや、兎にも角にも厄介事を惹きつける問題児だ。これで終わりにはならないだろう。楽しむのが目的な筈なのに心労が絶えない。
「それより、若い子怒らせるってどうなのよ?」
「何かにつけて言外に見下して来るから……仕方がない」
「君も大概、子供だよね」
「子供で何が悪い?」
「開き直るな」
あからさまに機嫌を損ねて唸るフルールの横でアンジュは、いたたまれなくなり、助け舟を出す。自分の門出を見送る為の席だ。せめても穏やかな気持ちで最後まで終えたい。
「で、所感は?」
「掴み所が無い。戦い辛い」
「ふむ……」
ランディは、胸のポケットから煙草を取り出すと、火をつけて煙を吐きながら苦々しく答えた。苦戦を強いられた記憶がそうさせる。ランディとの手合わせを経験しているアンジュには、興味深い。其処まで言わしめるほどの難敵とあらば、無理もないだろう。
「戦い方が特殊なんだ。こっちの感覚を狂わせて来る」
「例えば?」
「所謂、幻惑と言えば良いかな? 五感に全てに働きかけて惑わせて来る。ほんとに何でもあり。例えば、斬られてもいないのに裂傷の痛みがあったり、逆に斬られたのに痛みがなく、次第に弱らせてみたり。何かと陰湿なやり方を得意とする」
「最悪だね」
「全くもってそう。実にやりにくかった。勝てたから良かったけど」
ランディの戦いは、正面切ってのぶつかりが主体で搦め手は、得意としない。勿論、それはその能力を備えていない事から起因するものだ。慣れない戦いに手を焼いたと言うのが正しい。相手の知覚に影響を及ぼす謎の力。それぞれ種族の違いから生まれる個性の差。
ランディは、それを自分の伝えられる限り、事細かにアンジュへ説明する。
「もっと細かく分析するなら世界に近づこうとしているからそれが体現出来る。景色に溶け込んで自分の位置を勘違いさせたり、近づく音も周囲の雑音に紛れ込ませられる。時に色仕掛けで己の姿を魅力的に見せたり、甘い香りで嗅覚やら謎の柔らかい触感で相手を魅了して来る事もあるから末恐ろしいよ」
「相当な別嬪さんだったみたいだね。聖国の人は、すらりとした麗人が多いって聞くよ」
「真面目な所で何やってんのよ?」
「仕掛けて来た相手に言ってよ。俺の所為じゃない」
少し遠のいたと思えば、より深く墓穴を掘る。最早、狙ってやっているとしか思えない。これ以上の庇い立ては、自分にも飛び火する。素直にアンジュは、ランディを売った。
「で、肝心なのはそんな相手にどうやって立ち向かったのよ?」
「無理だよ。そんなの」
正攻法では、太刀打ち出来ない相手だ。どんな工夫を凝らせば、良いものか。フルールも思いつかない。それをぼんやりとした顔で煙草の煙を吐くランディは、乗り越えている。今回は、フルールも興味が勝り、深く追求をしなかった。
「うん、それが何とかなるものなのだよ。面白い事にね。幻惑は、己を超えられないんだ」
「つまりは?」
「俺の場合は、相手が良かったね。さっきも言ったけどまだ、若かったから。だまくらかすなら経験がモノを言う。どんなに上手くても自分が再現出来ない事までは、誤魔化せないのさ。一例をあげるなら機微な変化に弱い。見せたり、聞かせる全てが一定のものばかり。風が吹いているのに草が揺れないとか。逆に風も無いのに草が揺れるのもそう。加えてその幻惑が綺麗過ぎるからウソ臭い。その違和感が糸口になった」
確かに相手の特性を逆手に取った対処は、見事である。だが、素直に褒める気にはなれない二人。種明かしを聞いて見れば、何でもない事の様に思えるが、実際にそれをやれと言われれば、無理だと誰もが口を揃えて言うだろう。見破ったからくりは、人の知覚の範疇を超えている。教えて貰ってはいそうですかと簡単に身につくものでもない。野生の感覚と言い表すのが最も近い。なるほど、先ほどランディが言った通り馬鹿が怖いと言うのも頷けてしまう。同時に二人の中でランディの株も大暴落し、地の底にまで落ちて行った。




