第伍章 全ては、たった一人。ただ、君の為に。 10P
気が付けば、酒場は目前。二人は、ランディを置き去りにして先に酒場の中へ入って行く。
遅れてランディも静かに立ち上がると、膝の土埃を軽く払いながら穏やかに微笑む。だが、こんな事をしている暇ではない。次は、痛みで眉間に皺を寄せて腹部に手を当てよろよろと歩きながら酒場に入らねば。それが今、求められている役柄だ。本当に手が掛かる。
「折角の楽しみが……なんでこんな事に。八つ当たりにも程がある」
「持て成す側が何言ってんの? やるなら徹底的にやんなさい。寧ろ、幸先の良い始まりじゃない? これで少なくともあたしは、気分良く飲める」
「右に同じ」
「はあああ……」
柔らかな光の照明に照らされながら賑わいを見せる客席を縫うように進んで既に席へと案内されていた二人に追いつき、椅子に座るとランディは机の上でだらける。
机に肘をついて微笑むフルールと抜かりなくランディが来る前に酒だけ注文をしていたのか、麦酒をシトロンから三杯受け取り、それぞれの前に置くアンジュ。
「それで……幹事殿。始まりの挨拶を是非とも承りたいのだが?」
「この際だから聞いてあげる。勘違いしないで。意地悪じゃなくて試してあげてるの。こんな事、これからどんどん増えるんだから好い加減、慣れないとね。考えてる暇なんてやんない。時間が過ぎるのと同時に期待値は、どんどん上がってくわよ?」
「……ほんとに君たち、揃ってエグいよね。信じらんない」
どれだけ我儘を言われても喜んで従おう。愛おしいこの時間がいつまでもいつまでも続くなら。上体を起こして与えられた少ない時間の中で考えに考え抜いた末、脳裏にそれらしい文面を書き出し、咳払いを一つしてから話を始めるランディ。
「それでは……お二方。お集まり頂き、ありがとうございます。本日はお日柄も良く、アンジュさんの旅立ちに相応しい――」
「かんぱーい」
「やあ――」
これも想定通り。逆に茶々を入れられなければ自分が困っていた。危うく、おちも山場も何もない平凡な前口上で場をしらけさせる最後が待って居たのだから。杯を傾け、豪快な一口目を楽しむ二人を前にランディもゆっくりと麦酒の苦みを受け入れる。
「……散々、持ち上げといてこれか。まあ……分かってたんだけどね」
「辛気臭い顔すんな」
「そう捻くれるなよ。兄弟」
酒が入り、早くも陽気なフルールとランディをあやすアンジュ。追加で注文をした料理を待って居る間、酒を片手に軽い談笑を交える三人。
「で、アンジュさん。次は、何処へ行くつもりなの?」
「うーん。そうだなあ。先ずは、北側へ向かうよ。それから今回は、新たな試みをしようと考えてる。この国は、細かな所を除いて大体、見て来たから」
話題は、アンジュが次に何処へ向かい、何をするのかに焦点が当てられた。興味津々のランディに問いかけられ、アンジュは隠す事無くすんなりと答える。
「つまりは?」
「聖国へ足を踏み入れようとね。初めての異国だ」
「おおっ!」
「大丈夫なの? 言葉、違うでしょ?」
「まあ、そこらへんは、ちょっとコネがあるから。通訳をお願い出来る人を教えて貰う。後は、少しくらいなら話が出来るから問題ない」
高らかに宣言したアンジュにランディは、尊敬の眼差しを向ける一方で怪訝な顔でフルールは、首を傾げる。異国の地へ向かう壮大な計画は、確かに素晴らしいものだ。されど、そんな準備をしている素振りは、一度も見た事が無かった。フルールには最近、起きた何かがきっかけで思いついた安易な計画の様に聞こえたのだ。されど、想像の域を越えないただの杞憂に過ぎない。今、それを問うた所ではぐらかされるに違いないと踏んでフルールは、それ以上深くまでは追及しなかった。
「そうか……ちょっと長い旅路になりそうだね」
「うん。観光ではなく、学びたい事があるから。それも含めるとね」
「寂しいなあ――」
「あっという間さ。寧ろ、みあげ話を楽しみにしてくれ」
「それは、興味深い」
「真面目に言ってるんだから馬鹿だわ。折角の異文化交流なのに。観光しに行きなさいよ」
蓋を開けてみれば面白味に欠ける真面目な理由。何が楽しくて態々、異国まで行き、勉学に勤しむ必要があるのかと理解に苦しむフルール。
「彼方はお国柄、真面目な気質の人が多い。温和な雰囲気を漂わせているけど、自分の腹の内は、絶対に曝け出さない。ふわふわなお上りさんをやってると、必ず痛い目を見る」
「それは、分かるかな。俺も一度、聖国の人と関わった事があるけど、兎にも角にも掴み所がない。柳に風で此方の話をさらりと受け流して自分たちに有利な提案へ持って行こうとする。隙あれば足元を掬われる。それに宗教色が強い。経典が信条の一番でそれに反すると要らぬ怒りを買う。寡黙で気難しい奴らだよ」
「めんどくさ」
更に国の詰まらない内情を二人から説明され愈々、興味を失うフルール。
そう、次の瞬間。訳あり顔でアンジュが不可解な事を口走るまでは。
「そうなんだよ。まあ、彼らが其処まで偏屈なのは、世界の声が聞こえているからだね」
「それそれ。それが一番の難点だよ」
「何それ?」
食いつて来たフルールに二人は、顔を見合わせて苦笑いを一つ。息の合った行動は、何故故か。何方にせよ、説明をしなければフルールが納得しない。
「眉唾物に聞こえるかもしれないけど。彼らには世界の声ってのが聞こえる」
「だから……きちんと説明しなさいよ」
「どうやって説明すれば良いかなあ――」
「難しいね」
「馬鹿にしてんの?」
「してない。してない」
「寧ろ……僕らが馬鹿だから猶更、難しいのだよ」
簡潔な説明が出来ない理由があった。顔を見合わせた本音は、それだ。知ってはいるものの、中身は抽象的で予備知識の範囲内。実際の関わり合いも乏しく、深く知っている訳でもない。前提知識があって多少理解している者同士ならば合点が行く。だが、それが無い者へ説明出来る余力は、皆無。どれだけ頭を捻って説明したとしても曖昧な答えしか出て来ないのだ。それでは、フルールが満足しない。だから二人は、困っていた。
「ふむ……これかしかないか」
「何か思いついたかい?」
「うん。あってるかは、分からないけど……彼らは、世界の声が聞こえる」
「ほんとに馬鹿だわ。馬鹿。いっぺん、死なないと治らない」
小難しい顔をして勿体ぶって見せるから少しだけ期待してもこれだ。結局、振り出しに戻ってしまうランディ。その情けなさを前にフルールは、茶色の瞳を濁らせながらがっかりする。されど、ランディも馬鹿ではない。その話には、きちんとした続きがあった。
「まあ、待ってって。話は、終わってない。ちゃんと、続きがある。世界の声ってのはさ。つまるところ、自然とか物とか、人以外の言葉が聞こえて来るんだよ。それが聞こえる彼らは、齎される情報が多い。どう言う仕組みで天候が変わるのかとか、物質の性質や利用法。後は、病の治療法とかそれだけに限らず、色んな情報を断片的だけど教えて貰えるんだって」
「それが本当なら凄い事ね……でも信じらんない」
「言ってる俺もそうだけどね。でも彼らと話すと何かと納得出来る事が多い」
「……」
「……」
「だから彼らの信条は、主に世界に数多と存在する謎を解明する事にある。知識への探求心が彼らを突き動かす。それ以外の全ては、無駄なのさ」
端緒を掴んだ説明でフルールも少しだけ納得が出来たものの、雲を掴むような話には変わりない。しかもより文化の違いが際立って異質で珍妙なものとして聞こえて来る。怪訝な顔をするフルールの横でアンジュは、目を瞑りながら黙って頷いていた。




