第肆章 甘い幻想の果て 6P
結論を言えば、他人にその責務を擦り付けようとするなとアンジュは、言いたいのだ。過去の柵から簡単な身代わりを見つけて物語を完結させる事は以ての外。幸せを願うのなら最後まで向き合い、自分がそれを叶えるのが筋であると。
「つまり。それをフルールは、悟ったんだ」
何よりもそれを望む自分が居る事を知って欲しかった。笑顔を取り戻し、たった一人の為に隣で素直に微笑むその姿を見てどれだけ救われただろうか。たった一人を守る為に自分へ立ちはだかる姿を見てどれだけ感心させられただろう。何も幸せを願っているのは己だけではないとアンジュは、言外にランディへ伝えるようとした。
「やっと見えて来たかい? この出来事の本質が何か」
「……」
「そもそもぼくは、この町に来てはいけなかったんだ」
事実を目の前に自分の立場を弁えられるのかとアンジュは、問う。それを認めてさえくれれば、救われる。諦めではなく、先に続く物語として繋いで欲しいとアンジュは、切に願う。
「今回は、君の良い一面が悪い方向に向かっている。諦めの悪い所がね」
「俺は、俺は。それでも――」
「結果は、決まり切って居る」
「それでも……」
きっぱりと言い張って尚も食い下がるランディへ引導を渡そうとしたその時。新たな乱入者により、それは遮られてしまう。
「……何してんのよ?」
「っ!」
「やれやれ……随分と遅いご登場だね。フルール」
「っ! 違うんだ、フルール。これはっ!」
「何も違わないっ! だから言った筈よ。もう、金輪際関わらないでって!」
ランディの背後からアンジュへ敵意を剝き出しにして鋭く切り込むフルール。振り返り、押し止めようとするもフルールの勢いは止まらない。瞳に怒りを湛え、燃え盛るフルールを前にしてもアンジュは、涼しい顔で態度を変える事はない。
「僕からは、主だった何かをしていない」
「詭弁よ。貴方なら如何様にでも出来る」
「買い被られては困るなあ……僕にも出来る事と出来ない事がある」
フルールの言って居た様にけじめをつけたからこそ。今度は、ありったけの敵意を剥き出しにして互いに互いを傷つけ合う二人。今にも殴りかかろうとし兼ねないフルールの肩を押し止めながら動揺し、目を泳がせるランディ。同時に目の前の現実から逃れようとして自然と体が守りに入って遠のいて行く二人の声。何を話しているかは、分からない。分かりたくない。些細なきっかけに過ぎない。だが、譲れない何かがフルールを突き動かすのだろう。
「違うんだ……」
自分の望んだ事ではない。呆然と指を咥えて推移を眺める事しか出来ない今の自分。もっと出来る事がある筈だ。終わりのない水掛け論。止めなければ。
「こんな事は、望んでいない……」
しかし、一歩前へ進んだ所で高が知れている。自分の無力さを嫌と言うほど、痛感した。こんな悔しさをまた、通り過ぎねばならぬなら。無力な自分を憎むランディ。これまでの自分なら踏み出せた筈だった。それが出来ないのは、知り過ぎたが故。以前、エグリースの件で司教の言わんとしていた事がやっと理解出来た。
「……」
恐怖が己の足を竦ませる。未だ、自分の踏み入れた事のない人の内面へ深く関わる問題。此処で選択肢を間違えてしまったら何が起こるか本当に分からない未知の領域だ。何を言っても約束された崩壊が待つのみ。まだ、答えが本当に正しかったかどうかさえ。確認の仕様がない。されど、立ち止まる事は、己が一番許さなかった。
「……何が貴方たちにそうさせる?」
「ランディ、何を――」
「……」
「何が貴方たちにこんな詰まらない仲違いをさせてしまうんだ」
答えが知りたかった。己が心で静かに燻る火に従い、決意を漲らせるランディ。その火は、次第に大きく燃え盛って行く。道理に甘んじ過ぎた。真に迫るべきは、心だ。時には、理性を超えた感情で攻め込む必要もある。それをランディは、彼女から学ばされた。
「こんなのは間違っている。絶対にあってはならない」
「それは、君の決めることじゃあ――」
少しずつ冴えわたって行く思考。初心に帰るべきであった。己のやって来た事、全てに人の熱があり、それを伝える事で繋いで来たのだ。言葉ばかりが先行し、形を求めてばかりでまるで中身が無い。それは、自分が一番、嫌ったものだ。
「一度は、心を通わせて。本当なら共に手を携えて歩む道だってあったのに……」
二人の手を取り、まだ温かい事を確かめるランディ。
「恐らく、それぞれの理由があったのかもしれない。已むに已まれず。掴んだその手を離したくなかったけれど。それしか選択肢がなかったのかもしれない。その理由を告げられず、離れて行ったその人の事を想い続けたが故に負の感情が宿ったのかもしれない」
そのすれ違いを経てもまたこうして出会えている。詰まらない意地の張り合いをしなければ、互いに帳尻合わせも出来る機会があった。
「でもこうしてまた出会えた事に。貴方たちは、少なくとも感謝すべきだった」
感慨も無いし、大きなお世話だと言われてしまえば、身も蓋もない。逆に思いの丈をぶつけた結果がこれだと示されてるのならそれも致し方が無い。だが、自分ならばもっと別の視点から二人の関係を言い表せる。
「一度、離れれば……永久の別れとなるかもしれないこのご時世。貴方たちは、こうしてまた話をする事が出来た。それは、奇跡だよ。だってアンジュさんがこの町に来ようと思わなければ。逆にフルール、君がこの町を離れてしまう可能性だってあった筈だ」
他に理由があったかもしれない。だが、きっかけの一つとして存在している。同時にきっかけが互いを跳ね除ける理由にもなっている。それを伝えるのが己の仕事。
「俺は、貴方たちが羨ましいよ……」
「自分の言葉に酔ってる所、悪いけど水を差すわ。それは、あなたの利己的な考え……そんなもんで片づけられるほど、あたしとこの人の間には……」
埋める事の出来ない溝がある。恐らく、フルールはそう言う心算だったのだろう。だが、ランディは、最後まで言わせなかった。道化を演じるならば最後までやり抜いてみせる。ブランの言う通り、此処で諦めてしまえば何も生まれない。
「分かってる。分かって居るさ。君は、本当に優しい子だ。だから俺をアンジュさんから遠ざけた。そう簡単に解決出来ないと分かって居るから。多分、またアンジュさんは、一人になる。なろうとしている。追い掛けたからって意味がないと。だから俺は、アンジュさんを変えたかったんだ。もう一人で居る必要はない。きちんと人と向き合える事が出来るって」
「君……さっきの話、聞いてたかい? 僕にそんな資格ある訳っ!」
自分で縛った掟に意味はない。そもそもアンジュの道理に乗ってやる必要もない。アンジュが知らないだけでランディも大きな間違いを犯している。結果、遠ざけても何の解決にもならぬことを知り、己の愚かさを思い知った。何時までも高い所で偉そうに高説を垂れさせる義理も無い。今度は、自分が引き摺り下ろし、お膳立てをする番だ。
「貴方の権利なのに誰かから許可を受ける必要があるのかな? それは、人が決める事じゃない。以前、俺はフルールと盛大な大喧嘩をした事もあった。でもまた、こうやって話す事が出来ている。俺だって出来たんだ。何も難しい事じゃない。本当は、簡単な事なんだ」
「それは、君が君であるからっ!」
「いいや、違うね―― 誰でも出来る事さ」