第傪章 『Peacefull Life』 8P
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次は仕事と家事。
これは掃除で一日つぶれた次の日から家事の分担とレザンの指導が少しずつ始まった。
掃除はランディが中心。食事はレザンと持ち回り。洗濯は服が少ないランディはこまめにする為、レザンと個々でやっている。本当ならば家事の全てを居候の見であるランディはやりたかったがレザンも腕を錆つかせたくないとのことで役割を分担された。此処までは全く、問題ない。何故なら、ランディが今まで続けていた日常生活と何も変わらないから。
本題は『Pissenlit』の仕事だ。
ランディにとって『Pissenlit』の仕事は新鮮という一言に尽きる。最初にレザンから任されたのは店番、配達、商品の補充。まずは体を使い、簡単な仕事を覚えていくのだ。仕入れや経理、町の商工会議、商売がらみの人付き合い。商売にとってコアな仕事はまだレザンが取り仕切っている。段々と町の雰囲気や商売をするという感覚を覚えてきたらレザンはランディにこれらの仕事も任されるだろう。今、任された仕事は一見、簡単な仕事のように見えるが恐ろしく大変で思った以上に面白い。
「それではランディ、仕事の指導を始めるぞ」
「はい、お願いします」
ランディとレザンは『Pissenlit』の店内にいた。大掃除の日から二日経った店員デビューの日。
始めるのは開店準備。
「まずは店の前と店内を掃き掃除、その後は店内を回って何処に何があるか、自身で確かめること。この二つが終わったらまた指示をする」
「はい、分かりました!」
レザンの指示にランディは二つ返事で了解すると早速、箒と塵取りを持ち、外へ出ていく。
折角の日だが生憎、『Chanter』の空は朝から生憎の曇り空。景色は無彩色に染まり、今にも泣
き出しそうな天気だ。冬の名残はまだ地面にあるも雪が降る事はそうそうないだろう。
「さむっさむっ。雨、降るかな」
早めに終わらせて中に引っ込んだ方が良い。
ランディは霙雪の水を吸った店の前にある大きなゴミを掃いていく。
「それにしても本当にゆっくりだ、この町は。慣れないから落ち着かない」
曇り空を見上げ、手を動かす無表情のランディはポツリと呟く。ゆっくりとした時間はランディも好きだがそれが続くというのはどうにも違和感があった。ランディが感じた違和感はまだこの町のペースに慣れていない証拠だ。
しかし、一週間で慣れるのも無理がある。直ぐに解決出来ることではないが、もどかしさが焦らせた。
慣れとは気付いた時にはあるものだ。視野へ入れている間に出て来る物ではない。
「でも楽しいんだなあ―――― これが」
ただ、変なことかもしれないが。にっちもさっちも行かない課題へのもどかしささえ、ランディには愛おしかった。そして箒を一度地面について済ませた掃除の成果を確認するとランディは店へと足を進める。
「さてと、こんなものかな、次は店の中だ」
表から見る『Pissenlit』。それはそれで感慨深いものがあった。
扉の上には長い歳月を感じさせる箒と小さな花、フライパンが連なる文字が彫ってある看板。箒とフライパンは形で分かるが何の花かは汚れ、錆ついているため書いてある文字さえも、もう分からない。扉と両隣には飾り窓。他の焦点と同じく、昔あった窓税と言う悪しき税金の所為で小さい。上の階や今の窓が一つずつしかないのもその所為。しかしくだらない税金対策でも歴史の重さを感じられる。縁の下の力持ちとして店を支え続けた飾り窓には掃除用具や調理道具、洗濯板などが並べてある。表は店と言う形を成しているが地味。ひっそりとして良い意味での凡庸、それでいて絶対に忘れられることがない街並みの一部だと主張する風格があった。
「俺もこんな風に歳をとれたらなあ」
自分が生まれた以前に息づいていた書物に記されることがない庶民の歴史をランディは知らない。本当に軽い言葉しか出なかったがそれでも『Pissenlit』から確かに見えないバトンを受け取るランディ。中へ入ったのと同時にぽつぽつと脳天を小さく突くものが曇天から降って来た。
「雨だ……」
ランディの言葉に対して呼応するかのように空はいきなり強く泣き始める空。降り始めの時にする泥の匂いが漂い、雨粒で寒さが強まりを見せた。ぬかるんだ地面へ尚、追い打ちをかけるように容赦なく降って来る。雨は霧のように景色を霞ませて『Chanter』を子供のように陽気な風景からシビアな雰囲気を漂わせる大人な町へ姿を変えた。ランディは景色の変化を目の前にして感傷に浸り、雨に濡れる
『Chanter』を満足行く眺めた後、無言で中へと引っ込んだ。中へ入り、出迎えてくれたのは勿論、今日初めて入った『Pissenlit』の店内。ランディは持ち替えた箒に寄り掛かり、店内を改めてゆっくりと見渡した。実際、『Pissenlit』は何処にでもあるような普通の雑貨店だ。表の扉側はショーウインドウ、左右の壁には隙間なく並んだ天井くらいの高さがある商品棚の列。明かりは飾り窓も含め四つ。暗い時は天井に下げられている大きなアルコールランプの出番。棚の下には消耗品の入った籠が幾つかある。部屋の真ん中には天井に届くほど大きな棚が対で縦に二列並んでいる。
商品は右から調理用具などの料理関係、真ん中一列目は洗剤や殺虫剤などの薬品系、二番目は掃除用具や洗濯用具、最後の左側は小さな大工用の工具や釘、その他、使用頻度があるとは思われない商品が分けて置いてあった。四分割された店内を丁寧に箒で掃きながら見て回る。床は人一人が十二分に通れるように整理されていて店の匂いは石鹸や箒などの藁臭さ、生活臭よりも新品の匂いがした。
「何でもありそう、此処」と言い、何かに納得した顔をするランディは商品から会計は最奥にある整頓されたカウンターへと目を向ける。
カウンターがどっしりと身を構える後ろには業務用の棚があった。向かって右側の壁には小さな明かりを取り込む為の窓が一つ。棚には注文の品などが置いてあり、良く整頓されていた。一通り店内を眺め終わったランディはゴミを集めて捨てた後、歩いてカウンターに向かう。
「時間がある時に大掃除だな、これは」
軽く掃除をしてランディは店の全体的大まかに見た。確かに見てくれは綺麗だが床には固まった汚れや洗剤の零れた後、商品棚のスミなどに埃が溜まっているし、壁には日焼けした張り紙が何枚か。小さく目を向けていけばまだまだ見落とされている埃が出て来る。これから一つずつ片づけねばなるまい。ランディがカウンターの裏手に回ると引き出しを見つけた。
「ぬぬぬ……」
見つけた引き出しは魔性の魅力を帯びていた。レザンに開けるなとまでは言われていない。
ランディの中で良心の呵責と欲望が鬩ぎ合いをしている。でも心音のように「開けたい、開けたい」という言葉がランディの頭の中で響いた。顔には好奇心が押え切れていない。
「後学のため!」
結局、この一言でランディはそろそろと一つずつカウンターの引き出しを開けていく。
中身は長年、レザンが積み上げて来たであろう努力の証が出て来た。手書きの物価表や王位が変わるたび行われるアークロ金貨レート変更の通達、行商人や得意先のリスト。その他にも商工会議議決のまとめ、税金の徴収書、探せば探すほど様々な書類が出て来た。
「凄いなあ、これは」
ある引き出しには荒く削られた木彫りの犬のような動物の置物や古臭い人形など思い出の品であろう物が丁寧に整理され収納されていた。また一つだけ頑丈な鍵の付いた引き出しがあり、手形や小切手、現金が入っていることが予想出来る。
「うーん。何々、レートはやっぱり王様が変わる時は分かるけど、生活必需品の税金撤廃やら大量生産、此処五十年で物価も下がり始めたのが改めてこうまとめられると良く分かるなあ」
近くにあった椅子をランディは引っ張り出すと特に興味を引かれた書類関係に目を通し始めた。
こうなるとランディの午前中は容易に潰れてしまうだろう。だが、そうは問屋が卸さない。
「終わったのなら言いなさい、ランディ。あまりに遅いからと様子を見に来てみたら……好奇心旺盛は、結構だが、それでは仕事にならん」




