第伍章 全ては、たった一人。ただ、君の為に。 4P
酒が欲しくなったが生憎、持って来てなどいない。ルーは、ランディの心境を悟ったのか、机の引き出しからコルクで栓のしてある小さな小瓶を取り出してランディへと投げて寄越す。満杯に詰まった琥珀色の液体をランディは、胃へと流し込む。目を瞑って酒の余韻に浸りながらやっと言葉を紡ぐ。
「何を持って正しいかを証明すれば良いかなんて本当は……分からないんだ。そもそも正しい事なんて分からないしなあ。その時々によって変わるし……誰も彼もが諸手を上げて賛同出来る事は……絶対にない。あり得ないよ。でもね、俺にだって出来る事はあるんだ。頑張る事は、幾らでも出来る。頑張って、苦しんで、頑張って、苦しんで……最後まで頑張り抜いたその先にあるものが正解だって俺は、信じている」
ランディの捻り出した弱音を静かに聞くルー。百点満点の答えなど、出した事はない。良くて及第点、悪ければ零点に近い。誰もが認める素晴らしい答えなど、存在しないのだから仕方がない。足掻いた末の辿り着いた場所には、未練がないだけだ。それは、単なる自己満足異過ぎない。だが、そんなもので良いと言ってくれる人々が居る。
「何よりも君を含めた町の皆がこんな俺を肯定してくれた。理由は、それだけで十分だろ?」
中身など、最初からない。無から意味を見出してくれたのだ。
「弱音なんて言いたくないけど、本当ならこんなしょうもない力なんて使いたくもないんだ。自分の性能以上の力を強引に引き出すんだからそりゃあ、代償がある。使ったら凄く疲れるし、頭も体も痛みで悲鳴を上げる。むやみやたらにぴかぴか光るのも鬱陶しい。まあ、夜だったら道を照らしてくれるからかなり便利だけどね」
「救いの力を……君は、本当に罰当たりなヤツだ」
「人を選ばないからだ。神って存在がいるのならそいつは、相当な大馬鹿だよ」
酒に舌鼓を打ちながら平気で悪態をつくランディに苦笑いを禁じ得ないルー。普段は、熱心に日曜の礼拝へ通っているのにも関わらず、己が信じる神へ冒涜するもの可笑しな話だ。
「当人からしてみれば、良い迷惑だ。学も無ければ、品性の欠片もないのに……」
「それは、肯定せざるを得ないね」
「だろう? そんな奴が多くの人々から小さな希望を……願いを際限なく引き受けなればならない。それが性だからと自分に言い聞かせて。本当なら今にも圧し潰されそうだ」
先ほどまでユンヌの座っていた椅子に背凭れを逆にして体を預けながらランディは、投げやりな言葉を放つ。これまで穏やかに流れていた空気が一気に重くなる。人智を超えた力があればなど、軽々しく望むモノではない。大いなる力には、大いなる責任が伴う。また、其の名に付随する名声や醜い欲望へ溺れてしまえば、たちどころに己を見失う。清貧に生きるまでとは、行かぬものの。使いどころを間違ってはならない。
「ならっ!」
ならば、そんなもの背負わなければ良い。ルーには、その最後が言えなかった。何故ならば、穏やかに微笑む友の姿があったからだ。それは、諦めから来る微笑みではない。誇らしげな微笑みだった。その重圧があったとしても期待して止まない。己の姿勢を肯定して貰えるなら戦い続ける。ランディにとって最も意味のあるものだ。
「でも、君が頑張れと言ってくれるなら。それだけで良い。うん、それだけで良いんだ」
ランディは、ルーへそっと拳を差し出す。誰の為でもない。己の存在意義を示す為。
「俺は、満足だ」
「……頼む。この町を―― フルールを救ってくれ」
「その願い―― 確かに承ったよ」
差し出された拳にルーは、自分の拳を軽くぶつける。矢張り、自分は不器用だとランディは、思う。もっと早くに話をしていれば無駄な傷つけ合いなど、起きなかった。だが、同時に幸運であるとも思う。きちんと全てを白日の下に晒せる事へ。
「明日から見張りが始まる。ブランさんとの約束で一週間限定」
「確か、奴の了承も貰っていたね……」
「そう。だから一気にケリをつける。勿論、話をしてね」
「無理は……しないでくれ。もし、君に何かあったら……僕もタダじゃあ済まされない」
「大袈裟だなあ」
ランディは、一気に小瓶の中身を飲み干す。まだ長い夜は、続く。夜が続く限り、月は輝き、人々を照らす事が出来る。誰もが暗い夜道で迷わぬよう。それが例え、まがい物の光と貶され、非難されたとしても。救いになるのであれば、構わない。
「全容を知っていたと、判明すれば。縊り殺される」
「なら、絶対に失敗出来ないなあ……」
「僕は、達成しろって言ってる訳じゃない……生きろと言ってるんだ」
「精々、頑張るさ」
止まっていた歯車の回り出す時が、刻一刻と迫っている。
*
全ての準備が整った。などと言う心算はない。出来る事を全てやった訳でもない。寧ろ、これからその全ての帳尻合わせを終わらせなければならない。自分の想いを伝えるだけ。だが、何よりも難しい。練習が出来るものでもなく、与えられた少ない手掛かりを頼りに綱渡りをするのだ。臆病風に吹かれるのも無理はない。
「さて、頑張りますか……」
少し縒れた白いシャツと細身のパンツをズボン吊りで止め、後は足に慣れた靴を履けば準備は、万端だ。腰に小さなランタンを下げ、小さな肩掛けと長い布袋を背負ってランディは、暗い戸口に立つ。ルーと話をした翌日の夜。この日の為にどれだけ無駄を重ねただろうか。だが、それら無駄の全てに意味がやっと齎される。緊張にまみれた背中は何も語ろうとしない。しかし、背負った重責を知っている者がいる。見送りで寝間着姿のレザンは、不貞腐れた様子でランディを見守っていた。
「私からは、何も言うまい。蚊帳の外でずっと放っておかれたからな」
「もしかして……拗ねてます?」
「馬鹿馬鹿しい」
振り返り、微笑むランディ。レザンは、ぶっきらぼうに返事を返す。
「……それは、お前が本当に正しいと思う事か? 成し遂げたいと思う事か?」
「ええ、何としても」
「あの小僧も同じなのだろう? 『力』に囚われている。この国が孕む歪みの象徴だ」
「もしかしたら……そうなのかもしれません。でも……それってあまりにも悲しくありませんか? 人から疎まれる為に生を受けたなんて。俺なら嫌です」
どれだけの大義があったとしてもレザンは、承服しない。目元に刻まれた皺を更に深くさせ、レザンは遠慮なく持論を述べる。本当ならば、縛り付けてでも止めたいのだ。だが、それは互いに交わした契約に反する。ランディも契約を反故にして無策に死地へ向かう心算も無い。だからレザンは、見守る事しか出来ない。
「現実は、時に非常なのだ……それが分からぬ年でもなかろう?」
「皆、そう言いますけど。俺は、そんな簡単に片づけたくなんてありません」
誰もが目を背けようとも自分だけは、正面から向き合っていたい。所詮は、子供の意地に毛が生えたものだ。下らない事は、自分が一番よく知っている。最早、笑い事では済まされない。だから誰もが笑える様にするのだ。誰に操られる訳でもなく。自分の意思で物語を紡ぐと決めたのだから。
「恐らく、答えは出ている。後に待つのは、その答え合わせだけだ。全てが遅過ぎた。それは、お前の所為ではない。それでも突き進むのか? 棘の道と予め分かっていたとしても?」
「レザンさんは、そう言う俺の方が好きでいてくれます」
「そんな事はない」
憎い事を言う。大一番であっても言葉を選べる度胸を持った事へ驚くと同時に誇らしく思えるレザン。人の成長を間近で垣間見る瞬間と言っても過言ではない。少し前のランディならば言えなかっただろう。それをレザンは嬉しく思う反面、寂しさを感じた。




