第肆章 甘い幻想の果て 7P
右と左。手の内にあるそれぞれの温もりをランディは、重ね合わせる。言葉で言い表せられないのなら実態のある行動と感触で伝えるのだ。突き詰めれば、アンジュが全ての理由を話せば、それで済む。だが、その理由は、眉唾物に聞こえてしまいそうなほど、凄惨で非常な理由だ。理解を得られるかも定かではないし、理解されたとしても解決方法があやふやで余計に荒唐無稽な話となってしまう。
「だって二人の手は、まだ温かいんだ」
重ねられた手をじっと無表情で見つめるランディ。一切の感情を排除し、真実に基づいた実情よりもきっかけとなった原初の想いが息を吹き返すよう促し、本音を曝け出させる。結論を急ぎ過ぎた結果がこの有様だ。ならば、結果を先延ばしにさせれば良い。何時か答えが出せる手助けが今は、必要だった。それには先ず、目の前にいる存在が何かを知らせねばならない。互いに互いを人ではない何かだと認識してしまっている。
「まだ、ヒトとして生きている……」
「――」
「……」
「あまりにも壁を作り過ぎた。故に触れる事さえせず、互いに人ではない何かと思い込んでいる。でも実際は、違う。血の通った人だ。それ以上でもそれ以下でもない。それを知らせてあげたかっただけなんだよ。俺がしたかった事はさ。本当は、こんなに簡単だったんだ。俺がもっと早くに気が付いていれば……ごめんよ、二人とも」
分からないから傷つけ合える。その切っ先に居る者が血の通った人間だと分かってしまったら無暗に言の刃を振りかざして斬りつけ合う事など出来る訳がない。
「でもっ!」
「また、別な形で始めれば良い。始まりに戻って友達からやり直したって良いじゃないか? 二人して平気そうな顔をしてるけど……声は、違う。何処か悲しげだ。そこまで悲しいって分かって居るのにも関わらず……やり遂げる必要が何処にある?」
これまで二人の顔色を伺うばかりで感情を受け止める事をして来なかった。フルールの潤んだ瞳、アンジュの疲れ切った表情。それが何を意味するのか、きちんと己が理解せねばならない。そして、その関係に遅延や誤解が生まれる事無く、伝え切る存在であろう。寧ろ、それが出来るのは、二人を知る自分にしか出来ない事だ。
「ほれ、見ろ。悲しいんじゃないか。俺は、フルール。君のそんな顔、見たくないよ」
「……それが許されるなら僕だって」
「なら俺が許すよ、貴方を。だからさ、アンジュさん。涙を流すのは止めてくれ」
静かに流れる涙。自分でも気づかぬ内に瞳から湧き出たのだろう。そっと空いた手を己の頬に当て雫を確認するアンジュ。辛さを隠し通せぬほど、己を追い詰めてまで完結させるべき事案ではない。状況に流され、答えを焦るから心が追い付かないのだ。
「別に良いじゃないか。白黒はっきりつけなくたって」
二人の心情を一気に吸い込んで悲嘆に暮れる。されど、停滞はあり得ない。器用に片手で煙草に火をつけ、己を鼓舞し、想いを煙に巻くランディ。
「俺は、貴方たちに笑って欲しい。それは、二人ともさり気なく俺に見せてくれた掛け替えないものだ。二つ揃えてそれを見る事が出来るなら……とアンジュさんが来た時からずっと思っていた。この場で無理ならまた、会える機会に。今度は、きちんと約束をして……再開すれば良い。何度も何度も繰り返せば、何れ時間が本物にしてくれる」
伝えるべき事は、それだけではない。
「こんな別れ方なんかしたら寂しいじゃないか。二人して俺を理由にしないでくれよ」
道を分かつ分岐点があるのは、確かだ。それぞれが見ている方向は少し違っており、思う通りに進むならば、二人を分かつ。だが、道は交差する事もある。先に進んだ結果、思いがけぬ所で出くわす可能性もある筈だ。ランディが望むのは、二人の交叉点として存在意義を求められる事。お為ごかしで何か理由がなければ、切れぬ縁など。ましてや、自分がそれに使われるきっかけとして存在を認められたくはない。
「二人の繋がりを裂くきっかけなんて俺が一番辛い……」
「ズルい……」
「そうだよ。狡いのは、俺が一番分かっている」
動揺し、顔を反らすフルールへランディは、微笑む。
「大丈夫。間違っていたら俺が何とかするよ。どれだけ大変でもさ。頑張るから」
展望が見出せないのならば、代わりに自分が見出だそう。関係性に変化を求めるならより良きものを提案し続けてみせよう。だからもっと気楽に考えて欲しい。まだ見えもしない答えが前提ではなく、進んだ先にどんな答えがあったか教えて欲しい。
「俺は、二人を繋ぐ架け橋になりたいんだ。君たちが全力で壊そうとしたって無駄だよ。俺が居なくならない限り、ずっと繋がってる。出来ない事があるなら言ってよ。二人で話がしたいけど、もどかしくって出来ないなら俺を使ってくれ。呼ばれたら直ぐに駆け付ける」
二人が駄目ならば、三人で。
「出掛けるのに理由が必要なら三人で出掛けよう。友として三人で。俺がその理由を作る」
気合いを入れて持て成そうとした結果、空回りしてしょうもない計画を立てて呆れられるかもしれない。だが、最後は笑って楽しい時が過ごせると確約出来る。何故なら二人がきちんと自分に足りないものを補ってくれるから。何方にとっても悪い提案ではない。
「もし、叶うのなら。先ずは、二人の思い出を聞かせておくれよ。どんな下らない事でも良い。二人して何を見て何を聞いてどんな事をしていたのか」
「そんな事、忘れたわ……」
「……右に同じさ」
思い出すきっかけとなるなら。止まった時を動かすのは、ランディではない。
「よく言うよ―― 二人してさ。片方は、優しい記憶が忘れられなくて今一度、舞い戻って来たし。もう一方も忘れられなくてこれまで一歩踏み出すのを躊躇していたのに」
今一度、見つめ直す必要がある。間違えた場所が分かっているなら繰り返さなければ良い。長い人生の中に存在するちょっとした寄り道として検証と実証を繰り返してみるもの悪くはない。次に繋がる経験となるのだから。
「お互い、大人になったからとか……思ってるなら大間違いだよ」
何よりも自分が見て来た人と人の関係性は、白黒はっきりつくものはなかった。時に過ちがあっても許し、許され合える。その時々によって様々な色に変わるもの。四季によって移ろう草花の様に一定したものはない。勿論、許されないものも中にはあるが、それは人道から大きく外れ、他者を思いやれない結果による。二人の関係にそんなものは、存在しない。
「少なくとも俺の知って居る大人は、本音と建前の使い分け何て意識してやってない。何処までもその境界が曖昧だって事をよく知ってる。だから本音と建前を無理に切り離さないで入り交えてきちんと答えてくれる。その言葉は、嘘であって嘘じゃない。逆を言えば、本当であって本当じゃない。でも自分の進むべき道が分かって居るからその過程に意味を見出さないんだ。君たちは、頭でっかちになってそれを見失っている。建前と言う過程を優先するあまり、先を見据えて居ない。進むべき道が分からず、出口のない迷路で迷子になっている。だから今だって俺が簡単に否定出来るんだ」
事実とは、虚構によって歪められてから始めて人に許容される。その人が理解出来るように簡易的なものなればなるほど、間違いが生まれる。だが、それは悪ではない。その道のりがあるから事実との齟齬を見極め、伝わった者が最後に完成させれば良いのだ。
「君たちの嘘と本当は、何処にある? 教えてくれ」




