第肆章 甘い幻想の果て 4P
「どうだい?」
「っ!」
その問いへ答えるかのように瞳の色が変わる。深い蒼の狭間に紅が新たに入り混じる。誰の所為でもない。全て自分の所為だ。甘んじたが故に掌で転がされている。何としてもこの状況を打開せねば、自分が自分でなくなってしまう。これ程まで怒りの感情に支配されたのは、何時ぶりだろう。誰の為でもなく、自分の為に。
「何だよ。そんな顔も出来るんじゃないか」
少し前に双子へ人の生き方を説いた事があった。それが正しいものであると。果たして自分は、向き合えていただろうか。何処に自分らしさがあっただろうか。未だ、自分が何者かも分からぬのに向き合える事など出来る筈もない。
「やっと人らしさが出て来た。良かったよ」
「――」
「もし、君がその感情さえも捨てていたならどうしようかと心配した」
新たなランディの一面を垣間見てブランは、高揚する。瞳を爛々と輝かせ、自分を飽きさせない目の前の青年に興味を全力で傾けていた。不敵な笑み、殴って凹ませたい衝動をおさえてランディは、じっくりと考える。これから自分がどうすべきか。自分が選びたい道を。
「もう、僕の手から完全に離れたね。次はどうする? どんな世界を。どんな物語をこの町で僕に見せてくれる? もう好い加減、ちゃちな台本を書くのはうんざりなんだ」
「……有難うございます」
これだけ啖呵を切ってもまだ、掌で踊っているに過ぎない。今は、それでも良い。だが、何時かは壊さねばならない。目の前に聳え立つ壁を。
「選ぶのは、君の自由だ。もし、見るに堪えない結果だったとしても存在している以上、誰にも否定は出来ない。無かった事にもね。後は、皆が受け入れるしかない」
その前に直近の出来事に終止符を打つ必要がある。自分が始めた事だ。既に幕引きは、書き終えた。後は、その間をどう繋げるかに掛かっている。容易くはないが、今の自分に比べれば肩の力が少し抜ける。何故ならば、はっきりと意思が見えるからだ。自分よりもあの二人は、きちんと意思表示をしている。
「まあ……今回は、君が物語に出て来る騎士様の様に清々しい立ち回りを期待する」
ランディの考えが読めたのだろう。ブランは、少し詰まらなそうに窓の外へ視線を向ける。
「全てはたった一人。ただ、君の為に―― 何てのはどうかな?」
「尽力します」
「何やらフルールも裏で手を回していたみたいだけど。あれじゃあ、駄目だ。自分自身で納得が出来て居ない。あからさまに突貫工事で。やっつけな仕事だよ」
「はい……」
「迷うな。詰まらない道化の役を引き受けたのなら最後までやり続けたまえ。これで止めてしまえば、本当に詰まらない所の騒ぎじゃない。やり遂げてこそ、掴めるものも確かにある。失敗? 成功? それは他人が後から勝手に評価する事だ。其処に真価はない」
「はい……」
「少なくとも僕は、君の導きに従う。例え、先を見通す力がなくともこの町を想い、特別な力何て無くても流れに逆らって変えて来た君の手腕に。だって君は、これまで実践して見せて来たじゃあないか。その道すがら、大いなる何かが介在する余地は、無かった筈だ」
逆を言えば、その立ち上がった姿勢こそ、見る者の目を奪う存在価値だったかもしれない。それならば、もしかするとブランの提案も無意味になってしまうかもしれない。
今のランディは、使命と望みの狭間で苛まれている。フルールに対しての使命ともう一人に対しての願いに。或いは、欠落した過去を取り戻し、新たな一歩を踏み出して欲しいと言う願いか、それとも苦悩に差なまれる同士に対しての救済と言う使命か。最早、どちらでも良いかもしれない。全てが一つに集約され、もし仮にその繋がりが正常な流れを取り戻しさえすれば。その淡い期待がこの心を。体を突き動かす。自分の事など、滑稽に思えてしまうほど、素晴らしい世界が待って居ると思うと胸の高鳴りが止まらない。
「さて、若者を諭すのもこれ位にしておこうか。これ以上、君もけちょんけちょんにされるのは、辛かろう。でもさ、次に面と向かって話す時が来たら教えてくれるかい?」
「俺が何者か……答えを必ず」
「僕は、既に予想出来る。君は、唯一無二。特別な何かだ」
窓から視線を外し、ランディの胸に人差し指を突き付け、ブランは爽やかに微笑む。その言葉がじんわりと心に染みわたる。根拠がなくとも自分へ自信を与えてくれた。見返りも求めず、自分の存在を全力で肯定してくれるその言葉に。
「後は、そうだね……伴侶が出来たらその報告も」
「暫くは、ありませんよ」
「まあ、最後は抗えないだろう。息巻くのも今の内だけだね」
「……ブランさんのそう言う所が嫌いです」
「おうおう、嫌え、嫌え。精々、足掻いて見せたまえ」
肩を竦め、からかうブラン。だが、穏やかな会話の束の間、ブランは不意に表情を硬くする。言葉にするか少し迷い、それでも伝えねばならないと覚悟を決めるブラン。
「最後に……これは、僕からの忠告。もう、金輪際。こんな事をするのは止めなさい。事前に察知していれば、僕も最初から止めてたさ。けど、知るのが遅過ぎて間に合わなかった。今回は、多分……事と次第によっては、君の心が引き裂かれるだろう。それは、この前の出来事の比ではない。僕は……絶望の前で膝を付く君の姿なんて見たくないんだ」
「少なくともそんな結末には……させません」
「何をしようとしているかまでは、事細かに分からないけどさ。彼の姿を見れば、一目瞭然。簡単に分かる。あれは、手遅れだ。救う手立ては……存在しない」
「そんな事はっ!」
「多分、それが一番分かっているのは君だよ」
自分でも分かっている。迷いの出所は、フルールの言動だけではない事に。結果が薄っすら見えているからだ。望まぬ結末を突き付けられている気がした。抗っても無駄なのではと、負の思考が自分の脳裏に過る。それを払拭したいが為に必死に足掻いている筈なのに心の何処かで諦めの色を見せ始めた自分がいる。
「時に現実は……無常なんだ。これだけは覚えておいで」
「っ!」
無言で踵を返し、執務室を後にするランディ。その背中をブランは、哀れんだ目で見守る事しか出来なかった。
*
執務室から外に出ても頭の中では、警鐘がけたたましく鳴り響いている。
『時間が無い』
いや、違う。現実から目を背けていたのだと己は、言う。
『ならば、どうする?』
己に問うも答えは、一向に思い浮かばない。そもそも取り持つにも既に断交しており、取り付く島もない。間に入ろうと取り組んではみものの、結果は逆効果。
「いっそうの事、本当の事を……」
いや、それは違う。もっと状況が混乱する。ランディは、首を横に振る。それよりも心の深層に迫る何かが必要だ。少なくとも一度は、本音をぶつけ合うほどの距離まで近づいたのだ。其処から先をどう紡ぐか。紡いだ時間と失った時間が多過ぎて二人の思考は、固まってしまっている。そもそも関係性が浅い自分からいずる言葉など、検討の余地もないくらい通り過ぎているに違いない。その全てが色褪せてしまうほどの強い衝動が必要なのだ。
「どうすれば……」
時間がない。あまりにも時間が足りなかった。
『まだ正常に意識を保てている今しか――』
「ランディ?」
「っ! アンジュさん!」
何か。何かないかと。持てる全てを総動員し、当てもなく大通りを歩いて考え込むランディ。その背中へ不意に声が掛かる。振り向けば、呼び止めて来たのが頭痛の種である張本人であれば、驚くのも無理はない。強い日差しに当てられても白いシャツの釦を一つ外しただけで変わらず涼しげなアンジュ。対して、自分は額に汗を滲ませ、顔を赤らめている。詰まらない事でも余計に自分が惨めに思えてしまう。




