第肆章 甘い幻想の果て 1P
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「えっ? どう言う事ですか?」
「急に申し訳ない。折角、事前の準備を重ねて貰ったのにね」
「いえ、解消されたのなら問題はありません。けど……いきなりですね」
「そうなんだ……僕も最初は、聞き間違いだと思ってしまうくらい報告が唐突でね」
あの会議から一週間経ち、ランディが音頭を取って準備を推し進め、決行目前までこぎ着けた所にブランからの呼び出しがあった。平服に近い装いで薄暗い執務室を訪ねてみれば、肩透かしを食らう一報から話が始まる。当然、解決したならば、ランディも言う事はない。だが、ブランを見れば、それだけでは話が終わらない事を物語っていた。背広を脱いでシャツの袖を捲り、クロバットを緩めながらパイプをふかすブラン。その表情は、陰りを帯びており、何やら引っ掛かる事があるのだろう。
「大凡、一週間前からぱたりと作物の被害がなくなった……か」
「うん、そうなんだ。僕としては、歓迎すべき報告だ。しかし―― 何だか薄気味が悪い」
薄気味が悪いのは、他に理由があるからだ。それは、新たな問題が発生した事を意味する。
「勿論。農園の皆は、一安心しているんだけどね……」
「その御様子だと他に何か?」
「察しが良くて助かる。実は……あるんだ。異変が」
聞かずとも予想はつく。恐れていた事態が発生し、それは時間に猶予が無い事を指し示す。熟考せねばならぬのにその上、迅速な対応を求められているのに。現状を鑑みれば、これまでの出来事より、表面上は落ち着いている。だが、その根は深い。足を踏み外せば、盗賊団の襲撃や残党の襲撃を越えた被害が出るとランディは、予測していた。
「三日前、獣の死骸が三体ほど、見つかった」
「そうですか……」
「場所は、町から離れた森林。見回りも兼ねて何名か町周辺の探索をお願いしたところ、見つかったんだ。樵のアルクさんが発見した。普通なら気にも留めないんだけど……」
口にするのも憚られるのか。一度、ブランは黙り込む。だが、この期に及んで詳細を省いても変わりないと考え、包み隠さずランディに教えてくれた。
「やり方が酷くてね……」
「詳細をお聞きしても?」
「ああ、最初にアルクさんが発見したのは、雄鹿。目印の様に木々や草に付着した血痕と近づくにつれて強くなる生臭さと腐敗臭で気付いたんだってさ。でだ、死体は何と言うか……本当に酷い有様……説明がしにくいんだけど。綺麗に三等分、輪切りにされてあって。後、ご丁寧に首も切断して地面へ突き刺した棒に引っ掛けられてあったと」
「なるほど――」
それは、どう見ても獣の仕業ではない。ほんの極一部の動物。小型の鳥類に限ってそれに近い習性を持つものも存在するが、小さな虫や両生類が主流。それらが到底、出来る所業ではない。だとすれば、やった者は、他でもない人間だ。
「アルクさんも詳しく調べてはないから実際の所は、分からないって言ってたけど。両方の後ろ脚にも深い刺し傷が二つ。恐らく、殺生を行った者は、負傷と失血で最初に動きを鈍くさせてからゆっくりと後を追い、追い着いた所で切断したとみられる」
「ならば……」
「そう。愉快犯の可能性が高い。何よりも恐ろしいのは、切断面が綺麗だった事だね。立派な牡鹿で大きさもかなりのものだからそんな芸当が出来る人間はそれこそ、本当に限られた人間にしか出来ない。この町に限れば、君くらいのもんじゃないかな?」
そもそも刃物が届く範囲まで野生の動物に近づいて負傷を負わせるなど、容易ではない。それこそ、人を超えた力がなければ、成しえない。ましてや、いたぶる様に手加減を加えるなど。ブランが指摘した事例以外でもそんな芸当が出来る者など、限られている。
「勿論、君がそんな無駄な殺しをやる訳もない」
「はい……」
少なくとも直近の一週間で町を出た覚えはない。勿論、一種の示威的な対策としては、一定の効果があるかもしれないが、その労力に見合うだけの結果は、得られるか定かではない。それらを天秤にかけた上で自分ならば、やろうともしない。そもそもその惨状を見たからと言って動物には、警告にならないからだ。その効果が確実に得られているのは、獣達がそれ以上のナニかに恐怖心を植え付けられ、怯えているからだ。
「後の二つも似たり寄ったり……どれも相当な工夫が凝らしてあったらしい」
その日に何が起こっていたかは、誰も知らない。そう、ランディ以外は。気配は、感じ取っていた。敢えて行動を取らなかったのは、町の外であった為。まだ町へ危害が及ばないと確信があったからだ。されど、先ほども触れた様に限界の時間は、差し迫っている。
「でもね。この話の恐ろしさの本質は、それだけじゃない。二頭目は、狐。最後の三頭目の標的がね……大きな熊だったんだ。血の臭いに惹かれて横取りをしようとまんまとおびき寄せられて呆気なく返り討ち。最後は、大木に木の棒で四肢と頭を木で貫かれてはりつけにされてあったと。欲を出さなければ……奴さんも運が悪いね」
己の力を誇示したいのか。それとも殺しを楽しんでいるか。若しくは、命を懸けた戦いに魅入られたのか。理由は、定かでない。この場で推察した所で犯人の特定には、至らないので考えても無駄だ。それにランディは、誰が行ったか既に知っている。
「狩った後、食用に持ち帰る事もなく……どの獣も関係なく、弄んで殺している。極めつけなのは、死体を他の動物が食い荒らした形跡のない事。蠅が集って居ただけ。奴らに恐怖心を植え付けるほどの怪物だね。恐らく犯人は、相当の手練れだ」
「因みに銃火器の仕様形跡は?」
「一切ない」
「人の仕業ならやらかした人物は、なかなかの傑物ですね。殺しの才能に長けている」
「そう。間違いなく人なんだよ。獣同士の小競り合いだったなら君には、話さなかった」
故にランディから助言が欲しかったのだろう。若しくは、犯人の目星がついているならば、聞き出したい。何方にせよ、ブランには、介入する余地が無いからランディを頼ったのだ。
「本当なら君に話すのも嫌だったんだ。けどね……」
「かの一件があれば尚更です。おきづかい有難うございます」
「うん。それで本題は、誰がやったか―― だけど」
「……」
机の前で直立不動のランディへ煙草をすすめて一度、場の空気を落ち着かせるブラン。気をつかっても口を割るランディではない。それは、ブランも分かっている。だが、これからの全てをランディに委ねる心算も毛頭ない。町の長として最後は、自分がケリをつけねばならない。その考えに至った理由は、矜持だけでなく失われるかもしれない可能性を加味した。
「その様子だと、如何やら見当はついているみたいだね」
「考えたくはないのですが……」
どう軌道修正をかければ、ランディが口を割るか。悩んだ所で答えはない。視点を変えて今、ランディの状況から推察すれば簡単だ。ランディの行動には、意味がある。
「最近。君は、町へ訪れた一人の若者に大変、ご執心らしいね。皆から話を聞くよ」
「ええ……」
「もしかして君は、何か起きる事を最初から予期していたのかな?」
「――」
「その沈黙は、肯定としか受け取れない。頼むから何か言っておくれよ」
「分かりません……本当に分からないんです」
「そうか―― なら無理には問い質せないなあ」
この物語の核心に触れ、ブランは苦笑い。場合によっては、これまで積み重ねた信頼関係を壊してしまうほど、危ない橋を渡っている事も知っている。問題は、その先に何が待ち受けているかだ。ランディが何に展望を見出したのか。全ては、それに掛かっている。
「で、この話を聞いて君はどうする心算だい?」
「……真偽の程を見極めます」
「まあ、それしか出来ないよね。分かるよ」




