第伍章 全ては、たった一人。ただ、君の為に。 8P
嫌と言う程、己の無力さを思い知らされた。価値を示そうとした結果、今がある。他者から意味を貰っている空っぽの存在。自分は、こういう存在だと胸を張って言えるものは、何もない。道端に転がっている石ころと例えるのも烏滸がましいと思ってしまう。煙草の煙が目に染みて茶色の瞳は未だ尚、潤んでいる。しかし外的な要因だけではなく、燻る悔しさがそうさせるのだろう。
「君の努力を否定する心算もないし。寧ろ、君の志を僕は、評価したい。でもね。多分、それは違うと思う。人は、潜在的に不幸を求めてる。その不幸を乗り越えて更に前へ進もうと進歩する。その連続だ。目的と言っても過言じゃない。その結末が例え、どんな形として現れたとしても。そう……君が良い例だ。親しい者の死を乗り越えてそんな悲劇が起きぬよう人へ手を差し伸べられる者となった。君が求めてはいなかった形かもしれないけど、でも意思を持った存在が生まれた。それは、この世界にとってきっと祝福したい事なんだ」
悲嘆に暮れるランディ。そんなランディへアンジュは優しく微笑み、諭す。恐らく、世の中には似通った不幸が幾多も転がっている。ランディだけではない。場合によっては、手も足も出ず、聞くに堪えない絶望したくなる様な事例も中にはあるのだろう。まだ、膝をつくには早い。何より、ランディ自身が諦めていない。通すべき一本の筋を知っており、見失っていない。正しさを知るが故に誰よりも恵まれている事を自覚しなければならない。何もないのではない。例え、目には見えずともきちんと持っている。燻っているだけで心の火が消えておらず、燃え盛るその時を静かに待ち続けている。逆説的に言えば、その不屈の意思を持っているから『力』を与えられたのだ。
「君自身が結果なんだ。だから君が悲観なんてしないでおくれ。君の背を見て多くの人が影響されて行く。そして、君みたいな人が少しずつ増えて満ちれば……何れ世界は、自然な流れで真に救われる。君一人の人生が全てを背負って今直ぐ世界を変える必要は、何処にもない。君が変えるべきは、人なんだ。心に種を蒔くのが君の仕事」
アンジュは、希望を与えられたのだ。同じ様に思い悩みながらも必死に抗うその姿を見せられて。自分も負けていられないと生きる意思を再び呼び起こされた。
「目の前の僕にもしっかりと継承されたよ。だから僕と約束して。どんな事があろうとも。どれだけ時が経とうとも君は、変らず君のままであり続けておくれ」
「そんな事を言われても……」
腑に落ちない。情けない己が叫ぶのだ。目の前のたった一人さえ、手助けが出来ない自分に心底、腹が立つ。今ももっと出来る事があった筈だと自分を責め立てるもう一人の自分が居る。人は、誰しも迷える仔羊だと自分に言い聞かせて自然とその地位に甘んじている。
「ははっ―― 今は、分からなくても仕方がない。だって君には、可能性が見えてしまうんだもの。それがどんなに確率の低いものであってもね。手が届くと伸ばしてしまうから」
それは、生き急ぎ過ぎている。手の掛かる奴だとアンジュは、苦笑いを浮かべた。もっと、目の前の事に目を向ければ良いと、アンジュは言う。安易に答えをやって良いものかと少し迷うも優しさがそれを優先させる。
「そうだなあ……なら、君が喉から手が出るくらい欲している目に見える結果を僕は、与えようじゃあないか。うん。僕は、まだ諦めない事にした。君を見てそう思った。最後まで醜く足掻くと、この命を懸けて君に誓おう」
「っ!」
「そんな驚く顔をするなよ。僕だって石頭じゃない。それに欲望だって人並みにきちんと持っているさ。まだ、僕の意識がはっきりしている間は、欲張ってみる」
「それは……」
「本当さ。君も知っての通り。僕は、君を見た時から最後は、君に討ち取って貰おうと考えてた。だって『加護』との一大対戦なんてそうあってたまるものか。どれだけ自分の力が通じるか。全身全霊をもって戦に身を投じ、簡単に足元から常識を覆され、この身を滅ぼされるか。華々しい最期を遂げる事しか、頭に無かったんだ」
思ってもみなかった心情の変化にランディの目が大きく見開き、煙草が手から零れ落ちる。アンジュは、干し肉を口に含んでよく噛み、酒と一緒に飲み込んでから呟く。
「でもそれは、なんか違う。諦めから来る破滅願望を綺麗に飾ろうと必死だった。中身なんてない。最後に価値のあるものになろうとして君の『力』へ縋っていただけだ。君の物語の一頁に書き記されるだろう討ち取られたちっぽけな化物って役名に焦がれただけ」
アンジュの意志は、固い。別の結末を描こうとしている。
「ちょっとでもさ。確率が低くてもこんな僕に希望を見出してくれた人にそれって失礼じゃない? だから僕は、探す事にした。この『力』と上手く付き合って行く方法を。最後まで人として生きようと頑張る事にした」
「そうか……」
「もう、遅いかもしれない。でもそっちの方が何倍も素敵じゃないか?」
「絶対にそうだ。間違いない」
どれだけ苦難の道が先に待ち受けようともアンジュは、最後まで人として生きる事をランディに誓う。その誓いは、此処へ訪れる前から薄っすらと考えていた。そして、ランディと話をして確実なものとなったのだ。
「だからさ。フルールの事も諦めない」
「ほう―― そうかい? 焚きつけた俺が言うのもあれだけど、君たち真っ新になったばかりじゃないか? 元の鞘に収まろうにも前以上の時間と手間を掛けないと難しいよ」
嬉しさで胸がいっぱいになる。これこそがランディの求めていたもの。唯一無二。掛け替えのない人の温かみだった。努力は、無駄にならない。この町の一角で起きた小さな出来事。たった一歩。だが、これまで進まなかった一歩がやっと踏み出せた。
「そうなんだ。いや……以前より質が悪い。何せ、君と言う強敵が出現した以上、絶望的とも言える。一度は、あの子を安心して任せられる奴だと僕が男として見込んだ相手だ」
「それは、言い過ぎだ……」
「いいや。違いない。だからこそ、燃えるんだ」
「アンジュさんが本気を出したら俺なんて直ぐに霞んでしまう」
「嘘でも嬉しいなあ」
「嘘なんかじゃない。本心だ」
全てを本当にする為ならば、何でもやり遂げてみせよう。これまでと何ら変わらない。だが、今度は己の中に眠る力を使わずとも己の力のみで最高の終わりを描くのだ。抑止力として悲劇を止める為の主人公ではない。喜劇を作り出す裏の立役者として。真に何かを成し遂げる事とは、得てしてそんなものだ。
「……何時、出立するの?」
「八の月に入る前には」
「なら……それまでに思い出を沢山、作ろう」
「急な話だ。僕にだって予定があるんだぞ?」
「思い出の数の分だけ……アンジュさんを引き留めてくれる。あなたを強くする」
「そうか……ならその言葉に甘えるとしよう」
一つにさほどの力はない。寄り集まって始めて力を発揮するのだ。
「沢山、約束する。少しでも時間があったら顔を出す。アンジュさんとフルールを連れ出す」
神妙な面持ちでランディは、自分へ言い聞かせるかのように呟く。
「全く……君ってヤツは」
「しょうもない奴だろう?」
「本当に手の掛かる弟分だ」
ランディの肩へアンジュは、己の肩を軽くぶつけて晴れやかに笑う。決して遅くは、なかった。まだ、走れば間に合う。やっと追いついた。もう、一度捕まえたら離しはしない。辿り着くべき、一つの到達点がランディには見えた。