第伍章 全ては、たった一人。ただ、君の為に。 5P
「私は、お前がお前であるから関りを持っている……何度も言っているだろう?」
「なら、これも俺です。では、少し見方を変えてみましょうか? 俺は、無茶を承知でも頑張れと言って背中を押して送り出してくれるレザンさんが好きです」
「何処までも嫌味な奴だ」
いや、成長しているのではなく自分らしさがやっと、目を出したと言う方が正解なのだろう。たった数か月の関係で成長したなどとのたまうのは、烏滸がましいにも程がある。悪戯っぽく笑う目の前の青年に溜息は尽きない。
「良い教師が俺に教えてくれました」
そして真顔になって本気で太鼓持ちをするのだから抜け目ない。こんな時は、何を言っても我を通す。好い加減、レザンにもランディの性格が分かっていた。
「人様を煙に巻く事ばかり覚えよってからに。私は、そんな事を教えていないぞ?」
「見て覚えました。習うよりも慣れよ」
「その内、痛い目を見る。私がそうだったからな」
「その経験があったからレザンさんは、俺へ優しくしてくれるのでしょう?」
「私は、優しくなどない。甘いのだ」
「その甘さに救われている者がいる事を忘れないで下さい」
どんどん前へ走ろうとするランディ。その背中を年老いた爺が何時まで追いかけ続ける事が出来るだろうか。少し目を離している間にもいつの間にか、この町で自分の知らない風景を知るようにまでなっていた。飛んで来た小さな種が根付き、大きく葉を広げ、花を咲かせようとしている。少しの間だけ強い日差しや雨風を凌いだだけでしてやった事など、殆どない。寧ろ、与えられたもの方が多い。
「寂しさを覚えるな……少しずつ、私の手から離れていく事が」
「そんな事は、ありません。まだ、甘えてばかりです。これからもそう。変わりません」
「少しは、自立しろ……寧ろ、頼むからしてくれ。私の心労が絶えん」
時折、見せる子供っぽい甘えすら心地よく思えてしまう。
もっと手を掛けてやりたいのだが、本人がそれを許さない。
「されど、確実に手が離れているのも事実だ。既にお前だけの場所が出来ている。私が関知していない微妙な関係性が幾つも存在している」
「そう言いつつも知っているじゃないですか?」
「風の噂がな。騒がしいのだ。直接、見ている訳でもなく、お前からも聞いていない」
「恐らく、それらの殆どが事実と異なる虚偽の情報です。惑わされてはなりません。年寄り扱いをしたくありませんが。そんな事では、何時か騙されてしまいますよ?」
前髪を弄りながら必死に平静を取り繕うその姿に少し安心を覚えるレザン。偶には、意地の悪い年寄りらしく若者をからかうのも悪くはない。
「出来れば……子が生まれる前に教えてくれると有難い。私も心の準備が必要でな」
「茶化されて子ども扱い。手玉に取られて遊ばれている間は、ありませんね」
「それは、違う。私とて、同年代の者と語り合ったり、年長者と会合に臨めば、未だに弄られ、窘められる。関係なく、責任とは並行してやって来るものなのだ」
「末恐ろしい」
「長く生きれば、生きる程に罰酒が指数関数的に増えて行く。しかもより難解なものを求められる。だから酔いつぶれぬよう堪えるので必死なのだ」
してやれる事は、自分の経験を伝えるだけ。恐らく、影響などこれっぽっちも与えられない。だが、知らないのと知っているのでは話が違う。心構えが一つ積める。これから先、長い時を生きる上で重要な要素の一つだ。
「やれば、出来る。言葉とは……まっこと面白いものだな」
「抗える内は、抗います」
「三大欲求とは、よく言った。生物を作った存在は、本当に難解な仕組みを理解している。わざと間口を広くし、甘美な香りで誘い、巧妙な罠を仕掛け、継承を促す」
「寧ろ、欠陥でしょう。寝て食べての繰り返しが必要で……存在も永遠ではありません。何時か必ず訪れる終わりへ向けて自分の生きた証を残さねばならない」
目を瞑り、小さな笑いを漏らすレザンに対して鼻息を漏らして疲れた顔をするランディ。
生き物とは、本当に珍妙な存在だ。他者から得られるものがなければ、存続が不可能。そして、休息を取らなければ、直ぐに息を切らす。そして雌雄二つ揃わなければ、自分の生きた証を残せない。完璧に誂えられた箱庭しか知らず、しかもそのお膳立てがあっても辛うじて生き延びるのがやっと。小さな箱庭が全てだと思っている哀れな存在だ。
「だからこそ。見ている者が居るとしたらこの上なく滑稽なのだろう。無価値な存在が、価値のあるものになろうと手間と時間を惜しみなく掛けて際限なく無駄を振りまくその様が」
「おっしゃる通り……馬鹿らしいですね」
「規則正しく、品行方正に。若しくは、賢く抜け目なく生きたとしても所詮は、五十歩百歩だ。然したる違いはない。踊る阿呆に見る阿呆。同じ阿呆なら踊らねば損だ。寧ろ、見ている側としては、丹精込めて作った舞台へ一生、立てぬのだからさぞ悔しかろう。しかも場合によっては、台無しにもしている」
されど、その虚しさも考え方を変えれば、尊いものにも思えてしまう。失う前にそれが気付けたのならば、世界はもっと素晴らしいものに見えて来る。時に誰かと比べて自分が劣っていると思う事もあるだろう。だが、多少の優劣があっても根幹は変わらない。もし賢いと自画自賛する者が居たとしてもそれは、虚飾に過ぎない。同様に正しいと自画自賛する者が居れば、それも同じ。完全な賢者や聖者であるならば、他者からの影響を完全に遮断し、自身が他者へ影響を及ぼす事も無く、自己完結型の永久機関として有らねばならない。虚勢と虚栄に塗れた未熟者の嘘に意味はない。また、超越した存在が気になるなら鼻で笑ってやれば良い。最高の高座をぶち壊している自分が居る事を誇れ。レザンの言葉は、いつも正しいとランディは、思う。
「そう考えると哀れにも思えてしまいます」
「だから安易に己を悲観する必要もない。見聞を広げ、世界の広さの一端を知り、人を知る。同時に誰かと結ばれて次代を紡ぎ、この世界が如何に愉快なものかを面白可笑しく語って子に夢を見せるのだ。それが出来たのならば、真に価値のある存在と言えよう」
「長く険しい道のりです……」
「それを楽しめる器になれ」
「はい」
逆にランディは、考える。手を伸ばしても届きそうにない程、高みへ至った老人と同じような存在に自分がなれるかと。遠い未来。何時の日か。先達として教え、諭せる存在になれるかと。今の自分に問いたくなる。其の為には、矢張り足掻かねばならないのだろう。未だ、道の途中。終着点にばかり気を取られてしまえば、少し先の前しか見えない自分は、直ぐに転んでしまう。どれだけ素晴らしい権能があったとしても役に立たない。
「ランディ。今は、楽しいか?」
「……ええ、とても」
「ならば、私からの叱責はない」
頼りない背中をそっと押してやるのが今の役名だ。レザンは、思う。そして、傷ついても最後に帰って来る場所であろうと心に決める。以前もそうだった。自分の帰るべき場所としてランディは認識し、酷い怪我を負っても必ず帰って来た。今は、それで良い。また、ランディは変わろうとしている。死地へ向かうのではなく、活路を見出そうとしているのだ。戦場へ行くならば、肌身離さず手元へ置いておく剣を携えないのが何よりの証。携えたその武器は、今日の役割を果たす為だけに持って行くだけ。
「だが、その鮮烈な愉快さに溺れて死ぬなよ?」
「はい……」
レザンは、居間へ一度、戻り琥珀色の酒瓶とショットグラスを持って来るとランディへ手渡す。苦笑いを浮かべながらランディは、それを受け取り、肩掛けの中へ押し込む。レザンの願いは、変らない。ランディが目指したい場所へ辿り着く事を。切に願う。




